気ままに

大船での気ままな生活日誌

感動!朝焼けショー!

2017-08-26 07:20:06 | Weblog

おはようございます。

8月26日。今日は何の日?。関東の人は、浅草サンバの日、原宿のスーパーよさこいの日、高円寺の阿波踊りの日と、てんこ盛り。東北の人は大曲の花火大会の日。どのお祭りも、お空さまのご機嫌がよくなくてはね。

さて、今朝のお空さまのご機嫌は?午前4時半ころ、目を覚まし、ベランダに出たら、よしよし、上機嫌のようだ。明けの明星が輝き、朝焼けがはじまろうとしていた。そして、30分間、刻々と変化する朝焼け空を見つづけてしまった。サンバカーニバルも花火大会もいいけど、やっぱり、お空さまの朝焼けショーには敵わないね。

坂村真民一日一言の8月26日のページを開いてみたら、この文が載っていた。

感心・感服・感動

感心とは、心に深く、感じ入ることであり、感服とは、なるほどと深く感心することであり、感動とは、強く心に感ずることである。どちらも同じようだと思う人があるかもしれないが、文学作品や芸術作品は、感心するとか、感服するとかでは、まだ十分とはいえない。感動を与えるところまでいってはじめて優れた作品といえよう。感動とは感じて動かされることであり、動の方にウエートがある。

朝焼けショーは、感心、感服ではなくて、やっぱり感動ですね。

感動!朝焼けショー!

明けの明星(←)



それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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モースと相模湾の生き物展

2017-08-25 11:39:03 | Weblog

モース博士といえば、知らない人はいない、大森貝塚。なんと来日3日目、横浜から東京へ向かう列車の窓からみつけたそうだ。しかし、本業の海洋動物学者としてのモースを知る人は少ないだろうし、江ノ島の漁師小屋を改造した実験室で、シャミセンガイの研究をしていたということを知る人はもっと少ないと思う。さらに、モースが明治時代の生活用品の優れたコレクターであることを知る人は、2013年にえど博で開催された特別展”明治の心/モースがみた庶民のくらし”を見た人を除いて一人もいないだろう(笑)。

モースの仕事場だった江ノ島と同じ藤沢市の日大生物資源科学部博物館で”モースと相模湾の生き物展”が開催されている。藤沢から小田急で江ノ島と反対方向、三つ目の駅”六合日大前”で降り、5分も歩けば、博物館に到着する。昨日、見学してきましたので紹介したいと思います。

モースが1877年に来日してから今年でちょうど140年目に当たるということで、企画されたようだ。展示構成は、第一部が”モースの日本滞在中に行った仕事の数々”、第二部が”モースのもたらしたもの”となっている。

第一部では、パネル展示を主体に、彼の研究者としての足跡が紹介される。おおよそ、こんな経歴である。生まれ故郷のメイン州ポートランドでは”学校嫌い”の少年時代を送り、大学も出ていない。ただ、貝のコレクションとその研究においては、学者たちに一目をおかれる存在であった。1859年、ハーバード大学博物館のアガシー教授から誘われ、学生助手に採用される。5年ほどの勤務の間、動物学一般の学問を身に付け、専門的には”生きる化石”として知られる腕足動物、とくに、シャミセン貝の研究を進めた。その後、シャミセン貝の分類やダーウィンの進化論(1859)の解釈などで、二人の間で論争があり、結局、博物館を辞める。

その後、講演活動に入ったが、ミシガン大学での聴講者に、のちにモースを東大の初代動物学教授に呼ぶことになる外山正一がいた。日本にシャミセン貝が豊富に生息していることを知り、二か年の期限付きで承諾したのだった。

研究紹介

研究材料のミドリシャミセンガイなど。

シャミセンガイの標本

石川千代松の”モース先生に就いて”。石川はモースの講義を筆記した”動物進化論”を出版し、ダーウィンの進化論を日本ではじめて紹介した。

第二部では、大森貝塚のビデオ紹介、相模湾の生物、明治時代の民具類(モースのコレクションではない)などが展示されている。モースは三度、来日して、研究の傍ら、各地を廻り、民具、陶器などの蒐集を行っている。75歳となったモースは、30年以上前の日記とスケッチをもとに、”Japan Day by Day/日本その日その日)”の執筆を開始。1917年に出版した。

