気ままに

大船での気ままな生活日誌

魯山人と京都(4) 京都早春の旅#10

2016-03-17 08:51:36 | Weblog

いよいよ、京都早春の旅シリーズもこれで最終回となります。書、篆刻、絵画、陶芸と多彩なジャンルで活躍した魯山人は、現代の本阿弥光悦と讃えられることもある。これに加えて、たぶん、光悦にはなかったと思われる美食家、料理家としても天分を発揮した。

さて、平安時代に遡ってみると、清和天皇崩御のあとの陽成天皇の側近として仕えた藤原山蔭も、いわば我が国初の”料理家”で、あらゆる食物を調理、調味づけた始祖と仰がれている。このたび、訪れた吉田神社は、藤原山蔭が奈良の春日大社の四神を勧進して創建したものである。

境内には摂社、山蔭神社がある。この神社は、山蔭卿を祀る神社で、料理、飲食の祖神として信仰をあつめている。毎年5月8日に執行される大祭には生間流の包丁式が奉納される。京都の名だたる料理飲食業の関係者が集まるそうである。また、菓祖神社もあり、これは京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会を結成、昭和32年11月11日兵庫県中島神社、和歌山県橘本神社、奈良県林神社の祭神を鎮祭と、由緒にある。

吉田神社は京都大学に隣接しているが、そういえば、旧制三高の校歌”紅もゆる”の歌詞の中に”吉田山”が出てくる。神社の境内はこの山の麓にある。案内書によると、桓武天皇が延暦13年(794年)、平安京をこの地に定めたとき、この山は都城の鬼門に当たるとして、比叡山と共に、王城の鎮護と崇められた地であった、という。だから、吉田山そのものが神様なのである。

一方、吉田神社には古くから代々の社家、吉田家があった。その祭るところの斎場所、大元宮が今もあり、吉田神社の南に祀られている。吉田家は、元は占いを司った卜部氏だったが、兼延を祖として、吉田と称するようになった。文化人を輩出し、あの、吉田兼好もこの家系だそうだ。

とういうわけで、料理人であり、社家の出である魯山人は、きっと吉田神社を参ったはずである、と、ここに参拝したのデアル。

吉田神社本宮 神職の方が説明して下さる。伊勢神宮に匹敵する挌で、毎年の節分祭は賑わうようで、800もの露店が立ち並ぶという。ただ、豆まきはしないとのこと。

菓祖神社 果物の祖といわれる橘を日本に持ち帰った田道間守命と日本で最初に饅頭をつくった林浄因命の2神を祀っている。

山蔭神社 回りの柵は各地の有名料亭からの寄贈なのか、名が刻まれている。 

大元宮 吉田神道の教義により、宇宙軸は現をす大元宮は、始まりの神(虚無大元尊神)を中心に祀り、そこから生まれる八百万の神々を祀ることで、全国の神々を祀る社として知られているとのこと。なるほど、挌が高いわけだ。

鳥居をくぐって・・中門へ

さらに、大元宮へ。朱塗りの八角で六角の後房をもつ、特殊な建築様式。国の重要文化財。




。。。。。

最後に、嵐山吉兆でお料理を。吉兆の創業者湯木貞一は魯山人の星岡茶寮の料理人に志願したが、不合格となったそうだ。その後、精進して、名料理人となった。お店にも、魯山人作の大鉢があった。お料理は、ぼくには猫に小判だったが、家内はおいしいと言っていた。

おわりに、今回の京都早春の旅、ベストスリーを。

雪の金閣寺
 

枝垂れ梅の城南宮

梅見と雪見の北野天満宮

 (完)

 

 

 

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