おはようございます。昨晩は元住吉でいつものミニクラス会。今年初なので、ぜいたくにふぐ料理。たらふく食べて、飲んで、歌って、家に着いたのが、ぴたり0時0分0秒。でも、頭はすっきりしていますので、午前中に一本、”博多たび”の記事をまとめたいと思います。
地下鉄の西新駅を降りて、少し歩くと、交差点の脇に大きな”サザエさん通り”の看板が目に入ってくる。ここが出発点で、そこから海岸に向かい、海辺の福岡タワーまでの1.6キロほどの通りである。はじめて歩く道は楽しい。いきなり、古そうな煉瓦塀の学校が左手に現れる。修猷館高校だ。福岡の名門校ということは、関東のぼくでも、高校生の頃から知っている。へえ、ここにあったんだ、と校舎を眺める。そして、最初の交差点の両側に西南学院大学のキャンパスが拡がっている。”サザエさんのうちわけ話”にも出てくる学校だ。
さらに先を進むと、よかトビア通りとの交差点に出るが、その脇に”磯野広場”がある。ここに、”サザエさん発案の地記念碑”がある。碑文には、当時,目の前の道路(よかトピア通り)から先は,百道の海岸で,町子さんは妹の洋子さんと散歩しながら,サザエさんの登場人物である「サザエ」「カツオ」「ワカメ」「フネ」などを発案しました。昭和21年(1946)4月22日,西日本新聞から独立したばかりの「夕刊フクニチ」で「サザエさん」の連載が始まりました。福岡の百道の浜で名前をつけられたサザエさんとその家族は,こうして生き生きと動き始めました。しかし仕事の上でやはり東京にいる必要を感じた長谷川さん一家は,いったんこの連載を打切り昭和21年(1946)の暮れに再び一家で上京しました。その後,朝日新聞朝刊に「サザエさん」が掲載され全国で親しまれる存在となりました。日曜夕方の定番となったテレビアニメは,毎週3本のペースで昭和44年(1969)スタートから39年たつ現在も放映を続けています、とある。
ぼくも、もちろんサザエさんは大好きだったし、家内の愛読書は”いじわるばあさん”で、全巻揃いを嫁入り道具にもってきた(汗)。引っ越しのときに処分してしまったのが悔やまれる。
サザエさん通りのはじまり
サザエさん発案の碑。当時は通りの向こうは海で、海水浴場として賑わっていたそうだ。
磯野広場
サザエさんの碑からよかトピア通りを左に少し歩くと、福岡市立博物館がある。有名な国宝・金印のあるところで、また名刀も展示され、大勢の刀剣女子で賑わっていた。これは、また、別に報告したいと思います。
帰り道、西南学院大のキャンパスを抜けて、”元寇防塁跡”の史跡をみてきた。考えてみれば、蒙古の襲来は博多湾だった。文永11年(1274)に元による侵攻(文永の役)を受けた鎌倉幕府が再襲来に備え、約20キロに渡り、海岸線に防塁を築いた。その一部が現在まで残っていて、史蹟として整備されている。実際、二度目の弘安の役では役に立ったそうだ。
西南学院大のキャンパスは、往時海岸だったことを彷彿させる松林がみられる。
キャンパスに隣接して、元寇防塁跡がある。
約20キロの海岸に防塁がつくられた↓
蒙古襲来絵詞(鎌倉時代作、三の丸尚蔵館所蔵)にも防塁が描かれている。
元寇神社もある
西南学院博物館にも寄ったが、写真を撮らせてくれないので、説明は簡略に(笑)。1921年に建設された赤レンガ館が、2006年5月に大学博物館として生まれ変わった。博物館では、ユダヤ教、キリスト教関係の資料や西南学院の創立者であるC.K.ドージャーにまつわる品々を展示している。
遅いお昼は博多ラーメンにした。ぼくはおいしいと思ったが、家内は辛いと言っていた。2時過ぎだったのに、満席だったから名店なのだろう。
そのあと、福岡アジア美術館を見学して、博多座の放浪記を観劇してカンゲキした。(つづく)