福井県に住んでいる友人から、越前水仙が送られてきた。亡き母の仏前に供えてくれという。ぼくが出した喪中葉書をみてのことである。現役時代、彼が学位をとるときに少しばかり、お手伝いをしてあげたのを喜んでくれて、毎年、今頃、越前ゆかりの品を送ってくれる。
2日前、宅急便で送られ、そのときは大部分がつぼみであったが、もうほとんどが花開いている。3束あったので、1束は母の仏前に、もう二束は、ワイフが退職記念に職場の方から贈られた、大きめの赤い花瓶に生け、ぼくの”書斎”の片隅においてある。母も喜んでくれているだろう。

越前水仙の横にいる、ふたつの小熊ちゃんは、ぼくが30年も前に、職場から派遣され、カリフォルニアの大学に一年ほどいて、帰国時に大学の”生協”で、ひとつは母のおみやげとして、そしてもうひとつは、ぼくの記念にと買ってきたものである。座っている小熊ちゃんが母のもので、先月、実家を整理したときに持ち帰ったものである。悲しいことがきっかけになってしまったが、ふたつの小熊ちゃんは30年ぶりの再会ということになったわけだ。

この越前水仙にも悲しい伝説があることを添付されていたパンフで知った。源平合戦時代、越前の、ある武将が長男と共に、木曽義仲の軍勢に加わり京にのぼった。留守宅を守っていた次男が海でおぼれかけていた美しい若い娘を助け、恋仲となる。その年の冬、兄が、父の戦死の報とともに帰還する。兄もその娘を恋してしまい、兄弟で海岸で決闘する。その姿をみた娘は、こんなことになったのは、自分のせいだと、海に身を投げた。そこはくしくも助けられたときと同じ刀上海岸であった。翌年の春、その海岸に美しい花が流れつき、村人はこれは、あの清楚で可憐な娘の化身に違いないと、海岸の丘に植えて、いつくしんだそうだ。それが越前水仙で、美しい娘の化身なのである。
そのうち、ぜひ一度、越前水仙の花が丘の一面を覆いつくしている頃に、刀上海岸を訪れたいものである。その伝説のうつくしい娘さんと、母を想いながら。
2日前、宅急便で送られ、そのときは大部分がつぼみであったが、もうほとんどが花開いている。3束あったので、1束は母の仏前に、もう二束は、ワイフが退職記念に職場の方から贈られた、大きめの赤い花瓶に生け、ぼくの”書斎”の片隅においてある。母も喜んでくれているだろう。

越前水仙の横にいる、ふたつの小熊ちゃんは、ぼくが30年も前に、職場から派遣され、カリフォルニアの大学に一年ほどいて、帰国時に大学の”生協”で、ひとつは母のおみやげとして、そしてもうひとつは、ぼくの記念にと買ってきたものである。座っている小熊ちゃんが母のもので、先月、実家を整理したときに持ち帰ったものである。悲しいことがきっかけになってしまったが、ふたつの小熊ちゃんは30年ぶりの再会ということになったわけだ。

この越前水仙にも悲しい伝説があることを添付されていたパンフで知った。源平合戦時代、越前の、ある武将が長男と共に、木曽義仲の軍勢に加わり京にのぼった。留守宅を守っていた次男が海でおぼれかけていた美しい若い娘を助け、恋仲となる。その年の冬、兄が、父の戦死の報とともに帰還する。兄もその娘を恋してしまい、兄弟で海岸で決闘する。その姿をみた娘は、こんなことになったのは、自分のせいだと、海に身を投げた。そこはくしくも助けられたときと同じ刀上海岸であった。翌年の春、その海岸に美しい花が流れつき、村人はこれは、あの清楚で可憐な娘の化身に違いないと、海岸の丘に植えて、いつくしんだそうだ。それが越前水仙で、美しい娘の化身なのである。
そのうち、ぜひ一度、越前水仙の花が丘の一面を覆いつくしている頃に、刀上海岸を訪れたいものである。その伝説のうつくしい娘さんと、母を想いながら。