気ままに

大船での気ままな生活日誌

美肌コンクール その1

2007-12-24 08:14:27 | Weblog
ボクは木が大好きですが、これまで、花とか葉(紅葉等)とか、樹形(巨木等)にばかり注目していたように思います。でも、ぼくはこの秋に箱根を訪れたとき、芦ノ湖湖畔の箱根恩賜公園内でヒメシャラの林を見たとき、思わず、あっ!と感嘆の声をあげてしまいました。淡褐赤色の幹の色のうつくしいこと、そして、近寄って触ってみると、すべすべです。そのとき以来、ボクはすっかり木の美肌のとりこになってしまい、散歩の途中でも、つい、いろいろの樹木の肌を観察したり、おタッチ(汗)したりする習慣になってしまいました。きれいだなと思った樹木の写真も結構、たまってきましたので、ここらあたりでご紹介したいと思います。美肌コンクールです。さて、どの樹木ちゃんが美肌の女王の座に輝くでしょうか。みなさんも投票してくださいね。

まず、ボクが木の美肌に開眼したきかっけとなった、ヒメシャラちゃんに登場していただきましょう。たとえてみるとアグネス・ラムさんの肌のようです。若い方は知らないと思いますので、ちょっと説明しておきますと、彼女は1975年に初代クラリオンガールに選ばれ、小麦色のすべすべ肌、豊かな胸(汗)、可愛らしい笑顔で一世をふうびした、ハワイ出身のアイドルなのです。樹木界のアグネスラムと言っても過言ではないと思います(こちらは、ちょっと胸が小さいですが)。実際、この木は、ミス箱根の木なのですよ。女王最有力候補です。



さて、すべすべ肌では、こちらの方も負けていません。名前からしてすべりそうです。そうです、サルスベリちゃんです。ヒメシャラちゃんが小麦色の健康美なら、こちらは色白美人です。樹木界の秋田美人です、藤あや子さんです。♪呑みほしましょうか 呑みほしましょうか こころ酒♪のんべいお嬢さん(笑)らしく、写真でも、千鳥足みたいですね。女王候補ですが、油断大敵、”猿も木から落ちる”ことがあるから気をつけてね。




ヒメシャラちゃんはツバキ・ファミリーに属するそうです。とゆうことは、本家筋のツバキちゃんも肌がきれいなはずです。思った通り美肌でしたよ。それに、サルスベリちゃん以上の色白でした。化粧品の資生堂のシンボルにされるわけですね。♪あんこつばきは こいのはな♪樹木界のはるみちゃんです。



今日のトリは、ハクモクレンちゃんです。早春の、純白のハクモクレンの花はボクも大好きですが、お肌もなかなかのものですよ。それに写真でみてもらうと、わかりますように、結構、色っぽいです。よく大根ではみかけますが、樹木では珍しいです。審査員を色仕掛けでだまさなくても、十分、実力はあると思いますがね。



今日はこれから、両国の北斎展に行きますので、この辺で。

(つづく)
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歌舞伎見物

2007-12-23 11:15:31 | Weblog
急に歌舞伎が観たくなって、東銀座の歌舞伎座に出掛けました。予約なしでしたので、3階の一幕見席でもいいやと思っていたのですが、2階席の臨時席が、いくつか残っていました。二階の一番うしろの、それも端の席です。ボクはこういう席が大好きです。荷物も通路側に置けるし、ゆっくり足を(横に)伸ばせるし、席を立つのも自由だし、ボクにとっては願ってもない、特等席でした。それに、2階席は普通、11000円のはずなのに、ここは7500円。もうけたもうけたうふふのふ。

3幕ともそれぞれ、色合いが違い、十分楽しめましたよ。一幕目は、時代物で”鎌倉三代記”。三津五郎(高綱)、福助(北条娘時姫)、橋之助(三浦之助義村)らの出演です。意味はよくわからなくても、華やかな衣装をみたり、三味線と義太夫ぶしの、ここちよい響きを聞いてるだけでも、いい気分になります。福助さんきれいだったです(汗)。