Japan Day by Day

こうして、エドワード・シルヴェスター・モースはわが国の動物学,考古学,民俗学などの基礎を作ったのである。

前二報の”とある博物館”とは、ここのことでした。

常設展示より

えのすいで生きたシャミセンガイを展示しているらしい。そのうち、訪ねてみよう。

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博物館の蛾と龍子と御舟の蛾

2017-08-25 08:41:45 | Weblog

おはようございます。

”とある博物館”シリーズ第2弾をお届けします(笑)。まず、博物館の蛾の標本をご覧ください。まるで蝶のように、うつくしい蛾たち。

世界の美しい蛾

蝶か蛾か区別がつかないようなうつくしい蛾。右二列が蛾

ふくろうの目をもつ蛾

ふと、先日、レポしたばかりの川端龍子の”夢”の蛾を思い出しました。ここにもうつくしい蛾たちが。

龍子の蛾

速水御舟の蛾もうつくしい。

粧蛾舞戯

炎舞


ぼくが、鎌倉で見つけたオオミズアオ(大水青)も、これらの絵の中にいるかもしれない。

”事実は小説より奇なり”、という言葉があるけれど、蛾の世界も、”事実は絵画より奇なり”かもしれない。

 それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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博物館のテンとレオナルドのテン

2017-08-24 21:49:10 | Weblog

こんばんわ。

今日は藤沢の、とある博物館で、とある特別展を見てきました。それは、のちほどレポする予定ですが、その博物館でみた、テンだけを先ずご紹介致します。あまりに可愛かったものですから。

愛らしい顔と柔らかな毛並。つい抱きたくなります。

実際、テンを抱いた貴婦人がいらっしゃいます。レオナルドダヴィンチの”白貂を抱く貴婦人”です。先週、横浜そごう美術館の”レオナルドダヴィンチ展”で見たばかり、複製ですが。運よく、本物もロンドンで見ています。今は、モナリザと並ぶ大好きな作品となっています。

でも博物館では、骨格標本も並べてありますのであしからず。よく見ると、左には貴婦人の骸骨も。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

これでは、いい夢をみられないとおっしゃる方には、これを。

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ぶらり西美 常設展

2017-08-24 09:40:18 | Weblog

おはようございます。今日も暑くなりそうですが、昨日23日も、東京は猛暑でした。この日が、24節気の”処暑”とは皮肉が過ぎます(笑)。

東博を出たあと、この暑さではと、外歩きは止めにして、冷房の効いている国立西洋美術館に入った。アルチンボルド展をやっていたが、次回に廻して、常設展を巡った。松方コレクション等のいい絵がいっぱいあるし、展示室のつくりが一味違う。なにせ、ル・コルビュジエ設計の世界遺産だからね。

まるで、素敵な森の中を、樹下に咲いている草花をながめながら彷徨っている気持ち。おまけにシニアは無料というのもうれしい(笑)。では、ご案内いたしましょう。建築的な説明は以前の記事でしていますので、ここでは、ただ、ぶらり西美で(笑)。

 

アルチンボルド展は来週にでも。

それでは、みなさん、今日も一日、残暑に負けず、お元気で!

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お昼はトーハクでタイカレー

2017-08-23 21:59:39 | Weblog

こんばんわ。

今日のお昼は、トーハクのレストランでタイカレーでしたタイ。

トーハクの特別展が”タイ/仏の国の耀き”だったから、食べないわけにはいかんタイ。一昨日、茅ヶ崎でインドカレー食べたばかりだけどネ。どちらも、おいしかったですタイ。ただナンの大きさは茅ヶ崎の方が断然、大きかったタイ。ナンてこった。

ナンでか、微笑みの仏像さんがいっぱい。詳しくはのちほどレポしますタイ。

デザートはココナッツミルク

本館ではこんな催しもありました。びょうぶとあそぶ

長谷川等伯の松林図屏風とあそぶ

高精細複製画の前に座り、等伯の描いた松林の風と匂いをリアルに体感。 

うしろの半円形の大型スクリーンにこんな風景が映しだされる。

今度は、松林が。

尾形光琳の群鶴図屏風とあそぶ

これは、ワシントンDCのフリーア美術館蔵で貸出しはしない。複製品で見るしかない。

鑑賞者の動きに合わせてスクリーンの鶴が動いたり、照明の演出で金屏風の美しさを引き出し、群鶴図の世界に遊ぶ。

。。。。。。

そのあと、ぼくは鵜図屏風とあそぶ。

下村観山 鵜図屏風

今村紫紅の柳に叭々鳥屏風ともあそぶ

紫紅の像(安田靫彦)ともあそぶ

麗子像(岸田劉生)と遊んでいる人もいた

外に出ると、表慶館前の百日紅がよく咲いていた。

久し振りの東博を満喫した。

そうそう、そのあと訪れた西美でも百日紅がよく咲いていた。

カレーの市民の横は木槿の花だった。

カレーではじまりカレーでおわることができ、こんなにうれしいことはない。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

