大晦日の午後、ぶらりとかまくら散歩に出た。さて、何処へ行くか。ふと、頭に浮かんだのが、今年、お亡くなりになった原節子さんゆかりの浄妙寺。そうだ、これだ!と決めた。二週間ほど前に、訪ねたときには紅葉がまだ見頃だったし、蝋梅も花盛りだった。紅葉と蝋梅がどうなっているか、その確認もできる。
浄妙寺の受付は閉じられているが、門は開いていて、どうぞご自由にどうぞ、という雰囲気だった。本堂前に二種の蝋梅があるが、今回は素心蝋梅だけではなく蝋梅も咲いていた。もう、すっかりお寺は、初春になっていた。
近くの花塚にお参りした。あれ以来、ぼくは原節子塚と名付けている(汗)。
年末年始の休みに入っている茶室の横の石段を昇ると、いつも閉まっている門が開いている。その門の少し先に、原節子さんが住んでおられた家がある。その門の手前の紅葉が、まるで原節子さんを名残り惜しむように、まだ、真っ赤なもみじ葉をいっぱいつけていた。大晦日の紅葉なんて、生まれてはじめてみる!2015年の大晦日の紅葉、忘れないぞ。
石段をさらに登ると、洋館レストランとなるが、その向こうの山に椿の木がたくさんあり、それぞれ、山のように赤い花をつけていた。自生の薮椿だろうか。
そして、いつもは通れない門を出ると、すぐ横に長い石段があった。熊野神社への道だった。この辺りの鎮守様だと、案内板が教えてくれた。原節子さんもお正月に初詣りされたに違いないと思ったら、行かねばと、登りはじめた。うちの近くの青木神社の石段も長いが、それ以上で、引き返そうかと思ったくらい。最晩年の原節子さんでは無理だったかも。
お参りして、石段を降り、原節子さんのお住いの背の高い生垣の横を通り、大通りへ出た。
竹の寺にも寄ったが、そこは門も閉めていて、境内に入れないようになっていた。そこから、静かな裏道を抜けて、宝戒寺まで歩いた。本堂の中に入ると、いつもと違って、観音さまや十六羅漢などの軸装の仏画がたくさん飾られていた。美術館に入ったようだった。ここは高倉健さんゆかりの寺であるが、没後も名前入りのお供物札が今も架かっている。
境内のむくろじゅ(無患子)の大木がいっぱい実をつけていた。黒い種子は、お正月の羽根つきの玉に利用される。
そこから、10分も歩けば、本覚寺だ。もうすっかり正月夷の準備は出来ていた。人がまったくいない夷飾りの風景は、今しか撮れない。
お地蔵さんもお正月装束で。
駅前のおんめさまの氷室雪月花がもう咲いているのには、びっくりぽんだった。
2015年のラスト散歩は、なかなか実り多いものであった。
わたしはほとんど地元を出たことがありません。でもこうしてブログを通じて、様々な場所を拝見する機会ができました。特にこちらのブログでは本当に素晴らしい催しや場所など堪能させていただいています。
来年もまたあちこちで触発されるものを教えてください♪
楽しみにしています。
してる姿が見えるようです
有意義な一年だった事と思います 私も blogを見ていくつか 追いました お陰で初体験も一杯
いつも 綺麗な写真や 知識豊富なまとめに驚いてます
来年も 身体に気をつけて 様々な情報Upを期待しています
来年も、あちこち駆け巡り、拙い日誌を続けられればと、
思っております。来年もよろしくお願いします。
来年も猿飛佐助で(?)全国を飛び回りたいと思っています。そして、buusanさんが触発されるような記事をひとつでも多く書きたいです。ありがとうございます。