2幕目は、おまちどうさま、玉三郎の”信濃路紅葉鬼揃”。これは能のような、舞踊劇みたいなものです。玉三郎が鬼女、海老蔵が平維茂、勘太郎が山神という布陣です。とにかく、玉三郎と5人の侍女の優雅な立ち居振る舞いを見ているだけで十分です(後半、鬼になったときは恐いけど)。衣装も紅系統で、まさに南禅寺の紅葉を観ているような気持ちです。玉三郎さんのきれいなこと、うっとり(大汗)。そしてボクは今回、侍女のひとり、春猿に目をつけました、とってもチャーミングです(滝汗)。玉三郎は夜の部では、横浜スタジアムの場所にあった岩亀楼を舞台にした芸者、お園を演じるようでした。こっちも観たかったです。

3幕目は、世話物。”水天宮利生深川”、勘三郎が主役です。先代勘三郎の当たり役だったそうです。明治維新ころの、乳飲み子を含め3人の子供を抱え、赤貧洗うがごとき生活をしている、没落士族の物語です。聞くも涙、語るも涙の物語です。子役二人がとてもじょうずに演じ、観客の涙を誘っていました。これはほとんど現代劇のようなものですので、わかりやすいです。3幕それぞれの味がありました。

では最後に、歌舞伎座風景を。九代目団十郎の胸像(朝倉文夫作)、相撲界の双葉山みたいな存在ですね。茅ヶ崎に別荘をもっていました。着物姿も目立ちました。ボクの前の席のご婦人も和服でした、つい、色っぽいうなじに目が(ナイアガラの滝汗)。









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2007-12-22 09:31:57 | Weblog
ボクはその日、大船ルミネ5階の、ユニクロでカーキ色のチノパンを買い、すそあげをしてもらっている間、6階の本屋さんで時間をつぶしていました。何気なく取り上げた本の、また何気なく開けたページに載っていた、詩に目がとまりました。その詩は、ボクが普段感じているのと全く同じことを語っていました。

その詩は、田村隆一さんの”木”という詩でした。何度か小声で読んでみて、ああいい詩だな、と思いながら、その本を閉じ、元の場所に戻しました。そして、別の書棚の方に移ったのですが、何故だか、その詩のことが気になってしかたがありませんでした。もしこのまま、ここを離れてしまえば、もう一生、その詩に会えないかも知れない、と思い始めました。

あの言葉、あの詩はどの本で見たのだっけ、と探してみてもその本が見つからない、そうゆう経験は何度もしています。図書館ならコピーという手もありますが、本屋さんでは無理、メモも考えたのですが、ちょっと、長すぎて、気もひけます。

結局、ボクはその本を買うことにしたのです。ボクはマンションへの転居を機に蔵書の7割ぐらいを処分し、最小限の本だけ残して、新たな本はなるべく買わないようにしているのです。でもまた、こうゆうふうに増え始めていますけど(苦笑)。

詩人の田村隆一さんは鎌倉文人の方で、たしか妙本寺に眠っておられます。これを機に、田村さんのほかの詩も、読んでみたいと思います。

・・・・・
木 (田村隆一)

木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ

ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか

見る人が見たら
木はささやいているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空にむかって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸い上げて
空にかえすはずがない

若木
老樹

ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光りのなかで
目ざめている木はない


ぼくはきみのことが大好きだ

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霜柱かと思ったら

2007-12-21 10:18:19 | Weblog
”霜柱”という名の植物があるそうですね。寒気が襲来したときに、冬枯れの茎の中の水が氷り、それが茎の表皮を破って飛び出してきて、茎全体が氷の柱のようになるそうです。そのさまがまるで、霜柱のようなので、そうゆう名前がつけられたのです。このシモバシラは、シソ科の多年草で、山地に自生しているそうです。

僕は今朝の散歩のとき、ふとこの植物のことを思い出し、ひょっとしたら出会えかもしれないと、散歩コースの大長寺の裏山(普段は境内だけですが)を登ってみました。下の方は霜がおりていませんでしたので、今日はダメかなと思いながら、進んで行くと、霜で真っ白になっている場所を見つけました。ちょうど、風の道にあたるところでしたので、そこだけ冷えたのでしょう。

そこで、ボクは、目をレーダーのように、右、左、上、下、と探索していったのです。あ、あああった。

近づいてみると、それは松葉の霜でした。しもーた。



あああ、あそこのこそは、たたたたっ(走り寄るさま)

