毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
伊福部昭 生誕107周年
もちろん知ってる! ゴジラの主題歌を作曲した方!
とはいえ、毎度のWikipediaから引用
(Wikipediaは性質上、不確かな情報を含みます)
伊福部 昭(いふくべ あきら、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、
ほぼ独学で作曲家となった。
日本の民族性を追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くの管弦楽作品や、
『ゴジラ』を初めとする映画音楽のほか、音楽教育者としても知られる。
受勲されたってこと?🤔
しかし、さすがに情報量が多く、読むのも一苦労😵
もう眠いので、ザックリと抜粋😪
1914年(大正3年)、
北海道釧路町(釧路市の前身)幣舞警察官僚の伊福部利三、キワの三男としてうまれる。
小学生の時、父が音更村の村長となったため、音更村に移る。
同地でアイヌと接し、彼らの生活・文化に大きな影響を受けた。
1934年(昭和9年)、20歳。次兄の勲、三浦、早坂、
「札幌フィルハーモニック弦楽四重奏団」のメンバーらとともに、
「新音楽連盟」を結成。
代表は伊福部の長兄の宗夫がつとめた。
1935年(昭和10年)、21歳。大学を卒業後、北海道庁地方林課の厚岸森林事務所に勤務。
アメリカの指揮者フェビアン・セヴィツキー(クーセヴィツキーの甥)の依頼により
『日本狂詩曲』(当初全3楽章)を作曲し、ボストンへ送る。
同年、パリでアレクサンドル・チェレプニン賞が催されると、
審査員の中にモーリス・ラヴェルの名を見つけ、ラヴェルに見てもらいたいという一心で、
『日本狂詩曲』を賞の規定に合わせ第1楽章「じょんがら舞曲」をカットして応募する。
結局ラヴェルは病気のため審査員を降りたが、
チェレプニンを初めジャック・イベールやアルベール・ルーセルといった
フランス近代音楽を代表する作曲家たちが審査にあたった。
1946年(昭和21年)、32歳。
自宅で静養中、知人から映画音楽の仕事の誘いがあり、栃木県の日光・久次良町に転居。
その後間もなく、東京音楽学校(現東京藝術大学)学長に新任した小宮豊隆が
伊福部を作曲科講師として招聘し、これを受けて就任。
この作曲科では、初めて担当した芥川也寸志、黛敏郎などから大変慕われた。
以後、『ビルマの竪琴』や『座頭市』シリーズなど多くの映画音楽を手掛けた。
2006年(平成18年)、2月8日、死去(91歳没)。
従四位に叙された。
伊福部の死去に対して、
「日本の作曲界を牽引した功績はとても大きい」(作曲家・池辺晋一郎)、
「映画音楽の大山脈をなした方でした」(映画監督・熊井啓)など、
各界から追悼のコメントが寄せられた。
ゴジラのことしか存じ上げなかったけど、かなりスゴイ方だった!😲
検索画面のロゴはこんな感じ
画面上ではこんな感じにデザインされている
お誕生日おめでとうございます!🎂