(ルーベンスの眠るふたりの子供/西美)



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川端龍子/超ド級の日本画

2017-08-23 07:28:30 | Weblog

おはようございます。夏のおわりになって夏らしくなってきましたね。

さて、山種美術館で開催されていた展覧会”川端龍子/超ド級の日本画”も、もう終了した。ぼくは滑り込みセーフで後期展を見に行っている。すでにその一部は報告済だが、まだ全体のレポはしていない。そろそろ書いておかねばと思って、ふと頭によぎったのは、たしか、日曜美術館でこの展覧会を取り上げている、それを録画していたはずと、チェックしたら、ちゃんとしてあった。

山種美術館の図録は、ほかの展覧会のばかでかいのと違って、コンパクトなので、必ず購入している。”断捨離本棚”にやさしいし、第一、重いものは持ちたくない(笑)。では、その図録とテレビ画面で、”超ド級の日本画”を紹介したい。

川端龍子(1885-1966)は、和歌山で生まれ、上京後、洋画家でスタートし、文展に入選もした。その後、二十代で新聞や雑誌の挿絵を手掛けるようになり、”ジャーナリズム性”を獲得する。海外渡航後、何故か、日本画に転向し、30歳で再興院展に入選。二年後に同人に推挙されるも、軋轢があり脱退。1929(昭和4)年、”青龍社”を創立、大衆のための作品を発表し続けた。川端龍子の回顧展を見るのは、はじめて。豪快にして繊細。龍子作品にすっかり魅せられてしまった。

火生(1921) 高野山明王院の不動明王が下敷きだが、日本武尊をも重ねている。この作品に対し、これは”会場藝術”だと批判を浴びる。これに反発して、大衆が喜ぶ会場藝術こそ正統であると、のちに青龍社を立ち上げたのだ。

鳴戸(1929) 院展を脱退し、青龍社を立ち上げたあとの第1回展作品。阿波の鳴戸を想定したが、実際は江ノ浦(小田原)での写生を元にしたという。ダイナミックで豪快な、まさに”会場藝術”。

香炉峰(1939) 日中戦争がはじまり龍子は海軍省嘱託として戦地へ。自身も乗った偵察機を前面に出し、機体を半透明にして、背景の廬山を描いた。

操縦士が本人だったのにはおどろいた。

爆弾散華(1945) 終戦2日前、東京空襲を受け、母家は焼け落ちたが、画室が残った。その九死に一生を得た体験が植物に擬して描かれている。戦争で散った多くの命への想いが込められている。

金閣炎上(1950) これは、龍子の”ジャーナリズム性”が面目躍如とした作品。1950年7月2日、金閣寺が放火により炎上した。現地取材をして、なんと二か月内に完成させたという。古典的な表現で描いた火焔は、めらめらと燃え上る様を見事に表してる。

夢(1951) これもジャーナリスティックなもの。1950年、平泉の中尊寺金色堂に安置されていた藤原氏四代の遺体の学術調査が行われた。取材もし、翌年、本作を完成。棺の蓋を開けると、色とりどりの蛾が飛び出してくる。

舞う蛾。御舟の”炎舞”の蛾のようだ。


草の実(1935) こういう繊細な絵も描く。前回記事のビンボウカズラやヘクソカズラも入っているかも(笑)。

龍子は、ホトトギスの同人で、1日1句をモットーに晩年まで俳句をつくっていたそうだ。

萩の宿(1952) 芭蕉の奥の細道、ひとつやに遊女も寝たり萩と月がテーマではないかと言われている。奥の細道の旅路も5回に分けて踏破しているとのこと。

持仏堂の龍子。 信仰もあつかった。


それでは、みなさん、龍子のように、大胆かつ繊細に、今日も一日、お元気で!