近づいてみると、それはただの枯れ枝でした。連敗。




すごすご引き返そうとすると、♪私待つわ♪の歌声。今度久し振りに紅白に出る、水仙界の”あみん”ちゃんでした。♪ぼくも待つわ♪また明日来てみるね。



あっ、キャンディーズも。♪微笑がえし♪をしてくれました。



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SOMETIMES 三丁目の朝日

2007-12-20 18:12:44 | Weblog
昨日、"ALWAYS 続・三丁目の夕日"を観ての帰り道、ボクは、これだけ評判のいい映画は是非、第3作もつくるべきだ、と思いました。吉岡監督に陳情しようかと思っていますが、その際、第三作目のあらすじだけでも提案した方がより効果的だと思い、以下のような脚本をつくってみたのです。

まず、映画の題名ですが、”続・続 三丁目の夕日”とか、”ふたたびの三丁目の夕日”とか、考えてみたのですが、これでは団伊玖磨さんの「パイプのけむり」みたいで芸がないので、思い切り(とはいえ、結構、前題名をひきずっていますが)変えてみました。”SOMETIMES 三丁目の朝日”にしてみました。別にふざけてるわけでなくて(少しはふざけてますが)、結構、あらすじに即しているのですよ。

これまでの2作は、貧乏作家の吉岡秀隆を中心にした物語でしたが、今回は、薬師丸ひろこと上川隆也のふたりが中心となります。前作を観た方はピンとくると思います。そうです、あの橋のたもとで、薬師丸ひろこが出会った元恋人の上川隆也とが、また、近くの丘の上の公園で偶然再会し、ついに焼けぼっくりに火がついてしまうとゆう物語なのです。

鈴木オート社長、堤真一のかいがいしい妻、薬師丸ひろこが、インフルエンザにかかり、ダメフル(30年当時の薬)で治療したのですが、薬の副作用で、セーラー服を着て機関銃の銃口を堤真一に向けるという、異常行動をとってしまいました。それ以来、急速に夫婦仲が冷え込んでしまったのです。ちょうどその頃です、薬師丸が、丘の上公園で呆然とさまよっているときに、わんことの散歩中の上川隆也に出会います。目にいっぱい涙を溜め、およよと泣き崩れる薬師丸。抱き留める上川。前半のクライマックスシーンです。

その日以来、薬師丸は、早朝散歩とゆう名目で、彼と朝日のみえる丘の上公園でときどき密会します。題名はここからきているのです。”SOMETIMES 三丁目の朝日”をみながら、逢瀬を重ねます。

でも悪いことはできません。ある日のこと、締め切り原稿を出版社に届けるために通りかかった貧乏作家、吉岡秀隆に見つかってしまいます。いや、もう彼は貧乏作家ではありませんでした。芥川賞の落選以来、純文学をあきらめ、東北小藩の下級武士の赤貧洗うがごとき生活を人情味あふれるタッチで描く、時代小説を書くようになりました。自分の貧乏生活の経験が生きて、筆も進み、次々と作品を発表するようになります。そして、とうとう”ぶす(なまりです)の一分”で直木賞を受賞したのでした。しょぼくれ男から一躍、有名作家です。この境遇の変化をどう演じるか、吉岡秀隆の演技力が試されるところです。

さて、吉岡の奥さんになった小雪も、もとの踊り子さんに戻りますが、今度は、場末の小劇場ではなく、日劇ミュージックホールが舞台です。大柄の美人で、ダンスもじょうずとゆうことで、一躍、人気スターになります。実演ショーも、”ちょっとだけよ”ですが、映画の中に入れることになりますので、評判になると思いますよ。ボクも撮影現場を是非みさせてもらうつもりです(汗)。そうそう、淳之助くんはもちろん一緒に住んでいますよ。相変わらず、模範的な、いい少年ですよ。

堀北真希と浅利陽介の関係は、って?そうですね、教えてあげましょうね。浅利はコックさんとしてまじめに勤め、腕を上げて、将来は堀北真希と町の洋食屋さんを開こうねと約束します。脚本では、もちろん、途中で一波乱入れるつもりです。堀北真希に言い寄る、わるい男を誰にしようかと思案しているところです。

薬師丸ひろこと上川隆也のふたりがどうなるか、早く教えろって?それを教えちゃ、だれも観にこないでしょう。教えません。ただ、ラストシーンだけを教えましょうね。

丘の上公園に、堤真一、薬師丸ひろこ夫妻、そして子供の一平が、昇ってくる朝日をながめている。今日の朝日は特別、うつくしいわ、と涙ぐむ薬師丸。こうして3人で一緒にみてるからだと僕思う、と目を真っ赤にした一平。お日様の光が3人をやさしくつつむ。

