「レ・ミゼラブル」鑑賞
2015.5.29 出演者
アンサンブルの役名で"女(あばずれ)"もスゴイなと思ったけど、"女(鳩)"っていったい何 鳩?鳩・・・
てっきり18:30開演だと思い込んでいてギリギリまで残業。18:00頃会社出て徒歩で向かったところ18:15頃着きそうで、意外に余裕があってよかったぐらいに思っていたら、劇場前で係りの方が「間もなく開演です!お急ぎ下さーい!」と叫んでいる。え そこから慌てて走って劇場入り、tweetにもあるとおり、着席してひざ掛けかけたら客電落ちた! まぁ、多少脚色加えましたがそんな感じで焦った 間に合ってよかった!
かなり右寄りではあるけれど前から3列目。多分West Endでの鑑賞含め6回目だと思うのだけど、1番近い席だったと思う。パリでエポニーヌがコゼットのことを思い出すシーンが目の前! 昆エポニーヌが華奢でカワイイ。昆エポニーヌについては後に触れるけど、この近さはヤバイ(笑) 3列目だったので、オペラグラスは持参しなかったのだけど、必要ないくらいハッキリ表情が見える。でも、帝劇の舞台は広いので全員を見ようと思うと、見切れはしないんだけど見れない まぁ、どの位置でも全員の演技を一度にキッチリ確認することは無理だけど、そういうことじゃなくてもっと限定されちゃうというか・・・ まぁ、贅沢な悩み(笑)
新演出になってからは2年前(感想はコチラ)と2回目。旧演出を最後に見てからかなり時間が経っているので、どうしてもセットとかの分かりやすい違いに目が行きがちだけど、よりリアルに人間臭くなった気がする。全編歌のミュージカルだから、状況説明的なものや、感情表現も歌ですることになるけど、以前の演出だと歌うことを重視していたように思う。もちろん役者さんの演技によるところも大きいので、セリフ的になる部分を多用する方もいるかと思うけれど、そういうことではなくて感情を込めて劇的になるよりは、歌であることを重視してるというか・・・ 上手く言えない
以前から感じていたことがあるのだけど、日本版と海外版の舞台写真を見ると、同じ作品でも日本の方が"奇麗"であることが多い気がする。清潔っぽいというか小奇麗というか・・・ そこにはフランス人の役を日本人が演じているという部分での"作り物感"もあるのかもしれないけれど、例えば汚れたドレスを着ていてもどこか身奇麗な印象。以前は海外版を汚いと感じていたのだけど、要するにそれはリアルだということ。それが新演出では違和感なくリアルに汚いし、リアルに貧乏。そして下品な部分はリアルに下品。ホメてます! 例えば、これが演出によるものなのか、森公美子さんの演技によるものなのか分からないのだけど、ティナルディエのひどさを歌うシーンで、パン?を持ってする手つきが・・・(ノ∀\*)キャ これチビッコ見ていいの? 素晴らしいです!(笑) イヤそれをすることが良いとか悪いとかではなくて、性的なことはタブー視する傾向がある日本で、この感じはスゴイと思ってニヤリだった。カナリアの羽が散っちゃうブラックな感じも好き(笑) これは演出によるものだね。
ティナルディエ夫妻と、そのお客たちの下品だけど楽しそうな感じは、これもまた人間の一面であるということで魅力的。その分、バルジャンやコゼットの清く正しい感じや、学生たちの真っ直ぐな情熱が際立つ。もちろん旧演出版でも伝わっていたのだけど、やっぱりどこか品の良さがあった。そして、自分としてはその品の良さが好きで、やっぱり旧演出版の方が今のところ好きなのだけど、演じられる毎に変化して、ものすごいものになる可能性を新演出版には感じる。それくらアグレッシブ。
今回の鑑賞は東京公演千秋楽の3日前ということで、既にご覧になった方々の感想がTLにどんどん流れてきてた。で、皆様が絶賛されていたのが、コゼット役の清水綾花だった。 コゼットはバルジャンの娘となるし、男性多めのキャストの中にあって、女性としてはメインの役ではあるのだけど、前半のファンティーヌや、後半のエポニーヌの悲劇が劇的であるため若干影が薄め。子供時代はティナルディエ夫婦に虐待されて不憫ではあったものの、後半はバルジャンに愛されて、マリウスに愛されて玉の輿と、ちょっとうらやましいぞと思っているのに、バルジャンに対して反抗的だったりする部分もあるので、さじ加減を間違えるとわがまま娘に見えてしまう。でも、そうなってはいないとのこと。しかも、ラストの演技が素晴らしく、清水コゼットのおかげで涙の量が倍増しているらしい! 慌ててキャスト表チェックしたら、清水コゼットの日取ってた! でかした自分 ってことで楽しみにしてた!
