気ままに

大船での気ままな生活日誌

さしえ、華やかなりし頃 鏑木清方記念美術館

2021-04-24 10:27:08 | Weblog

おはようございます。

小町通りを八幡宮方面に向かっておわり近くまで歩き、左に折れると、静かな住宅街の一画に鏑木清方記念館がある。清方が晩年、過ごした旧居である。

4月の初めに、”さしえ、華やかなりし頃/清方が受け継ぐ挿絵の美”展を見てきた。清方は、若い頃、挿絵画家として活躍してきたが、その頃の挿絵、口絵の作品がたくさん展示されている。

一方、清方は挿絵の仕事に取り組む中、江戸時代の浮世絵師や明治半ばに活躍した挿絵画家の研究に力を注いだ。特に挿絵画家として、師匠である水野年方のほか、尊敬の念をもっていた渡辺省亭、武内桂舟、富岡永洗、梶田半古らに私淑した。清方の随筆『こしかたの記』には、彼らが活躍した時代を、”口絵でも、挿絵でも、共に華やかな時代だった”と記している。ということで、”さしえ、華やかなりし頃”というテーマで彼らの作品も展示されている。

この展覧会ではじめて渡辺省亭を知り、そのあと、芸大美術館の渡辺省亭展を見に行った。清方は歌麿も研究していて、歌麿の当世踊子揃(鷺娘など3部)の模写も見ることが出来る。

以下、ちらしの写真などをもとに展示品の数々を載せたい。

花吹雪(文芸倶楽部、明治36年)

小栗風葉著 麗子夫人 (明治39年)

小栗風葉著/梶田半古画 青春夏之巻

小杉天外著にせ紫(明治38年)

白鳥(文芸倶楽部)明治39年

おわりに、樋口一葉の”にごりえ”の挿絵。これは、本に直接描かれたものではなく、清方が勝手に、にごりえの物語に合わせて描いたものである。清方は樋口一葉が少年のころから好きで、”たけくらべ”や”にごりえ”は暗礁するくらいだったという。七枚組の絵ハガキを買っているので、以下にご紹介します。

主人公は銘酒屋”菊の井”の、一枚看板のお力。中肉のすらりとした背格好。天燃の色白をこれみよがしに乳のあたりまで胸をはだけ、立ち膝、長キセルで煙草をすぱすぱの不作法を咎める人はいない。

男ぶりも気前もいい三十男の結城朝之助(とものすけ)と知り合い、お力は三日も来なければ手紙を出すほどになっていた。ある日、二人はしめやかに、話していると、源七が来たと耳打ちされる。


源七は町内では少しは幅の聞いた布団屋であったが、お力に会い身をもちくずし、今はみる影もない。お力は源七に会おうとせず、結城を夢みるようになった。



貧しい出生、身内の不幸など己の哀れを思い、さ迷い歩くお力をみつけた朝之助と”菊の井”に戻る。お力は大湯呑で息もつかず、二三杯酒を飲み、代えがたい人として朝之助に身の上を明かす。


お力の話を聞くうち、宵もかなり更けたため、帰ろうとする朝之助を引き留めるお力、雨戸を閉ざせば、ともし火の影も消えて、軒下を行く夜行の巡査の靴音のみが響いていた。

太吉郎は大袋を手に”母さん、母さん”とにっこり家に駆け込む。みれば高級なカステラである。源七の妻、お初がこんな良いものをどうしたのと尋ねると、菊の井の鬼の姉さんがくれたという。お前の父さんを怠け者にしたのも家をなくしたのも鬼のせい、とお初はカステラを投げ捨てるが、源七の怒りを買い、我が子を連れ家を出ることとなった。

お盆に入り数日後、湯屋の帰りにお力は源七に会った。振り切って逃げることもできなかったろうか、女ものぼせていた男に義理もあったろうとか、噂するものもあったが、女は背後から切られ、また突き傷等いろいろあり、男は見事な切腹で死に花を飾ったという。

。。。

画室も残っている。

門から玄関口

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (2)
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