【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:中宮寺・法輪寺」


中宮寺(聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ)を発願したのは、聖徳太子(
Wikipedia)の母穴穂部間人皇后(
Wikipedia)。後に出てくるけど、当時600人近い尼僧がいたそうで、隣接する法隆寺が男性の僧侶のための寺であることから、尼僧のための寺として発願されたのだそう。
中宮寺_本堂
中宮寺は2度訪れたことがある。昭和に建てられた本堂は、世界最古の木造建築である法隆寺(法隆寺)を見た後では、ありがたみが薄いような気がしたけれど、水に浮かぶその佇まいは、極楽浄土を思わせた。度重なる火災に備えてのことだったとは知らなかった! あの美しい菩薩様をお守りするためだったのね

中宮寺_半跏思惟像
自分が今まで見た中で一番美しく、一番好きな仏様が中宮寺の菩薩半跏像(半跏思惟像(はんかしゆいぞう)とは|コトバンク)。右ひざを左足の上に乗せ、頬にそえた右腕を右ひざの上に乗せるポーズを、半跏思惟という。これは弥勒菩薩(
Wikipedia)のポーズなのだけど、お寺では如意輪観音(
Wikipedia)として伝わっているそう。 tweetにもあるとおり、人々を救う方法を考えておられる姿なのだけど、口の端を少し上げたアルカイックスマイルと、長い間に黒光りしたお体からは、宇宙の広がりを感じさせる。これは弥勒菩薩が釈迦入滅後56億7千万年後に地球に下生すると言われていることから影響を受けているのかもしれないけれど、本当にこの菩薩様の前に座っていると、その背後に宇宙空間を感じる。正気ですよ!(笑)
お前立について調べてみたけど分からず 童子のような姿をしていたように思うのだけど・・・ 阿閦如来(
Wikipedia)はサンスクリットでアクショービヤで、これは不動という意味があるとのこと。

中宮寺_天寿国曼荼羅繍帳
正式名称は天寿国曼荼羅繍帳で、tweetにもあるとおり極楽浄土を表した刺繍。奈良時代の人こんな感じだったのか~ なんかカワイイ
亀の甲羅に書かれていたであろう文字が"世間虚仮 唯仏是真"(世間虚仮唯仏是真とは|コトバンク)で、聖徳太子の言葉であるとのこと。聖徳太子は2歳で南無仏と唱えたという伝説があるらしい!

中宮寺_表御殿
母穴穂部間人皇后の発願により建てられたお寺だけど、門跡となったのは1600年頃なのだそう。皇族を迎えるために建てられたのが表御殿で書院造。上段の間は皇族の居間ということらしい。天皇をお迎えすることもあったのかな?
ここから、法輪寺!

聖徳太子が斑鳩宮(Wikipedia)に移る際に、三つの井戸を掘らせたことから三井という地名になったとのことで、このうちの1つが今もこの地に残る赤染井だと言われいるのだそう。法輪寺(
法輪寺ホームページ)を創建したのは聖徳太子の息子である山背大兄王(
Wikipedia)なのだそう。
法輪寺
ちょっと分かりにくいけど、この門を入って左手に塔、右手に金堂が配置されているのが法隆寺式伽藍(法隆寺式伽藍配置とは|コトバンク)というのだそう。

法輪寺_三重塔



法輪寺_薬師如来
法輪寺_虚空蔵菩薩
法輪寺の薬師如来様(Wikipedia)も、虚空蔵菩薩様(
Wikipedia)も、飛鳥時代の特徴である楠の一木造りだそうで、とっても素朴で親しみやすいお姿をしておられる。目がアーモンド形なのも飛鳥時代の仏像の特徴。光背に彩色が残っているのが素晴らしい!
法輪寺_十一面観音菩薩
十一面観音菩薩様(Wikipedia)はなんと台座から一本の木で造られているのだとか! しかも3m超ってスゴイ!! この十一面観音様も飛鳥時代の作らしいけれど、モダンなお姿。

妙見菩薩様(Wikipedia)という仏様については知らなかった! まだまだ知らない仏様がいらっしゃる。
お寺って木造建築であるだけでなく、塔などを配置しているため、その土地で一番高い建物だったりするので、落雷などの被害に遭いやすい。戦などもあったりして焼失してしまうことが多かった。その度、人々によって仏像が運び出されたり、復興されたしてきたから、日本にはたくさんのお寺が残っている。そういう名もなき人々の気持ちに涙してしまう
古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