【tv】ぶらぶら美術博物館「ハプスブルク展」
現在開催中の展覧会を紹介する番組。今回は国立西洋美術館で開催中の「ハプスブルク展」を取り上げていた。東京国立博物館で開催中の「文化財よ、永遠に」も同時に取り上げていたので、そちらは感想記事内(コチラ)に追記しておいた😌
日本とオーストリアの友好150周年を記念して開催された展覧会。今回の講師の中田明日香さんによりますと、ハプスブルク家のコレクションはウィーン美術史美術館が一番所蔵しているそうで、今回はそのコレクションを中心とした企画展とのこと。
ハプスブルク家について詳しくはWikipediaを見ていただくとして、山田五郎氏によりますとヨーロッパでハプスブルク家の血が入っていない王家はないと言われているのだそう。有名なのはマリア・テレジアとその娘マリー・アントワネット、そしてミュージカルでもおなじみエリーザベトだけど、ポスターにもなっているスペイン王女マルゲリータもハプスブルク家の血筋なんだよね。確かにスゴイわ。
「ヴュルテンベルク公ウルリッヒの実戦および槍試合用溝付き甲冑」
先ずは甲冑コレクションから。360度見れるのが画期的展示なのだとか。この「ヴュルテンベルク公ウルリッヒの実戦および槍試合用溝付き甲冑」という大変長いタイトルの甲冑は、有名な甲冑師が製作したものだそう。出演者たちはシェイプされたウエストに注目していて、これは当時の流行りだったのだそう。オシャレ用なのかとの質問もあったけれど、実戦でも使える作りになっているそうで、肩の形が左右で違っており、左は防御用に大きくなっていて、右は剣を振りやすくデザインされている。目はどうしてこうなったといういう質問もあり、これはカーニバルでも使われていたそうなので、装飾用でもあるということなのかな🤔
もう1つスカートのように裾が広がった甲冑も紹介されていたのだけど、タイトルが「徒歩や〇り試合」としかメモ取れてなくて画像が探せず正確なタイトルも分からない💦 裾が広がっているのは馬に乗ったからではないかとのことだった。
これらの甲冑を集めたのはフェルディナンド2世で、何とか言う名前のコレクション部屋を宮殿内に持っていたとのこと。クンスト・カマーとメモがあるのだけどこれが部屋の名前かな? 検索してみたら"驚異の部屋"(Wikipedia)というのが出て来た😅
「グリフィンの鉤爪」
象牙の盃。鉤爪のことについて説明してたけど全くメモが間に合わない。もうホントに最近字が書けなくて💦 出演者から尻尾の先のような部分がパイプの口のようになっているが?という質問があったけれど、液体をこの部分から注いでいる絵を見たことがあるので、そのように使われていたのではとのことだった。テレビ画面ではその絵が映っていたけれど、タイトルや作者をメモ取れていない😢 なんだか人の顔に液体を注いでいたけど何かの儀式?
ジュゼッペ・アルチンボルド「ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世」
フェルディナンド2世に影響を受けたのが甥っ子のルドルフ2世(Wikipedia)。このジュゼッペ・アルチンボルド(Wikipedia)による肖像画で有名だけど、今回この作品の展示はないのかな?
「スプーン」
「スプーン」です。「フォーク」もありますが画像が見つからず💦 これはポルトガル王家に嫁いだ大叔母カタリナからもらったのだそう。セイロンってメモがあるけど、セイロンで作られたということかな? 本体は水晶で出来ており、金の装飾がほどこされルビーが埋め込まれている。ルビーはフォークに55個、スプーンに77個使われているのだそう。スゴイね😲
アルブレヒト・デューラー「ヨハネス・クレーベルガーの肖像」
アルブレヒト・デューラー(Wikipedia)は当時ヨーロッパで人気の画家だったのだそう。このヨハネス・クレーベルガーというのは商人。成金で雇用主の未亡人に結婚を迫ったりして評判が悪かったらしい。人気のデューラーに肖像画を描かせることで、自分の力を誇示したかったのではないかということだったと思う。
円からはみ出て描くことで奥行きが出ている。裸体で円形なのは古代の王のコインをイメージしているのではないか? 左上の記号はしし座を表している。当時占星術は科学として扱われており、しし座は将来大成する星なのでそれをアピールしているのではないか。文字の最後にXXXXと描かれているが、これにより40歳の時の肖像であることが分かるのだそう。
ディエゴ・ベラスケス「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」
ディエゴ・ベラスケス(Wikipedia)の作品は4点来日しているそう。スペイン王家にもハプスブルクの血が流れており、当時の王フィリペ4世(Wikipedia)もハプスブルク家。フィリペ4世待望の王女がマルガリータ・テレサ(Wikipedia)。「ラス・メニーナス」でもおなじみの王女。ベラスケスは3歳、5歳、8歳の3回王女を描いていて、この肖像画は8歳の時。
何故、3回も王女を描いたのかというと、嫁ぎ先であるオーストリアのレオポルト1世(Wikipedia)のもとに、成長記録として送られたため。このレオポルド1世は叔父にあたり10歳以上年上だったため、結婚後も叔父さんと呼んでいたらしい。15歳で嫁ぎ21歳で死去。悲運の王女なのだった。
実は、この絵に並んでベラスケスの娘婿で弟子のデル・マーソが模写した「緑のドレスの王女マルガリータ・テレサ」も展示されているのだけど、よい画像が見つけられなかった💦 山田五郎氏をはじめ出演者たちは、並べられたことで圧倒的な技量の差が分かると語っていた。「緑の~」にはコピー感あ漂い、ビロードの表現などに差が出ているとのこと。
