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セルゲイ・ディアギレフ生誕145周年
バレエ・リュスの人だよね? 知ってるようでよく知らない。
ってことで、毎度のWikipediaによりますと・・・
セルゲイ・ディアギレフ(露: Серге́й Па́влович Дя́гилев)は、ロシアの芸術プロデューサー。
美術雑誌『芸術世界』の発起人や、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の創設者として名高く、
当時の名だたる作曲家に歴史に残るバレエ音楽の傑作を依嘱した。
とのことで・・・
生い立ちと『芸術世界』、ロシア音楽演奏会などの項目もあるのだけど、
結構長いので割愛して、バレエ・リュスについて書かれた項目から
1911年、2度のバレエ公演を成功させたディアギレフは、借り物ではない、
常設のバレエ団バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を結成した。
バレエ・リュスでのディアギレフは「天才を見つける天才」ぶりを発揮して多くの芸術家を動員し、
「総合芸術としてのバレエ」という、これまでになかった芸術スタイルを確立した。
ミハイル・フォーキン、ヴァーツラフ・ニジンスキー、レオニード・マシーン、
ブロニスラヴァ・ニジンスカ、ジョージ・バランシンらが独創的な振付けを行い、
『火の鳥』以後、『ペトルーシュカ』(1911年)、『春の祭典』(1913年)、
『プルチネルラ』(1920年)、『結婚』(1923年)などを作曲したストラヴィンスキーの他、
ラヴェル(『ダフニスとクロエ』、1912年)、ドビュッシー(『遊戯』、1913年)、
プロコフィエフ(『道化師』、1920年、『鋼鉄の歩み』、1925年)、サティ(『パラード』、1917年)、
レスピーギ(『風変わりな店』、1918年)、 プーランク(『牝鹿』、1923年)など、
多くの作曲家がディアギレフの委嘱に応じてバレエ音楽を作曲し、
ピカソ、マティス、ローランサン、ミロなどの画家が舞台美術を手がけた。
また、ミシア・セールをはじめとするパリ社交界のパトロンたちや、
ココ・シャネルはバレエ・リュスの活動を金銭的に援助した。
1929年、ディアギレフはシーズンが終わった7月から8月にかけて、
若き作曲家イーゴリ・マルケヴィチを連れてドイツやスイスを旅するが、
その後、持病の糖尿病が悪化して8月19日にヴェネツィアで客死しサン・ミケーレ島の近辺に埋葬された。
世界恐慌が起こる二ヶ月前のことであった。
バレエ・リュスは、ディアギレフの死によって解散したが、
その団員からはバランシンらのように、ロシアのクラシック・バレエの伝統を米国や英国に移植した者や、
バレエ教師セルジュ・リファールのように、パリ・オペラ座で復活を遂げた者を輩出した。
とのことで、これはホントにスゴイ集団だったのね~
見たかった。*✧ヾ(。>ㇸ<。)ノ゙✧*。
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