ラストシーンの撮影も、ボクの散歩道の、この丘の上公園でする予定です。今朝もおだやかな、あたたかい朝日が昇ってきました。封切り前に、みなさんだけにおみせしましょうね。















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ALWAYS 続・三丁目の夕陽

2007-12-19 09:58:45 | Weblog
歯医者さんの”定期検診”を終えてから、藤沢で、話題の映画”ALWAYS 続・三丁目の夕陽"を観てきました。前作同様、涙と笑いがいっぱいの、いい映画でした。

いきなり、ゴジラの東京襲撃シーン。逃げまどう、鈴木オートの家族。迫力ある画面、な、なんだ、これは、円谷監督の特撮か、と思いきや、これはCG画像なんですね。CG画像がこの映画の売り物のひとつですよ、とまず紹介したのでしょう。この場面は結局、あの貧乏作家(吉岡秀隆)の夢だったのであります。”寅さん”の導入シーンを思い出しました(笑)。

たしかに、CGにより、30年代の町の様子が、よく再現されていました。セットだけではここまで出来ませんね。まだ高速道路がない頃の日本橋とか、東京駅等々。そんな風景の中で、夕陽丘3丁目の人々の、泣き笑いの人生が進行してゆきます。

本当にしょぼくれた男を演じるにはこの人しかいない、と思わせるほど、吉岡秀隆はじょうずに演じますね。それ以上にボクが感心したのは、吉岡と一緒に住んでいる子供、淳之助役の須賀健太の演技です。クライマックスの、自分をこのままここに残してください、そして、吉岡が秘かに愛するひろみ(小雪)と3人で暮らそうよと哀願するシーンは、すばらしかったと思います。そこへ、踊り子を止め、大阪に向かっていたはずの、ひろみが帰ってきたのです。新幹線の中で芥川賞候補作品”踊り子”を読み、彼の自分への愛の深さを知り、やり直そうと戻ってきたのです。感動的シーンでした。

そのほかに、鈴木オート(堤真一)の奥さん(薬師丸ひろこ)が、戦死したはずの、元恋人の上川隆也に橋の上で偶然出会うシーン、鈴木オートの一平君の、憎からず思っていた”はとこ”の美加ちゃんとお別れするシーン、六子(堀北真希)が男友達を立ち直させるシーン等々、うるうる場面が散りばめられています。

裕ちゃんの”嵐を呼ぶ男”を堀北真希たちが観に行くシーンにもカンドーしましたよ。ボクもあの時代、観にに行ったんですから。おいらはどらま、やくざなどらま、おいらがたたけば、あらしをよぶぜ、肩を振って歌っていました。

そして、ラストシーンは、あの3人が橋の上から夕陽をみつめているところ。今日の夕陽は特別きれいだね、と吉岡。きっと3人一緒でみているからだね、と子供。

そのラストシーンとそっくりな夕陽が、帰りの大船の柏尾川にかかる橋からみえました。



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横浜クリスマス夜景

2007-12-18 18:12:34 | Weblog
ワイフは光輝くものが大好きです。夏は花火、冬はクリスマス・イルミネーション、寿司はひかりものです(笑)。で、ワイフ主導で、(ボクも好きですが)横浜クリスマス夜景見物に出掛けました。

石川町で降りて、坂道を昇って、まずイタリア山の外交官の家。メタセコイアの並木がきれいに色づいていました。



続いて、ベーリックホール。そこでは、フランスのオーソドックスなクリスマスディナーのテーブルコーディネート。



エリスマン邸ではアイルランドの飾り、そして、山手234館。ここでは琴欧州関の故国、ブルガリアのテーブルコーディネートが面白いです。キリストの生誕場所の馬小屋に因んで、藁とラグカーペットを敷き、熱燗のワインとブランディーで”乾杯”するそうです。日本の熱燗徳利そっくりでしたよ。琴欧州関もいつも、熱燗で晩酌し、故国を偲んでいるのでしょうね。来場所は頑張ってくださいね。でも、稀勢の里関には負けてくださいね。





