こんばんわ。
岸田総理の経済、経済、経済に倣って、モネ、モネ、モネ展(笑)。マネ展ならマネーで、よりピッタリだったけど(笑)。ほんとに、そう書きたいほどの、会場のはじめからおわりまですべてモネ、モネ、モネとモネの作品ばかりの展覧会。まさに、100%モネの上野の森美術館のモネ展。こんなモネ展は初めてかも。2018年に横浜美術館でモネ展を見たが、ここではモネのほかに現代画家によるオマージュ作品の章もあった。モネ好きにはこたえられない美術展かモネ。
先ずは上野の森美術館の大看板からどうぞ。もちろん、モネ、モネ、モネ。
入り口にはモネの初期の作品、”昼食”。窓の外が騒々しくてゆっくりお食事できないかモネ(笑)
では、展覧会場に入りましょう。モネといえば睡蓮。睡蓮の池を踏みしめながら会場へ。
本展は次のような章立てになっている。
第1章 印象派以前のモネ
第2章 印象派の画家、モネ
第3章 テーマへの集中
第4章 連作の画家、モネ
第5章「睡蓮」とジヴェルニーの庭
原則、撮影禁止だが、うれしいことに第4章に入った頃から突然、撮影OKとなる。ずいぶん、写真を撮ったので、それらを中心に記録しておきたい。ただ第1章は初来日の作品が多く、ここだけは公式サイトの写真を使わせてもらい、少し詳しく。
第1章 印象派以前のモネ
画家を志して18歳でパリに出て、画塾で出会ったピサロ、ルノワール、バジールらと親交を深める。画家の登竜門であるサロンに1865年に初入選するが、その後、保守的なサロンでは評価されず落選が続く。1870年に普仏戦争が始まるのを機に、妻子とともにイギリスとオランダに渡る。本章では、初来日の大作《昼食》やオランダで描いた風景など、モネの初期作品が並ぶ。
ここには二点、人物画がある。グルテ・ファン・ド・シュタート嬢の肖像(1871)と前述の”昼食”(1868)。後に結婚するカミーユと息子のジャンがいる。幸せそうな2人を見守る来客の女性と、様子をうかがう使用人の姿。実はぼくが一番好きなモネの作品は、オルセー美術館の”日傘をさす女”なのだが、このモデルもカミーユとジャン(5歳)。ここでまたお会いできるとは思わなかった。うれしい一点。
”昼食”(1868)シュテーデル美術館 モネ初期の代表作で初来日。
ルーヴル河岸(1867)ルーヴル宮殿の東ファサードからの風景。セーヌ河の向こうにパンテオンのドームが見える。にこれも初来日。
ザーン川の岸辺の家々(1871)初来日 オランダのザーン川の岸辺にある家々の様子を描く。
第2章 印象派の画家、モネ
モネはマネやルノアールと共に、1874年春、パリで第1回印象派展を開催し、サロンとは別に発表の場を設けて精力的に活動する。一方、景気後退により経済的に困窮し、1879年には妻カミーユが亡くなるなど苦しい時期でもあった。本章では、1870~80年代にかけて、セーヌ川流域を拠点に各地を訪れて描いたモネの印象派らしい作品が揃う。
モネのアトリエ舟(1874)セーヌ川のアトリエ舟を中央に、奥の岸辺にはアルジャントゥイユの森や建物が描かれている。モネはこれに乗って川面や水辺の光景を多数描いた。
第3章 テーマへの集中
モネはパリ近郊はもちろん、ノルマンディー地方やブルターニュ地方、地中海の港町などヨーロッパの各地を訪れて制作した。本章では、ノルマンディー地方のプールヴィルの海岸やエトルタの奇岩など、モネが何度も訪れた場所の作品群が並ぶ。滞在中、同じ対象であっても季節や天候、時刻によって、海や空、山や岩肌の表情が絶え間なく変化する様子を描き留めた。
ラ・マンヌポルト(エトルタ)(1883) と エトルタのラ・マンヌポルト(1886)。ノルマンディー地方の切り立った断崖と奇岩で有名な海辺の景勝地。いずれもMET所蔵。
プールヴィルの断崖(1882)トゥウェンテ国立美術館蔵とプールヴィルの断崖(1882)東京富士美術館蔵 ノルマンディー地方のプールヴィルからヴァランジュヴィルの海岸に見られる断崖や渓谷の景観に魅了され、1882年のうちに、100点もの海景画を残したとのこと。
第4章 連作の画家、モネ
1883年、モネはセーヌ川流域のジヴェルニーに定住する。やがて、自宅付近の積みわらが光を受けて刻々と変化する様子を同時進行で何枚も描くようになった。以後は1899年からはロンドンを訪れ、〈チャリング・クロス橋〉や〈ウォータールー橋〉などの連作に。「連作」という手法の着想は、日本の浮世絵の影響もあるとか。
では、ここから館内撮影写真を。
ウォータールー橋、曇り(1900年)ロンドン
国会議事堂、バラ色のシンフォニー(1900年)ロンドン 19点の連作がある。霧のロンドンを好んで描いた。
チャリング・クロス橋、テムズ川(1903)ロンドン
第5章「睡蓮」とジヴェルニーの庭
ジヴェルニーの自宅の「花の庭」と「水の庭」を本格的に整備し、花壇の草花や、睡蓮のある池をよく描いた。次第に制作の大半は〈睡蓮〉となり、池の水面に映る色と光の抽象的なハーモニーが次々に誕生します。晩年のモネは、後妻のアリスや家族に支えられ、視覚障害に悩みながらも86歳で亡くなるまで制作を続けた。
ジヴェルニーの風景、雪の効果(1886)ジヴェルニー
黄昏時の流氷 1893年、ジヴェルニー
ジヴェルニー付近のセーヌ川(1894)ジヴェルニー
芍薬(1887)ジヴェルニー
睡蓮 (1897–98年頃)ジヴェルニー 最初期に描いた睡蓮
睡蓮の池(1918年頃)ジヴェルニー
睡蓮の池の片隅 (1918)ジヴェルニー
モネ好きにはこたえられないモネ100%のすばらしい展覧会でした。写真も撮らせてもらえたし。
では、おやすみなさい。
いい夢を。
今朝の明けの明星と有明の月。明後日が新月の細い細い月。
明けの空もうつくしい。