これはホントに見たかった! 見逃していたのでDVDにて鑑賞。これは映画館で見たかった・・・(涙)
「1944年フランコ独裁政権下のスペイン。父を亡くしたオフェリアは、身重の母と共に継父ビダル大尉の元へ向かう。息子の誕生にしか興味のない大尉との辛い日々の中、オフェリアの前に牧神パンが現れ、彼女こそ地下にある迷宮(パンズ・ラビリンス)の王女であると告げるのだが・・・」という話。なんて悲しくて美しいんだろう! これは大人のファンタジー。
冒頭から美しい。美しい少女が血を流して倒れている。とっても不謹慎だけど死にゆく少女が本当に美しい。鼻から流れた血がゆっくり戻っていくと一気に地下の王宮へ。重厚なナレーションにより地上に憧れた王女が王宮を抜け出し、やがて自分が誰であるかを忘れてしまい死んでしまったが、王国では彼女が生まれ変わって戻ってくるのを待っていることが語られる。そして廃墟から現実の世界へ切換わる。この場面転回が美しい。少女は森の中で牧神パンの遺跡を見つけ、拾った欠片を元の位置に埋め込む。どこからともなく虫がやってくる。この虫のデザインがいい。
車は大尉の元へ。接収したと思われる森の中の屋敷で大勢の部下と共に出迎える。時間を気にする神経質そうな男。オフェリアへの態度や、臨月の妻を山道を長時間旅させることからも、彼が妻すら愛していない自己中心的な人物であることが分かる。おそらくビダルはフランコ政権、いや自己中心的で他人の事を思いやれないという根源的な「悪」を体現しているのだと思う。オフェリアは無垢なものの象徴。母は愚かさの象徴と言ったら少しかわいそうかな・・・。あの時代、子供を抱えた女性が1人で生きることは大変だっただろう。
ここからの現実はひたすら辛い。傍若無人にふるまう大尉だって決して幸せではないだろうし、楽しくもないはず。大尉はこの山中に潜む反政府組織を壊滅する任務に就いているらしい。大尉というのがどのくらい偉いのか分からないけど、罪もない農民をろくに調べもせず、口ごたえしたからといって虫けらのように殺し、何の罪悪感もなくいられるご身分なのか? でも、こんな人間はいくらでもいる。彼が顔に負った傷を自分で治療するシーンが彼の全てを現している。誰も信じない。おそらく自分のことも愛してはいない。おそらく息子も愛さないだろう。父親の呪縛に縛られて、手柄を立てることと、跡継ぎを残すことだけに生きている。
もう1人重要な人物メルセデス。家政婦長のような彼女は、実は反政府組織のリーダー格ペドロの姉でスパイ。彼女は正義と強さの象徴。そしてオフェリアの母とは別の母性の象徴。この映画は主要な人物が、それぞれの対比となっている。正義と悪。穢れと無垢。愚かさと賢さ。もちろん単純にバッサリ振り分けられるものでもないけど。共通するのは「そうでなければ生きられなかった」という事。ビダルですら政権側から見れば正義なのだし、愛を知らない彼はああ生きるしかなかったのだろう。だからといって許せないけど。医師は自らを殺して生きてきたけど、仲間や自分を欺くことに耐え切れず、結果的に死を選ぶことになる。メルセデスは彼女なりに闘うことで生きている。そしてメルセデスはオフェリアでもあるんだと思う。彼女が最後にビダルに向かって言う一言が重い。
オフェリアがいい。本ばかり読んでいる夢見がちな少女。パンズ・ラビリンスも、牧神パンも、そして他の妖精たちも彼女の想像の産物なのかもしれない。そうしなければ辛い現実を生きていけない少女の悲しい物語のようにも思える。母親は何度も彼女に空想はやめて大人になれと言う、でもそれは酷。昔は妖精を信じていたというメルセデスに後の自分を重ねて、おとぎの世界を捨てて辛い現実を生きるなら・・・。彼女はいつも母親の胎内にいる弟に語りかけていた。どんなに自分が愛しているか、この世界は辛いけど自分がいるから大丈夫。でも、出てくるときママを苦しめないで。健気で涙が出た。そして彼女がどれだけ孤独なのかが分かる。
