気ままに

大船での気ままな生活日誌

きらら浮世伝 “蔦重”を歌舞伎座で 

2025-02-25 21:58:02 | Weblog

こんばんわ。

ぼくは浮世絵ファンだから、蔦屋重三郎(蔦重)の名は二十年も前から知っていた。写楽展があれば、必ず版元の蔦重の名は欠かせないし、歌麿展でも同様だ。でも、蔦重がどういう人生を送ったのかは全くといっていいほど知らなかった。

それが今年の大河ドラマ”べらぼう”で、蔦重がいきなり主役に躍り出て、たくさんの人に知られるようになった。なんと歌舞伎座でも蔦重物語”きらら浮世伝”が上演されているというので、千穐楽前日に飛び込んだ。

それも蔦重には中村勘九郎、蔦重を陰ながら助ける吉原の花魁には中村七之助と、ぼくの好きな歌舞伎役者ふたり。

天下泰平の世。吉原で生まれ育ち、小さな貸本屋を営みながら大きな夢をもつ男、蔦屋重三郎。時代の変化をいち早く察知し、個性豊かな若き才能を次々と見出してゆく。吉原で版元としての地盤を固めたあと、江戸の出版界の中心地、日本橋へ進出する。ところが、質素倹約を求める寛政の改革により、蔦屋には財産半分没収のお仕置きが。幕府の弾圧に立ち向かい奮闘する蔦重が、遂に起死回生の一手に出る。

蔦重が才能を見出した歌麿等の浮世絵師、そして、蔦重が出版にかかわった狂歌師、黄表紙、読本などで後世に名を残す作家がどの俳優が演じるのか、これも興味のあるところ。忘れないように、ここに記録しておこう。これだけでも面白い。

喜多川歌麿 
山東京伝 橋之助
滝沢馬琴 中村福之助
葛飾北斎 歌之助
十返舎一九 鶴松
恋川春町 芝翫
大田南畝 歌六

きらら浮世伝は、今回が初演ではなく、昭和63(1988)年、銀座セゾン劇場にて初めて上演された。横内謙介脚本、十八世中村勘三郎(当時勘九郎)主演という伝説の舞台が装いも新たに再登場ということである。父親(勘三郎)の熱い魂が乗り移ったかのような勘九郎と七之助の熱演だった。

”筋書き”に載っていた勘九郎の言葉。”江戸時代を生きた芸術家たちの、抑圧された熱い魂とエネルギーに満ち溢れた青春群像劇です。若い才能を発掘して、当時のエンターテイメント界を活性化させた蔦重には父に通じるものを感じています。

最終盤、華やかな多色刷りの美人画が駄目ならば、と蔦重が起死回生の一手をうつ。役者絵ならばいいだろう、それも色は規定通り4色に抑え、ただ背景だけは金色に輝くきらら(黒雲母)摺にした。無名の写楽の大首絵を出版した。これが大当たり。蔦重、大復活かと思われたが、またもや奉行所がいちゃもんをつけてきた。謎の写楽を出頭させろと。さもなくばと詰め寄る。歌麿が自分が写楽だ、次々とほかの絵師や摺師たちも我こそ写楽なりだ、と口々に言い出す。蔦重は役人にこれはすべて洒落で、写楽の正体は斎藤十郎兵衛で、絵も版木もすべて差し出すとその場を収めた。

この様子を見て、この絵は洒落ではない、江戸一番の版元と絵師と職人たちの魂の結晶だと、鉄蔵(のちの北斎)が不服を言い立てる。蔦重はこの絵を破り、ならば、これ以上の絵を描けと鉄蔵に言う。写楽の絵は破り捨てられ、天に舞う。舞台は紙吹雪に舞い、写楽の作品が浮かび上がる。壮大なラストシーンになった。

皆、吉原に繰り出してゆくが、蔦重とお篠が残る。”お前も仲間だ。写楽という名の中に、お前もいるんだ”と告げ、ふたりは分かれてゆく。

二幕十場面の2時間ほどの舞台だったが、蔦重と仲間たちの熱い魂と熱量に満ち溢れた素晴らしい青春群像劇に感動した。

今朝の富士山と明けの三日月。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


歌舞伎座の緞帳(休み時間に撮影できる)

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1 コメント

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壮大な蒔絵 (アナザン・スター)
2025-02-25 22:13:58
素晴らしい演目の内容ですね。
写楽・北斎・一九、江戸の華やかさとは裏腹の、どぶ板踏み抜く荒れ模様。
それが逝き様なんですね。
命を懸ける、と云えば大袈裟でしょうが、あの時代に生きる者には何事も勝負の世界。
それが漢の願望達成。

役者も揃ってのクライマックス、哭かせるねぇ。

おやすみなさい。
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