近くで見るとただの線の集合が、引きで見ると形になっているというのは油絵の特徴ではあるけれど、ベラスケスのビロードの表現はこの最たるもので粗いタッチで描かれたものが、引きで見るとビロードの質感まで感じられる。エドゥアール・マネ(Wikipedia)が"画家の中の画家"と呼んだ理由が分かるとのこと。
ヤン・ファン・デン・フーケ「甲冑をつけたオーストリア大公レオポルド・ヴィルヘルム」
ヤン・ファン・デン・フーケ(Wikipedia)が描いたレオポルド・ヴィルヘルム(Wikipedia)はオーストリア大公で、絵画を1,400点収集していたそうで、ウィーン美術史美術館はこの方のコレクションが土台になっているのだそう。
パオロ・ヴェロネーゼ「ホロフェルネスの首を斬るユディト」
ヴェロネーゼと言っていたのでパオロ・ヴェロネーゼ(Wikipedia)のことだと思う。テレビの放送を見ながらメモ取ってたのだけど、画面表示は直ぐ消えちゃうし、もう字が全然書けなくて💦 このタイトル自体もメモ取れてなかった😣 ユディトというのは旧約聖書のユディト記(Wikipedia)に描かれている敵の将であるホロフェルネスに酒を飲ませて寝込んだところの首を斬ったという話。ユディトで検索すると、いろんな画家がこのシーンを描いた作品が出てくるので、好んで描かれたテーマなのだと思う。
出演者たちはこのユディトの表情が冷静で優美であることを指摘していて、この表情によりこの殺人が神の意志の殺人であることを示唆しているのではないかとのことだった。ホントに美しい顔だけど、腕や肩が意外に逞しいのがちょっと気がかり😅
マルティン・ファン・メイテンス「皇妃マリア・テレジアの肖像」
マルティン・ファン・メイテンス(Wikipedia)によるこの作品"皇妃"となっているけど、マリア・テレジア(Wikipedia)って女帝なのかと思ってた! Wikipediaによるとハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者ということで、共同統治者だったのね?😲 で、この方の娘といえば・・・
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「フランス王妃マリー・アントワネットの肖像」
エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(Wikipedia)は革命でロシア亡命した画家。盛って描く特徴があるためマリー・アントワネット(Wikipedia)のお気に入りだったらしい。母マリア・テレジアに近況報告として送るために描かれた。出演者たちによるとかなり大きな作品のようで、運ぶのが大変だったのではと感想を述べていた。おそらく巻いて運んだのだろうとのこと。マリア・テレジアは娘がちゃんとやれているのか心配していたそうで、ちゃんとやれてなかったねと話す出演者たち。髪の飾りやドレスが派手過ぎないか? でも顔色がいいからいいか😌 などと、マリア・テレジアの気持ちを妄想していて笑った。
ヨーゼフ・ホラチェク「薄い青のドレスの皇妃エリザベト」
ヨーゼフ・ホラチェクという画家は知らなかったし、Wikipediaも見つからず😢 皇妃エリーザベト(Wikipedia)はヨーロッパ王妃の中では一番美しいと呼ばれた人物。172cmで体重は50kg以下ウエスト50cmを保つため、ジムのような器具を使ってトレーニングしていたのは有名な話。悲劇の皇妃とも呼ばれており、フランツ・ヨーゼフ1世(Wikipedia)と恋愛結婚するも、皇帝は多忙であり、宮廷生活にもなじめず辛い思いをする。また息子のルドルフ皇太子(Wikipedia)は不倫心中事件を起こす。暗殺説もあったけれど近年では不倫心中説が有力なのだそう。ヨーロッパ中を旅し、67歳の時ルイジ・ルケーニ(Wikipedia)に暗殺される。この辺りのことは山田五郎氏が嬉々として語っており、最後にはミュージカル見て!と言っていたので、『エリザベート』好きなんだなきっと😀 しかしこの絵、なで肩過ぎないかね? 腕も太いぞ💦
ヴィクトール・シュタウファー「オーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像」
ヴィクトール・シュタウファーも知らなかったしWikipediaもなし。タイトルがやたらと長いけど、この方が皇妃エリーザベトの旦那様。なんと在位68年で1916年に86歳で亡くなったそうで、今作は最晩年に描かれたということでしょうかね。ウィーンの街が出来たのはこの方のおかげで、リングと呼ばれる環状道路を作ったり、ウィーン美術史美術館もこの頃出来た。今日のウィーンを作ったと名君と言えるけれど、逆に財政が圧迫した部分もある。
ルドルフ皇太子が変死したことにより、カール1世(Wikipedia)が皇帝となり、その息子フランツ・フェルディナンド(Wikipedia)が皇太子となった。このフランツ・フェルディナンドが1814年にサラエボで暗殺されたサラエボ事件(Wikipedia)により、第一次世界大戦(Wikipedia)が勃発。帝国内で独立したいチェコやハンガリーの存在や、イギリスの介入などによりオーストリア=ハンガリー帝国は滅亡。一般的にフランツ・ヨーゼフ1世が最後の皇帝と言われているけれど、実はカール1世が最後の皇帝で、在位2年の間に敗戦処理をさせられたりと不運な方だったのだそう。
ということで、かなり見応えのありそうな企画展。もうベラスケスの「青のドレスの王女マルガリータ・テレサ」が来るというだけで見に行く気満々だったのだけど、これは近々見に行く予定!
ぶらぶら美術博物館:毎週火曜日 21:00~22:00 @BS日テレ