結論から先に言うと素晴らしかった! まず登場からカワイイ 美人というよりかわいらしい顔立ち。一人ツッコミが気になるソロも不思議ちゃんにも、自意識過剰にもなっていない。バルジャン登場で、過去の真実を話して欲しいというシーンも、反抗的な感じではなく、自分の意思をしっかり持った大人の女性になりつつあることを感じさせる。歌は上手いけれど、声は若干低めかな? 一人残されてしまったことで自分を責めるマリウスを、優しく包む感じはすっかり大人の女性。でも可憐さは失わない。私がいるわっていうセリフが、私を見てよにはなっていない。
そして皆様絶賛のラスト。死にゆくバルジャンによりそう姿がもう マリウスに連れてこられて、バルジャンを認識してからはもうバルジャンしか見ていない。原作を読んだ時、バルジャンが何も言わず姿を消して悲しんでいたけれど、しばらくしたら忘れてしまったって書かれていて、ものすごく違和感があった。コゼットはうすうすバルジャンが本当の父親ではないことは知っていたのかもしれないけれど、だからって忘れてしまったってことはないでしょう(笑) これはそもそもがそうなのか、翻訳のニュアンスが微妙なのかは謎だけど(´ェ`)
長い長い原作を約3時間にまとめたわけだから、バルジャンが召されるラストも時間としては数分。その数分のシーンで、バルジャンと過ごした10年間を思わせなければいけないので、それはなかなか難しいと思うのだけど、清水コゼットの10年間はとっても幸せだったのだろうなと思わせるし、バルジャンはコゼットをしっかりと育てたのだなと感じる。ずっとバルジャンしか見ていなくて、ずっとバルジャンの言うことにうなずいている。バルジャンの声のトーンが変わり、椅子から立ち上がると同時に、コゼットが泣き出すので、見ている側にバルジャンが召されたことが分かる。
その後、バルジャンが書いた手紙を読み始めるコゼット。何が書いてあるのかは分からないけれど、泣きながら読み始め、時々くすっと笑い、寄り添うマリウスに、ここ見てみたいな感じで指差す。そして最後に手紙に口づけをする。バルジャンの手紙がコゼットを救ったことが分かる。彼女はバルジャンの思い出と共に、マリウスと一緒に生きていくのでしょう。予算の関係でこの日の公演しか見ていないので、今回から加わった演出なのかは分からないけど、何度も今作を見ている方々が、清水コゼットのここの演技を絶賛しているのだから、やっぱり清水綾花の演技によるものなのでしょう。これは素晴らしかった!
お芝居や映画は、主役だけが素晴らしくてもダメなんだよね。でも、一人だけ目立てばいいというものでもない。清水コゼットのように、コゼットという人物に肉付けをしつつ、ちょっとしたしぐさでその人物の思いや、状況などが伝わる演技こそ、助演に求められているものなのかなと思った。バルジャンにとってコゼットがどういう存在であったか、2人の間にどういう時間が流れたのかを、その演技で伝えることが出来るのは本当に素晴らしい 是非また見たい!