そして、外人墓地に降りてくる頃には日も暮れてきました。そして、なんと、富士山が。ラッキー、ラッキー。



港のみえる丘公園からフランス山を歩いているとき、木々の間からマリンタワーが。営業停止なのに、イルミネーションは営業していました。ラッキー、ラッキー。



山下公園からのみなとみらい遠景。12月23~25日の16時20分からのみなとみらいの全ビル点灯も見逃せないです(汗)。




みなとみらいまで来ると、イルミネーションの洪水どす。





ビルの中は、クリスマスツリー。





満足の横浜クリスマス夜景めぐりでした。

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花の生涯 フラワーセンター

2007-12-17 10:24:39 | Weblog
さすがに師走の、フラワーセンターは静かでした。何かと忙しい、この時期に訪れることのできる人は余程の暇人か(汗)、余裕のある人でしょう。午前中、年賀状の宛名整理をPCでして、午後は、印刷もと思ったのですが、あまりにいい天気でしたので、ついついフラフラと大船フラフラセンター(笑)に出掛けてしまいました。

門をくぐると、クリスマスツリーが出迎えてくれ、さらに、温室方面に向かうと、クリスマス仕様の壁面花壇とリースも歓迎してくれました。さすがに、園内の冬の花は少ないですが、いくつか印象に残った花などを紹介したいと思います。題して「花の生涯」(笑)。

「花の生涯」といえば、桜田門外の変、ということで、桜さんから。



これは、子福桜(こぶくざくら)という桜で、春に一度咲いて、また晩秋から冬にかけて一度と、年に2度も花を咲かせるのです。二度目の花もこんなにきれいなんですよ。

ボクはこの花をみて、伊能忠敬のことを思い出しました。忠敬は伊能家に養子に入り、家業を発展させたあと、50才で隠居し、江戸に出て本格的に勉学を始め、55才から17年間にわたり全国測量を行い、精密な日本地図を完成させました。ボクは若いときから、忠敬にあこがれのような気持ちをもっていて、生誕地の、千葉佐原の記念館にも2度ほど行きましたし、加藤剛主演の”伊能忠敬、子午線の夢”の舞台も観に行ったことがあります。生涯、2度、花を咲かせた男、そうゆう意味で、この子福桜に重ね合わせたのです。

実はボクもこうゆう生涯を送りたいと常々、思っていました。定年後は、もう一仕事、それもゼンゼン別の分野で花を咲かせたいと思っていました。それで、とにかくボクは定年後、関連の就職口には一切、目を向けず、そして、これまでの職場からなるべく遠く離れたところに居を移しました。これで、第一段階は成功しました。そして、第2段階、何をやろうかと、ゆっくりと探し始めたのです。ところが、気まま生活を始めてみて、いろいろなことに首をつっこんでいるうち、世の中には、なんて面白いことが、なんてうつくしいものが、こんなにもたくさんあるのだろうと思うようになってきたのです。今まで、いったい、何をみていたのだろうか、と。

それで、これから、また、ある分野だけの、専門的なケンキューを始めてしまえば、現役時代と同じになってしまう、同じ、単調な視線に戻ってしまうと思うようになってきました。それよりも、もっともっと遠くをみたり、近くをみたり、横を向いたり、下を見たりする時間がなるべく、たくさん欲しいのです。伊能忠敬のような大業績も、もちろん、りっぱな”冬の花”ですが、こうゆう凡人の生き方だって、ボクはささやかながら、秘やかに咲く”冬の花”だと思うようになったのです。
・・・・・

もうひとつ、こんな花が咲いていました。名札をみると、”おおちょうじがまずみ”とありました。葉っぱはすっかり老いぼれているのに(笑)、きれいな花を咲かせています。もともと冬の花なのか、くるい咲きなのか、詳しいことは知りませんが、みた印象としては”老いらくの恋”です(笑)。生涯青春ですね。

人間、20才も100才も、同じ時代に生きてるだけで、もう同い年ですよ。宇宙の時間からみれば、同タイムです。生涯青春。”がまずみ”さんに負けずにがんばりましょう(汗)。



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朝日のあたる丘の公園

2007-12-16 12:32:03 | Weblog
今朝の、丘の公園の風景。

朝日のあたるマンション。丹沢の山並みも。雲も。



朝日のあたる家。アニマルズ。



朝日のあたる竹藪。




朝日のあたるもみじ。


朝日のあたる霜もみじ。


朝日のあたる鳩。


朝日のあたる飛行機。



朝日のあたる野球少年。


朝日のあたるオイラ。枯れすすき(涙)。


みんな、みんな、嬉しそう。お日様、今日もありがとう。

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鳥獣戯画を観る

2007-12-15 09:57:03 | Weblog
1週間ほど前、フェルメール展を観たその足で、近くのサントリー美術館で開催されていた”鳥獣戯画がやってきた”展を観に行ってきました。少し間が空いてしまったのは、後述のあることを調べてからと思っていたからです。”鳥獣戯画”は教科書に必ず出てくる、超有名な美術品であって、人間に擬せられた兎や蛙や猿が遊んでいる姿は、すぐ思い浮かべることができます。でも、実物を観る機会は、今回が初めてのような気がします。ですから、ミーハーのボクは、まるで有名女優さんの撮影現場を見学に行くようなワクワクした気持ちで会場に入っていったのでした。

