'07.08.16 『私たちの幸せな時間』@シネカノン
重そうなテーマながら気になってた映画。やっと見に行く。
「自殺未遂を繰り返す元歌手のユジョンは、叔母から頼まれて死刑囚のユンスに会う。お互い傷を抱える2人はやがて心を通わせ…」という話。韓国映画でこのタイトルだと少女マンガ的な恋愛モノを想像するけど違う。ラブストーリーには違いないけど、ホントに描きたいのはそこじゃない。
2人の抱える問題や心の傷は違うけど、ようするに大切な人に愛されなかったということ。ユンスは貧しい境遇に生まれ、両親の愛を知らずに育ち、たった一人の弟も悲劇的な状況で失う。両親に愛され、特別裕福ではないけど特別貧乏でもない家庭に育った者からすれば、それはかなり不幸な境遇ではある。だからといって人を殺していい事にはならないと思うけど。ユジョンは裕福な家庭に育った。歌手としてそれなりに人気があったようだ。でも、母親との関係に問題があるらしく、家族の集まりでは毎回トラブルを起こす。そんなにイヤなら行かなきゃいいと思うのに、文句を言いながら出席するのはやっぱり家族を必要としているから。
誰かの愛を求めながらも、人に心を開けない2人が初めは反発し、後にお互いかけがえのない存在となっていく過程が丁寧に描かれる。互いの傷を舐め合うのとも違う。彼が現在死刑囚である点を除けば、若干の違いはあれ2人と同じような傷を持ってる人はいると思う。彼らの傷は他人によってつけられた。でも、その傷を癒すのは他人の助けがあったとしても、結局は自分なのだ。自分で自分の傷を認め、それと向き合い受け止めなければ、本当には癒されない。でも、その作業は辛い。だからユンスもユジョンも攻撃的になって人を寄せ付けなくなった。そしてお互いを否定し反発し合う。反発し合いながらもユジョンは会いに来るし、ユンスも面会を拒むことはない。それはやっぱり心の底では誰かと繋がっていたいと思っているから。でも、傷つき頑なになってしまった心には、差し伸べられた手は素直に取れないのかもしれない。その辺りがしっかりと描かれている。
もう一つのテーマは死刑制度の是非。声高ではないけれど映画としては廃止の姿勢。刑務官達の食事シーンの会話でも分かる。そして彼が殺した家政婦の母親の行動。彼女の心の動きや行動は素晴らしいけど、実際自分がこの立場だったらどうだろうか? 彼女の行動は「汝の敵を愛せよ」というキリスト教の教えに支えられている。私はキリスト教徒ではないので間違っているかもしれないけれど、憎む相手を赦すことが結果的には自分を救うことになるという教えなのだと思う。ユジョンが母親を赦すことがまさにそれ。そして、おそらく犯人がどんなに悔い改めたとしても、死刑執行されたとしても遺族の心の傷が癒えることはないのだろう。何の罪もない人の命を奪うことはもちろん赦されることではない。では罪を犯した人間の命を奪うことは殺人ではないのか?と映画は問いかける。なかなか難しい問題だ・・・。悔い改めた死刑囚が死に向かう姿を見れば助けたいとも思うけど、彼が犯した罪を思えば殺すべきとは言わないまでも、死刑は妥当なのではないだろうかと思ったりもする。
ユンスもユジョンも人生に絶望して生きることに希望を持てないでいる。2人が互いに心を開き、心の傷を曝け出すことで癒され、生きていたいと思うようになる姿がいい。自分の傷にしか向いていなかった気持ちが、相手を思いやる気持ちに向かうようになる。やがて恋愛感情になっていくけどこれは恋ではなく「愛」なのでしょう。
主役2人の演技が良かった。ユジョンはかなり難役だと思う。問題を抱えているのはわかるけど、原因が何かは途中まで分からない。何に対しても投げやりで、常に怒りっぽい。怒りを抑えられないと家族の車に自分の車をぶつけるなど常軌を逸した行動が多い。見ている側は感情移入しにくい。でも不思議と嫌悪感はない。柴崎コウ似のややきつめの表情のイ・ナヨンは、全身で痛みを表現していて誰かを罵っている時ですら痛々しい。彼女の演技はスゴイ。ユンス役のカン・ドンウォンは死刑囚であるという時点で普通の人ではないので、ある意味それが有利な気もするけど、最後の大芝居が大仰過ぎず、見ていて置いてきぼりな感じがなかったのは彼の演技のおかげかも。
かなり重い作品なので気軽に見に行く感じではない。でも、本当のテーマは命の重さ、生きるということ、そして赦し。ユジョンの叔父が彼女に言う「泣きたい時は泣いてもいいんだ」とか、心に響くセリフが多い。あざとくなりがちなそんなセリフも素直に入ってくる。今、心に傷がある人には荒療治だけどいいかもしれない。人を赦すことは自分を赦すことになるから。傷というのは自分を赦せないから癒されないのだと思う。自分を赦せないのは辛い。ユンスに生きていたいと思わせるのは、かえって残酷なんじゃないかと思っていたけど、やっぱり赦されてよかったと思う。