前から見たいと思っていた昆夏美エポニーヌ。小柄で華奢でかわいらしい容姿。エポニーヌにはかわい過ぎるかな?と思ったりもしたけど、とっても良かった。エポニーヌはティナルディエ夫妻の娘。宿屋を経営していた時には、ドレスや人形などを買い与えかわいがっていたようだけれど、10年後のパリで父親の稼業(?)であるスリなどを手伝っている。年頃の娘なのにボロボロの服を身にまとい、言葉づかいも乱暴。恋する相手マリウスは優しく接してくれてはいるけれど、彼女に恋しているわけではない。マリウスを見かければ、いろいろアピールするけど、かたぶつマリウスは全く気づかない。マリウス気づかな過ぎだろうと思うけれど、見ている側は彼女の気持ちを知ってるけど、時々「その髪好きだわ」と言ってみても伝わらないかもなぁ。昆エポニーヌは外見が華奢で少女っぽいこともあり、それゆえ彼女が恋しているとは思ってもらえない感じが増して切ない
エポニーヌが切ないのは、自分が恋している相手から、いわゆる恋のキューピッド役を頼まれてしまうこと。しかも、その相手が子供の頃に憐れんでいた相手。彼女こそまさに親の因果が子に報いの典型的なパターン。ビクトル・ユゴーはそういう意図で彼女のことを書いたのかな? マリウスとコゼットが恋に落ち、自分には決して振り向いてもらえない、自分には誰もいないし何もないと歌うOn My Ownは、本当に切なくてかわいそうで抱きしめてあげたくなった
でも一番よかったのはtweetにもあるとおり、マリウスの中で息を引き取るシーン。ミュージカル苦手の人であれば、死にそうなのに歌ってるなよってところでしょうが、ミュージカル好きは泣きながら見ているのです マリウスは自分の手紙をコゼットに届けたかったということもあったと思うけれど、やっぱりエポニーヌを逃がそうと考えていたはずで、その彼を庇って銃で撃たれてしまうのが悲しすぎる。ここにいたり初めてマリウスもエポニーヌの気持ちに気づくのも切ない。でも、マリウスがもっと早く気づいていたら、きっとあんな風に仲良くはいられなかったかもしれないなと思ったり・・・ エポニーヌにも幸せな未来があったかもしれないけれど、それでも恋するマリウスの腕の中で逝けてよかったと思ってしまう。昆エポニーヌは少女のままのような真っ直ぐさがあった。恋だったので報われない気持ちを抱えていたけど、マリウスを庇ったあの瞬間からきっと愛に変わって、そして満たされて死んでゆく。その切なさが良かった。
【レミ感想5】こちらも見たかった福井バルジャン。時々ロングトーンが伸びなかったのは調子が悪かったのか?でも、カッコイイバルジャン 砦でも学生と同年代じゃ?というくらい颯爽としていたのに急激に老けるw マリウス救出で腰を痛めたのか?と思うくらい老ける落差が良かった。時が来たんだね
ジャン・バルジャン役もトリプルキャスト。2年前の前回公演では吉原光男バルジャンを見たので、今回は福井晶一バルジャンが見たいと思っていた。全体的にとってもかっこいいバルジャン。tweetにもあるとおりバリケードでも白髪頭ながら颯爽としていて、さすがに学生たちと同世代は言い過ぎにしても若々しい。長い長いマリウス救出の後、次に登場するマリウスに自分の過去を告白するシーンでは、急激に老けてビックリ。腰も曲がっちゃってるし、足元もおぼつかない様子。吉原バルジャンがあまり老けなかったので、より印象が強かった。
時々ロングトーンが伸びなかったり、声量がやや足りないかな?と思う時もあったけれど、とっても気持ちの伝わるバルジャンだったと思う。召されるシーンでは清水コゼットに目が奪われていたので、やや不利だったかも?(笑) うーん、個人的には吉原バルジャンの方が好みかなぁ・・・ 体も大きいし声量があるので迫力があった。あんまり年とらなかったけど、お父さんバルジャンで好きだった。あくまで個人的な好みです
【レミ感想6】回数見れないのでチケットは上原アンジョ&原田マリウスで取った。やっぱり良かったお2人!マリウスのあのキラキラ感w アンジョのキレキレでナルな感じも好きw そしてこれを聴きに行ってる「群れとなりてー!」が大満足!学生のシーンはやっぱり切なくて大好き
財政難なので1回のみの観劇。急遽MMS2015(感想はコチラ)に行ってしまったので・・・ チケットをどうするか悩んだのだけど、主要キャストが全員自分の見たいキャストの組み合わせはそもそも無理。ということで、ここは自分のこだわりである、学生重視で上原理生アンジョルラス & 原田優一マリウスで、福井バルジャンで、できれば昆エポニーヌの日ってことで探してこの日になった。見れて良かった!
