気ままに

大船での気ままな生活日誌

喪中の葉書

2009-12-03 10:38:39 | Weblog
この春に母が他界したので、先月末、喪中葉書を出した。ぼくらが、いつも年賀状を頂く方のほか、ひとり住まいだった母が、親戚、友人等宛てに賀状を出していた方にも送らせていただいた。喪中葉書を受け取った方の中には、母の死をはじめて知った方もいて、ていねいに電話で弔意を示された方もいた。お仏壇にお線香をあげさせてくださいと、遠方から訪ねてくださる方もいた。今日の午後もそうゆう方がおられ、待機しているところだ。

早いもので、もう7カ月にもなる。悲しみもだいぶ薄れてきたが、ときどき、思いだしては、涙ぐむこともある。ケイタイの、母の最後の言葉は消さずに残しているので、ときどきは聴いている。母の手帳もかばんの中に入れてあるので、ときには開くこともある。

子供にとっては、母親はいつまでも永遠の存在なのだろう。生物学的にも、もちろん父親の遺伝子は必要だが、実際、胎児が成長するのは母親のお腹の中であるし、そこから生まれてくるのだから、父親より親密度が深くなるのは、当然のことなのであろう。一方、母親にとっては、自分のお腹を痛めた子は、どんなどら息子でも(汗)、あほ娘でも(笑)、可愛くてしようがないのではないのだろうか。

先日、友と明月院の紅葉狩りの帰り道、近くの葉祥明美術館に寄った。ほのぼのとした絵の中に混じって、”母親というものは”という葉祥明さんの詩が展示されていた。友が別の部屋にうつったときに(照れくさいので)、その詩をノートにメモしておいた。ちょっと、胸がつまってしまった。
。。。

母親というものは

母親というものは 無欲なものです 
我が子がどんなに偉くなるよりも
どんなにお金もちになるよりも 
毎日元気でいてくれることを 
心の底から願います

どんな高価な贈り物より 
我が子の優しいひとことで
十分すぎる程に幸せになれる

母親というものは 
実に無欲なものです
だから母親を泣かすのは 
この世で一番いけないことなのです

(老父母の金婚式のときに書いた詩) 葉祥明



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