ズッシリ重いけど、見ごたえのあるいい映画だったと思う。「木曜10:00-13:00私たちの幸せな時間」と書かれた写真が美しい。
『私たちの幸せな時間』Official Site
重そうなテーマながら気になってた映画。やっと見に行く。

2人の抱える問題や心の傷は違うけど、ようするに大切な人に愛されなかったということ。ユンスは貧しい境遇に生まれ、両親の愛を知らずに育ち、たった一人の弟も悲劇的な状況で失う。両親に愛され、特別裕福ではないけど特別貧乏でもない家庭に育った者からすれば、それはかなり不幸な境遇ではある。だからといって人を殺していい事にはならないと思うけど。ユジョンは裕福な家庭に育った。歌手としてそれなりに人気があったようだ。でも、母親との関係に問題があるらしく、家族の集まりでは毎回トラブルを起こす。そんなにイヤなら行かなきゃいいと思うのに、文句を言いながら出席するのはやっぱり家族を必要としているから。
誰かの愛を求めながらも、人に心を開けない2人が初めは反発し、後にお互いかけがえのない存在となっていく過程が丁寧に描かれる。互いの傷を舐め合うのとも違う。彼が現在死刑囚である点を除けば、若干の違いはあれ2人と同じような傷を持ってる人はいると思う。彼らの傷は他人によってつけられた。でも、その傷を癒すのは他人の助けがあったとしても、結局は自分なのだ。自分で自分の傷を認め、それと向き合い受け止めなければ、本当には癒されない。でも、その作業は辛い。だからユンスもユジョンも攻撃的になって人を寄せ付けなくなった。そしてお互いを否定し反発し合う。反発し合いながらもユジョンは会いに来るし、ユンスも面会を拒むことはない。それはやっぱり心の底では誰かと繋がっていたいと思っているから。でも、傷つき頑なになってしまった心には、差し伸べられた手は素直に取れないのかもしれない。その辺りがしっかりと描かれている。
もう一つのテーマは死刑制度の是非。声高ではないけれど映画としては廃止の姿勢。刑務官達の食事シーンの会話でも分かる。そして彼が殺した家政婦の母親の行動。彼女の心の動きや行動は素晴らしいけど、実際自分がこの立場だったらどうだろうか? 彼女の行動は「汝の敵を愛せよ」というキリスト教の教えに支えられている。私はキリスト教徒ではないので間違っているかもしれないけれど、憎む相手を赦すことが結果的には自分を救うことになるという教えなのだと思う。ユジョンが母親を赦すことがまさにそれ。そして、おそらく犯人がどんなに悔い改めたとしても、死刑執行されたとしても遺族の心の傷が癒えることはないのだろう。何の罪もない人の命を奪うことはもちろん赦されることではない。では罪を犯した人間の命を奪うことは殺人ではないのか?と映画は問いかける。なかなか難しい問題だ・・・。悔い改めた死刑囚が死に向かう姿を見れば助けたいとも思うけど、彼が犯した罪を思えば殺すべきとは言わないまでも、死刑は妥当なのではないだろうかと思ったりもする。
ユンスもユジョンも人生に絶望して生きることに希望を持てないでいる。2人が互いに心を開き、心の傷を曝け出すことで癒され、生きていたいと思うようになる姿がいい。自分の傷にしか向いていなかった気持ちが、相手を思いやる気持ちに向かうようになる。やがて恋愛感情になっていくけどこれは恋ではなく「愛」なのでしょう。
主役2人の演技が良かった。ユジョンはかなり難役だと思う。問題を抱えているのはわかるけど、原因が何かは途中まで分からない。何に対しても投げやりで、常に怒りっぽい。怒りを抑えられないと家族の車に自分の車をぶつけるなど常軌を逸した行動が多い。見ている側は感情移入しにくい。でも不思議と嫌悪感はない。柴崎コウ似のややきつめの表情のイ・ナヨンは、全身で痛みを表現していて誰かを罵っている時ですら痛々しい。彼女の演技はスゴイ。ユンス役のカン・ドンウォンは死刑囚であるという時点で普通の人ではないので、ある意味それが有利な気もするけど、最後の大芝居が大仰過ぎず、見ていて置いてきぼりな感じがなかったのは彼の演技のおかげかも。
かなり重い作品なので気軽に見に行く感じではない。でも、本当のテーマは命の重さ、生きるということ、そして赦し。ユジョンの叔父が彼女に言う「泣きたい時は泣いてもいいんだ」とか、心に響くセリフが多い。あざとくなりがちなそんなセリフも素直に入ってくる。今、心に傷がある人には荒療治だけどいいかもしれない。人を赦すことは自分を赦すことになるから。傷というのは自分を赦せないから癒されないのだと思う。自分を赦せないのは辛い。ユンスに生きていたいと思わせるのは、かえって残酷なんじゃないかと思っていたけど、やっぱり赦されてよかったと思う。
ズッシリ重いけど、見ごたえのあるいい映画だったと思う。「木曜10:00-13:00私たちの幸せな時間」と書かれた写真が美しい。