他の組み合わせを見ていないので、分からないのだけど、自分はアンジョルラスとマリウスとして登場した瞬間キタ!と思ったし、周りの方々もキタ!ってなって、連れの方に説明している人多かった。もちろん声をひそめているので会話は聴こえないのだけど、間違いなく2人のことを話していたと思う。
今回気づいたのは学生たちといる時マリウスって結構笑ってるということ。これは新演出によるものなのか、原田優一の演技によるものなのか、他のキャストで見ていないので不明。コゼットに心奪われてカフェに来て、その様子を皆にからかわれてる時、一人心ここにあらずな感じだったように思うのだけど、意外にもからかわれてる相手に笑顔で返したりしてた。それが見ている側にマリウスと学生たちの距離感を分かりやすくしていたと思う。原田マリウスは出てきた時からキラキラしてたけど、恋に落ちてからのキラキラ感がスゴイ。燃える太陽の矢が胸に飛び込んじゃって、虹の空に飛んでしまったのでね(笑)
映画版の感想(コチラ)にも書いたけど、マリウスって実はお坊ちゃまで、革命のさ中恋に落ちて、自分に恋するエポニーヌの気持ちには一切気づかず、恋のキューピッド役を頼んでしまうという空気読めない若者だったりするのだけど、原田マリウスはもうしょうがないよねと思ってしまうキラキラ感。それが仲間の死を乗り越え、ジャン・バルジャンからコゼットを託され男になって行く。その感じがとっても良かった
一方の上原理生アンジョルラス。衝撃のデビューを見逃してしまったのを心底悔やんでいる 他の出演作は「ミス・サイゴン」のジョンしか見ていないので分からないのだけど、アンジョルラスは最大の当たり役だと思う。正直ジョンではそんなにグッとくるものはなかったし。アンジョルラス経験者のRaminがカーテンコール登場時スタオベした気持ちがよく分かる! 原作では美貌で近寄りがたい雰囲気の青年だった。世界各国で上演されている作品だから、過去にも現在にもそのように演じる役者さんもいると思うけれど、今まで見てきたアンジョルラスたちは熱く燃える革命家という印象。カリスマ性を感じさせるのが正解だとは思うけれど、一番それを押し出していたのは25周年のRamin。もちろん自分が見た中でってことだし、Raminの演技も録画視聴だけど
上原アンジョルラスはとにかく歌が上手くて声量がスゴイ! それだけでアンジョルラスだなと思う。濃いめの顔立ちは自分の中のアンジョルラス像とは違うけれど、背が高いので舞台映えがする。バリケードで撃たれて落ちてくるガブローシュをガシッと受け止めるがカッコイイ。熱い型のアンジョルラスだと思うけれど、ただただ突っ走るだけではない。リーダーではあるけど"仲間"感が強い印象。でもやっぱり魅力は歌。自分の中でこの作品を見る際、ここが見たいっていうポイントはいくつかあって、学生たちのシーンは最上位。追われる身であるバルジャンはどうしても受け身にならざるを得ないため、物語を周りが動かす必要がある。学生たちの大きなうねりが物語を盛り上げているので、悲劇に向かうことが分かっていても、毎回自分のなかで盛り上がってしまう。その最大盛り上がりポイントが、いよいよ革命を起こそうとアンジョルラスが皆を鼓舞するシーン「民衆の歌」の手前で叫ぶ ♬群れとなりて-------!♬ は、本当に大好きでこれを聴きに行っている。これ、その前がわりと早口でセリフっぽくなったりしつつ、いきなり歌い上げるので裏声っぽくなる人もいるのだけど、できれば地声のまま行って欲しい! 25周年のRaminはすごかった! キーンってなってた! 上原理生の声は美しい声というわけではないけれど太くて力強い。何より声量がすごくて"群れとなりて-------!"を歌って欲しいとおりに歌ってくれるのがウレシイ! そうそう! そう歌って欲しいのよと、心の中でなってるわけです! また2年後?出演してくれたら絶対見に行く!