会場に入ると、いきなり”鳥獣人物戯画絵巻、甲巻”。馴染みのカエルちゃん、お猿さん、うさちゃんが、本当に笑ったり、驚いたり、怒ったり、表情豊かな顔をして、また、おどけたり、ひっくり返ったり、振り向きながら逃げたりしている姿が、どどどどーんとボクの目に入ってきます。絵巻全体がとゆうより、ボクはその中で”演技”している、カエルちゃん達の名優さんたちに目が釘付けになってしまいました。たとえて言うならば、若き日の原節子さんやイングリッド・バーグマンさんの撮影現場を目の前でみているような、そんな感じです。

母によると、ボクは学校に上がる前から、漫画ばっかり描いていて、この子は将来、漫画家になるのではないかと思ったそうです。これは、ボクも良く覚えているのですが、小学生になってからも、月刊の漫画誌、”おもしろブック”と”少年画報”は毎月とっていたし(妹はりぼん、なかよし)、当時人気の武内つなよし作、赤胴鈴の助などの主人公の漫画を上手に描くことができ、よく友達から誉められたものでした。だから、少しは漫画はわかると言うつもりはないですが(笑)が、興味はあるのです。

甲巻の、動物たちの輪郭を描く、筆のタッチは軽快で、よどみがなく、素人のボクでも、これはタダモノではない人が描いたものだとゆうことがわかります。それに絵巻物のストリーもうふふと笑えます。たしか「日曜美術館30年展」で、鉄腕アトム”の手塚治虫さんが、これは現代にも十分通用する漫画で、まさに世界の漫画のルーツだと激賞していたのを思い出しました。

そのあと、続けて、乙、丙、丁巻が展示されていましたが、絵巻の中の鳥獣たちは全く馴染みがなく、甲巻の出演者が名優ばかりだとすれば、あとのはまだ売り出し中の俳優さんばかりのようで(笑)、感動がうすかったです。でも、いずれも国宝ですから、専門家がみれば、大変な価値があるものなのだろうなと思いながら鑑賞しました。

また、甲巻は前半と後半は違う巻物であったとか、抜けている部分があるとか、いろいろ分析された研究成果も展示されていましたが、ボクにとってはそんなことはどうでも良いように思えました。ひとつだけ、ボクが気になったことは、この”鳥獣戯画”に京都・栂尾、高山寺の印が押してあることでした。高山寺といえば、あの明恵上人が開いたお寺です。明恵上人がこの”鳥獣人物戯画絵巻”を保管して実際、観ていたはず、このことに興味をもったのです。

明恵上人といえば、月の歌人と呼ばれ、ボクも好きな『雲いでて 我にともなう 冬の月 風やみにしむ 雪やつめたき』 などの名歌をつくっていることは知っていましたが、それ以外のことについてはあまり知りませんでしたので、少し調べてみました。図書館で、白州正子さんの”明恵上人”が貸し出し中でしたので、河合隼雄さんの”明恵 夢を生きる” のページをくくっていきました。

明恵上人は毎夜、夢をみて、それを克明に憶えていて夢日記のようなもの、「夢記」を著わしています。河合さんは臨床心理学者の立場からこの「夢記」を解析しているのですが、興味深い文章をみつけました。

”白州正子ら所蔵の「夢之記切」で、夢の記録に明恵自筆の絵が付されている。・・これらのスケッチから推しても、明恵自身、相当に絵心があったものと思われる”

寝ているときにみる夢を、現実の世界と同列に扱うほど”夢”を重視していた明恵上人、そして自身でも絵筆をもって夢の描写をしていた、こうゆう方だからこそ、この”鳥獣人物戯画絵巻”を最もよく理解し、自分でも鑑賞し、永く、大事に保存されたのだろう、と思いました。もしかしたら、明恵上人作のも、甲~丙の中に一部あるかもしれない(笑)、と思ったのでした。

これを機会に、ボクも”昔とった杵柄”で、カエルちゃんや鳥ちゃんの人物戯画でも描いてみようかな。




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