オフェリアが王女に戻るためには3つの試練を乗り越えなくてはならない。第1の試練カエルの巣のシーンで、母が作ってくれた美しいドレスと新しい靴が泥まみれになる。それは無垢なものが汚されていく事を表しているんだと思う。第2の試練のクリーチャーのデザインがいい! ずっとボケーっとしてて動き出したらあんな(笑) 目玉を手に埋め込んで顔にあてて見るなんて、なんというデザイン! 素晴らしい。でも、これが彼女の想像の産物なのだとしたら、なんとも悲しい。王女になるにもこんな試練が必要だと思っているなんて切ない。でも、オフェリアはそんな想像をしそうな感受性豊かな少女なのだ。そして最後の試練・・・(涙)
オフェリア役のイバナ・バケロがいい。単純に虐待されたかわいそうな子にも、空想に逃避している子にもなっていない。彼女なりに必死に母や弟を守ろうとしている。辛い現実を見ようとしているからこそ、空想の世界を作らざるをえないのじゃないかと見ている側に思わせる。悲しげに潤んだ瞳が美しい。ビダル大尉のセルジ・ロペスも熱演。彼の演技あってこその映画ともいえる。医師役の人も、母親役の人も良かった。そしてメルセデスのマリベル・ベルドゥが素晴らしい。
終始これは少女の空想なのか、それとも本当にあるのか分からない描き方をしている。どちらを取ってもそれは見る人の感じたままでいいのだと思う。迷宮世界も決して甘い世界ではないのがいい。それがまた切ない。少女が主人公だけど、子供向けではない。『ロード・オブ・ザ・リング』にしても、決して楽しく美しいだけではない。どこか切なくて悲しくて深い。見る側も一緒に苦しむ。本当のファンタジーというのはそういうものなんだと思う。
とにかく映像が美しい。牧神パンをはじめとしたクリーチャーはもちろん。迷宮世界の妖しい美しさ。現実世界の古い屋敷内の暗い感じもいい。オフェリアが使う中世みたいなお風呂場とか。いちいちイイ! 反政府組織の戦闘シーンですら美しい。そしてラスト・・・。
このラストは間違いなく今まで見た中で3本の指に入る美しさ。メルセデスの哀しく美しい子守唄を聞きながら、少女は自分の身を犠牲にして信じた世界に行けたのだと信じたい。たとえ一瞬の夢だとしても・・・。
素晴らしい!
『パンズ・ラビリンス』Official site

冒頭から美しい。美しい少女が血を流して倒れている。とっても不謹慎だけど死にゆく少女が本当に美しい。鼻から流れた血がゆっくり戻っていくと一気に地下の王宮へ。重厚なナレーションにより地上に憧れた王女が王宮を抜け出し、やがて自分が誰であるかを忘れてしまい死んでしまったが、王国では彼女が生まれ変わって戻ってくるのを待っていることが語られる。そして廃墟から現実の世界へ切換わる。この場面転回が美しい。少女は森の中で牧神パンの遺跡を見つけ、拾った欠片を元の位置に埋め込む。どこからともなく虫がやってくる。この虫のデザインがいい。
車は大尉の元へ。接収したと思われる森の中の屋敷で大勢の部下と共に出迎える。時間を気にする神経質そうな男。オフェリアへの態度や、臨月の妻を山道を長時間旅させることからも、彼が妻すら愛していない自己中心的な人物であることが分かる。おそらくビダルはフランコ政権、いや自己中心的で他人の事を思いやれないという根源的な「悪」を体現しているのだと思う。オフェリアは無垢なものの象徴。母は愚かさの象徴と言ったら少しかわいそうかな・・・。あの時代、子供を抱えた女性が1人で生きることは大変だっただろう。
ここからの現実はひたすら辛い。傍若無人にふるまう大尉だって決して幸せではないだろうし、楽しくもないはず。大尉はこの山中に潜む反政府組織を壊滅する任務に就いているらしい。大尉というのがどのくらい偉いのか分からないけど、罪もない農民をろくに調べもせず、口ごたえしたからといって虫けらのように殺し、何の罪悪感もなくいられるご身分なのか? でも、こんな人間はいくらでもいる。彼が顔に負った傷を自分で治療するシーンが彼の全てを現している。誰も信じない。おそらく自分のことも愛してはいない。おそらく息子も愛さないだろう。父親の呪縛に縛られて、手柄を立てることと、跡継ぎを残すことだけに生きている。
