この由布岳のふもとに拡がる、近年有名になった由布院温泉郷に行ってきました。ワイフは九州出身ですが、学生時代は、大分の温泉といえば、東の熱海、西の別府とうたわれた、別府温泉しかなかったそうです。それが、今では、別府をしのぐ人気温泉に。ぼくははじめて、ワイフは数年前に一度、同窓会できただけという、由布院オンチ同志。
ただ、ぼくは、玉の湯という旅館だけは知っていました。ぼくの敬愛する小林秀雄さんが好んで訪れた宿なのです。本居宣長を執筆中に筆が進まないときは編集者がここに連れてくると、機嫌良く書き始めたそうです(笑)。小林さんは、ここの経営者、溝口さんにアドバイスをして、離れの部屋の回りを雑木林にしたりして、現在では、由布院温泉随一の人気旅館になっているそうです。で、このロビーまでの導入路は”小林秀雄の径”といわれているとか(笑)。
たしかに、いごこちのよい旅館でした。10畳間ぐらいの部屋に大きな電気こたつ、隣りが寝室でふたつのベッド。その奥に、部屋専用の温泉風呂が(ぼくは露天風呂がすきなので、ここにははいらなかった)。そして、居間の前の廊下越しに庭が。おまけに、この日は冬至。大きなゆずがまるごと5つくらい、露天風呂にも内風呂にもぽっかり浮いていました。玉の湯で柚子湯なんて、なんてついているのでしょう。
お風呂上がりは、薪の燃える暖炉のある、談話室兼図書室でゆっくり。さすが、小林秀雄全集がそろっていました。大分県出身の筑紫哲也さんや建築家の磯崎新さんの本も(由布院駅の設計もしました)よくみかけました。それに、昭和初期からの”文藝”や”新潮”の雑誌もずらり。小林秀雄さんもここでくつろがれたのでしょう。いや、隣りのバーかな(笑)。
小林秀雄全集
夕食は、もちろん地ビール、地酒に、和懐石料理。食べきれない程いっぱい。グルメ通のワイフがおいしいと言っていたから間違いないでしょう。メインディシュはそれぞれ、山里料理とすっぽん鍋を頼みました。それぞれ二人分くらいありました。質量とも要望される方にはぴったりでしょう。すっぽん食べたけど、あまりゲンキが出なかった(爆)。
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翌日、玉の湯を去り、日出(ひじ)町の的山荘で昼食をとったとき、ここにも小林秀雄さんの足跡が。女将が、よく、小林先生がお出でくださり、ここで名物の城下カレイを肴に一杯やられてから、玉の湯に出かけたんですよとのこと。皇族の方々も来れれますし、司馬遼太郎さんも”街道をゆく”の取材で寄られ、この部屋いっぱいに古文書を並べさせられたそうです。お城の三の丸あたりに建てられた旧家で、おじいさんのおじいさんが、山師で20数回、失敗し、借金取りに追われていましたが、最後の一発で金山を掘り当てたそうです。人間、最後まで、あきらめずにいきましょう。宝くじか有馬記念で大穴を当てるかな(汗)。
伊藤博文と西郷南州の書
刺繍で描かれた屏風
お雛様もたくさんあるそうで、去年から公開しているそうです。お近くの方はどうぞお運びください。城下カレイはあと3日で終わりだ、というタイミングでした。なんて運がいいのだろう。お刺身をいただきました。そういえば、関さば、関アジもこの近くでしたね。いいな、お魚のおいしいところは。また来たいです。今度は、小林秀雄さんのように、大分空港から、的山荘、玉の湯コースで。