今朝は、雲ひとつ、かかっていない富士山を観ることができた。一区切りついた、ぼくの心の中のような富士山だった。これは大長寺の裏山から観た富士山。
富士山といえば、先日、横浜そごう美術館でも、平山画伯の絵の隣りに、下田義寛のすばらしい富士山がそびえていた。今日は、そのときの院展の印象をつづってみたいと思う。
院展は毎年九月に上野で開催されるが、そのあとも全国を巡回する。横浜でも毎年そごう美術館で開催されるが、ぼくは、上野で観ることが多いので、横浜での展覧会は今回が初めてだったかもしれない。前日、紹介した平山郁夫画伯の作品を観たいと思っていたし、今年の秋は、いろいろ忙しく、上野での院展を見逃してしまっていたのだ。
何故、横浜開催か、ということが、ちらしの説明文から分かって、なるほどと思った。横浜は日本美術院の創立者、岡倉天心の生誕地なのである。本町五丁目(現在の一丁目)に福井藩の松平春嶽の命により、生糸貿易商の”石川屋”が開業されたが、その支配人の次男が岡倉天心なのだ。ここで生まれた。その後、そこは、現在、横浜市開港記念会館になっていて、建物の横に岡倉天心生誕の地の碑が立っている。
ぼくは日本画が好きなので、今回の院展の、どの絵もみんな良かったが、もともと、富士山と共に、桜好きなこともあって、桜の絵が出てくると、つい立ち止まって、花びらのひとつひとつまで覗きこんでしまう。田沢湖の桜(松本哲夫)、花明り(梅原幸雄)、宵桜・千鳥ヶ淵(西田俊英)も、満開の、”桜さくら弥生の空を”で、春が来る前に、お花見をしてしまったようなうれしい気分になってしまう。また、湖水に浮かぶ花びらとぽつぽつ降る雨滴がつくり出した波紋を描いた、”永遠の一日(清水操)”も印象に残る作品だった。
木々も好きなので、森を描いた絵は、それだけで森林浴をしてしまったような、すがすがしい気分になるし、木の幹をクローズアップした絵なんかは、いつもは気付かない、時の流れを感じて、しみじみとした気持ちになる。今回も、手中道子の”径”とか、近藤仁の”うたたね”松村公嗣の”熊野古道”なども、木々や木漏れ日がうるわしく描かれ、気に入った。
平山郁夫の部屋には、彼の”文明の十字路を往く”のほか、どれもすばらしい作品が並んでいた。前述の下田義観(寒明)と郷倉和子(遊想山岳)の富士山の絵や、伊藤髟耳の”たたずまい”、そして田淵俊夫の”惶”など。
全部の作品を載せたいけれど、そうもいかないので、最後にぼくが買った絵ハガキの作品だけを載せておく。
下田義観(寒明)
梅原幸雄(花明り)
松村公嗣(熊野古道)
。。。
今朝の大長寺の”言葉”。ぼくも、こうゆうふうに去りたいな。