もう1人重要な人物メルセデス。家政婦長のような彼女は、実は反政府組織のリーダー格ペドロの姉でスパイ。彼女は正義と強さの象徴。そしてオフェリアの母とは別の母性の象徴。この映画は主要な人物が、それぞれの対比となっている。正義と悪。穢れと無垢。愚かさと賢さ。もちろん単純にバッサリ振り分けられるものでもないけど。共通するのは「そうでなければ生きられなかった」という事。ビダルですら政権側から見れば正義なのだし、愛を知らない彼はああ生きるしかなかったのだろう。だからといって許せないけど。医師は自らを殺して生きてきたけど、仲間や自分を欺くことに耐え切れず、結果的に死を選ぶことになる。メルセデスは彼女なりに闘うことで生きている。そしてメルセデスはオフェリアでもあるんだと思う。彼女が最後にビダルに向かって言う一言が重い。
オフェリアがいい。本ばかり読んでいる夢見がちな少女。パンズ・ラビリンスも、牧神パンも、そして他の妖精たちも彼女の想像の産物なのかもしれない。そうしなければ辛い現実を生きていけない少女の悲しい物語のようにも思える。母親は何度も彼女に空想はやめて大人になれと言う、でもそれは酷。昔は妖精を信じていたというメルセデスに後の自分を重ねて、おとぎの世界を捨てて辛い現実を生きるなら・・・。彼女はいつも母親の胎内にいる弟に語りかけていた。どんなに自分が愛しているか、この世界は辛いけど自分がいるから大丈夫。でも、出てくるときママを苦しめないで。健気で涙が出た。そして彼女がどれだけ孤独なのかが分かる。
オフェリアが王女に戻るためには3つの試練を乗り越えなくてはならない。第1の試練カエルの巣のシーンで、母が作ってくれた美しいドレスと新しい靴が泥まみれになる。それは無垢なものが汚されていく事を表しているんだと思う。第2の試練のクリーチャーのデザインがいい! ずっとボケーっとしてて動き出したらあんな(笑) 目玉を手に埋め込んで顔にあてて見るなんて、なんというデザイン! 素晴らしい。でも、これが彼女の想像の産物なのだとしたら、なんとも悲しい。王女になるにもこんな試練が必要だと思っているなんて切ない。でも、オフェリアはそんな想像をしそうな感受性豊かな少女なのだ。そして最後の試練・・・(涙)
オフェリア役のイバナ・バケロがいい。単純に虐待されたかわいそうな子にも、空想に逃避している子にもなっていない。彼女なりに必死に母や弟を守ろうとしている。辛い現実を見ようとしているからこそ、空想の世界を作らざるをえないのじゃないかと見ている側に思わせる。悲しげに潤んだ瞳が美しい。ビダル大尉のセルジ・ロペスも熱演。彼の演技あってこその映画ともいえる。医師役の人も、母親役の人も良かった。そしてメルセデスのマリベル・ベルドゥが素晴らしい。
終始これは少女の空想なのか、それとも本当にあるのか分からない描き方をしている。どちらを取ってもそれは見る人の感じたままでいいのだと思う。迷宮世界も決して甘い世界ではないのがいい。それがまた切ない。少女が主人公だけど、子供向けではない。『ロード・オブ・ザ・リング』にしても、決して楽しく美しいだけではない。どこか切なくて悲しくて深い。見る側も一緒に苦しむ。本当のファンタジーというのはそういうものなんだと思う。
とにかく映像が美しい。牧神パンをはじめとしたクリーチャーはもちろん。迷宮世界の妖しい美しさ。現実世界の古い屋敷内の暗い感じもいい。オフェリアが使う中世みたいなお風呂場とか。いちいちイイ! 反政府組織の戦闘シーンですら美しい。そしてラスト・・・。
このラストは間違いなく今まで見た中で3本の指に入る美しさ。メルセデスの哀しく美しい子守唄を聞きながら、少女は自分の身を犠牲にして信じた世界に行けたのだと信じたい。たとえ一瞬の夢だとしても・・・。
素晴らしい!