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酔芙蓉の初花&へくそかずら王国発見 大船にて

2017-08-22 21:03:07 | Weblog

こんばんわ。

一昨日、横浜山手で酔芙蓉へくそかずらの初見をしたことを報告した。いずれ、大船でもと思っていたが、意外に早く実現した。

今朝の散歩道で、原節子桜(僕の命名)に寄りそうような酔芙蓉が一つだけ見事な花を咲かせていた。今シーズンの初花である。毎朝、調査しているので”初花”で間違いない。そのときは、カメラを持参していなかったので、あとで撮ろうと思っていた。そして、そのとき、出来れば、へくそかずらの花も見付けて、横浜のように両者同日初見にしたいと思った。

我が家で、(中村の清原超えの本塁打新記録もあった)広陵対天理の熱戦を最後までみて、午後、へくそかずら探索の旅に出た。大長寺までの道で以前、見つけた記憶があるので、注意深く、垣根を見て歩いたが、見つからなかった。仕方なく、大回りして、帰る途中、ある空き地で、あっと声を上げた。外人墓地のヘクソカズラとはけた違いに群生していて、まさに”へくそかずら王国”といってもいいような群落だった。

広大なへくそかずら王国(画面全体にへくそかずらの花が咲いている!)



うしろは空き地になっている。

なんと、その隣りには、びんぼうかずら(ヤブカラシのこと)王国が!二種とも、このうらぶれた空き地が性に合うらしい。


ちょうど、こちらも花盛りだった。

その近くの豪邸にからみつく、るりまつり王国も見付けた。こちらも花盛りだった。

朝、初花を認めた酔芙蓉は、そこから歩いて5分ほど。

原節子桜に寄りそう酔芙蓉。ひとつだけ花をつけている。

朝、真っ白だった花だが、午後2時頃には、うっすらとピンクがかってきていた。

もう一度、4時頃に来てみると、さらにピンク度を増していた。もう、すっかり酔っぱらったようだ。


 
こうして、大船でも酔芙蓉&へくそかずらの同日初見を実現した。さらに幸運にも、花盛りのびんぼうかずら&るりまつりまで見ることができた。めったにない、いい一日だった。

それでは、おやすみなさい。

いい夢を。

100年振りに、米国を横断した皆既日食!

日本には2035年に。できれば見てみたい。

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明月院 華やぐ秋海棠と藪蘭

2017-08-22 06:45:25 | Weblog

おはようございます。

8月も下旬に入り、いよいよ夏も終盤。およそ一と月振りに明月院を訪れた。あのときは山百合が咲き誇り、ぼくをびっくりさせてくれたが、今回は、秋海棠と薮蘭(ヤブラン)におどろかされた。ここも、いつなんどき行っても、思いがけない花が姿を現し、楽しませてくれる。

紫陽花園の中央道。

その登り口付近で交差する横道が、秋海棠街道(笑)。街道をゆく。

秋海棠

さて、街道筋から目をちょっと園内の地べたに移すと、薮蘭の群落!こんな数のヤブランはなかなか見られないかもねぎ。やぼみょうがは何処でも見られるけどね。

薮蘭

あちこちに。薮蘭と子猫。

薮蘭と竹、竹藪を破らんとする勢い、

そのほかは少数派ですががんばっていました。

萩も一株、だいぶ花をつけていました。


百日紅も一本、本堂の横で。さるすべり美人がふたり。

本堂では、円窓美人が(笑)

円窓美人(松園)

凌霄花はわずかに残る。

ノリウツギはまだ盛り。




ミズヒキもあちこちで。

明月院の夏のおわりは夏水仙で締めましょう。

こんどは九月に、お会いしましょう、花想い地蔵さま。

それでは、今日も一日、お元気で!

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高砂百合、北鎌倉の線路脇に進出

2017-08-21 22:33:48 | Weblog

こんばんわ。

高砂百合が北鎌倉の横須賀線・線路脇にまで進出していましたので、緊急報告したいと思います(笑)。

横須賀線沿いの高砂百合

今まで知らなかった。数珠玉は知っていたけど。

地味だけど、今、花盛りです。

向かいの円覚寺側にも、こんなりっぱな高砂百合が!ここから種が飛んだのだろうか(笑)。


では、おやすみなさい。

いい夢を。


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