毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
タマラ・ド・レンピッカ生誕120周年
好きな画家だけど、詳しいことは知らない😅
毎度のWikipediaによりますと・・・
タマラ・ド・レンピッカ(フランス語: Tamara de Lempicka、
ポーランド語の読みはタマラ・ド・ウェンピツカ、1898年5月16日 - 1980年3月18日)は
タマラは本名ではなく、
マリア・グルスカ(ポーランド語: Maria Górska)が出生名であったとする説がある。
結婚後の姓であるポーランド語: Łempicka (ウェンピツカ)は、
ポーランド国外では Lempicka と表記されることが多い。
ってことで、ポーランド人なのね
父はポーランド人弁護士ボリース・グールスキイ、
母マルヴィナ(旧姓デクレル)はポーランド人の上流階級(シュラフタ)出身という、
裕福な家庭に生まれる。
1916年、叔父のコネを利用して、その男性と結婚する。
男性はタデウシュ・ウェンピツキというポーランド人弁護士で、
スマートな美男子の女たらしとして有名で、
結婚したのも持参金が目当てだったとも言われることがあるが、
タデウシュが当時金銭的に困窮していた形跡はなく、
女性経験の豊富な美男子を獲らえて結婚することが優れた女の証だった。
ってスゴイ話💦💦
1919年、パリで娘キゼットが生まれる。
家計を立て直すため、彼女は画家になる決意をする。
タマラ・ド・レンピッカという名前で、アカデミー・グラン・ショミエールに入り、
1923年には、主要なサロンに作品を出品するまでになり、
スタイリッシュに服を身にまとい、スタジオを賃借し、車も購入、
プライベート・バンクに預金口座を開けるまでに稼いだ。
ボヘミアン的な芸術家人生を謳歌し、さらにはパリの上流社会にまで上り詰めた。
1927年、彼女は生まれてはじめて大きな賞を受賞する。
フランスのボルドー国際美術賞の金賞で、受賞作品は『バルコニーのキゼット』だった。
狂騒の20年代、タマラ・ド・レンピッカはパリでボヘミアン的な人生を送っていた。
パブロ・ピカソ、ジャン・コクトー、アンドレ・ジッドとは知り合いだった。
彼女の美貌、さらに彼女が両性愛者であることはよく知られていた。
男性とも女性とも関係を持つことは、当時においてはスキャンダラスで、騒がれた。
1933年には、ジョージア・オキーフ、サンチャゴ・マルティネス・デルガード、
ウィレム・デ・クーニングらとの仕事でシカゴに赴く。
同じ年、タマラはクフナー男爵と正式に結婚し(その前年男爵の妻が亡くなったので)、
「男爵夫人」という社会的地位も手に入れた。
年老いた世界中の仲間と少数の若い貴族に囲まれて暮らすためだった。
キゼットは夫を癌で失った後、母親の元に行き、
1980年3月1日、タマラが永眠するまでの3ヶ月間、付き添った。
タマラの遺灰は、ジョヴァンニ・アグスタ伯爵によって、ポポカテペトル山に撒かれた。
結構な情報量なうえ、あまり改行もないので抜粋しにくい💦
とりあえず気になった部分を抜き出してみた😌
かなり奔放というか豪快な方だったのね
芸術家たちが集まったパリという雰囲気もあったかもしれない🤔
このロゴ アールデコで素敵✨
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