とにかく泣き所満載な作品。まぁ、泣きポイントは人それぞれだとは思うけれど、やっぱりバリケードが落ちて学生たちが死んでいくシーンは毎回泣く その時感じることは見るたび少しずつ違ったりするのだけど、やっぱり「何とかならなかったのか?」と思っていることが多いかな・・・ まだ若い彼らには銃を持って戦う以外の闘い方はなかったのかと・・・ 物語としては散っていく美しさというのもあるのだけど。
そして毎回号泣のラスト。これはもはやどこに感動しているのかとか分からないというか、何も考えていないというか・・・ 目の前で一人の人間が神に赦されて召されていく、その光景に感動してしまっているというか・・・ そして、全員登場しての合唱。どの作品もラストに向かって進んで行くわけで、盛り上がって終る場合もあるし、静かに収束する場合もある。レ・ミゼラブルは、まずラストに向かうまでのうねりがすごいし、ラストが静かに訪れて、最後に大きく盛り上がって終わる。この構成がもう感動せずにはいられないし、やっぱり描かれていることの重さというかそういう部分が、上手く言葉にできないけれどダイレクトに響いてくるので、毎回気がついたら号泣している感じ。そして、この感じを体験したくて毎回見に行っている。
でも、今回とっても心に残っているのは、司教様がバルジャンに正しい人になりなさいと説くシーン。司教様に対してひざまづき、頭を下げている福井バルジャンの背中の演技が素晴らしく、気づいたら泣いていた。ずっと虐げられてきた(と思っていた)から、自分の身に起きていることが信じられない気持ちと、自分を恥じている感じ。多分バルジャンの中で形になっていないながらも、感動で心が震えている感じっていうのかな? バルジャンの背中側から見たその構図はレンブラントの「放蕩息子の帰還」を思い起こさせた。まさに赦し、赦される構図。これは狙いなのかな? 髪型も坊主だし・・・ 忘れられないシーンとなった。
「放蕩息子の帰還」レンブラント・ファン・レイン
旧演出ではアンジョルラスを中心に三角形の形で行進してたと思う。新演出も最初は三角形の形っぽいけど、そのうち4列になって人が入れ替わる。最後の方までアンジョルラスは3番目辺りにいて、サッサッって感じで前の人をよけて出てくる。そこがカッコイイ! 文章だと伝わらないので動画を貼っておこうかな。これは見つかったのはオーストラリア公演版。
ドゥゾ♪(っ'ω')っ))
One Day More - Les Misérables Australia
オマケ的感想。以前は全く気づかなかったのだけど、これって新演出から? 前回もそうだったのかな? ファンティーヌが工場を辞めさせられた理由は、まぁ女工たちの嫉妬であって、その原因は工場長のセクハラ。しかも彼女に子供がいると知り、騙されたと逆恨みしてクビにした。これについては女工たちの手前もあったのかもしれないけれど。今回気づいたのは娼婦になったファンティーヌを最初に買ったのが工場長だった! ファンティーヌもハッ!てなってたので間違いない。最低なヤツ!(*`д´) より彼女の憐れさが増したけれど、女性としてはこれは辛かった
いつも遠くの席で見ていることが多くて、あまり細かく見れないのだけど、今回は近かったのでかなりよく見えた。グランっていうのはグランテールのことで、いつもお酒を飲んでて、一人革命に疑問を持っている。原作ではアンジョルラスにちょっと見下されていたと思うのだけど、舞台版では皆と違う視点を持っている人物として描かれている感じ。旧演出でも新演出でもアンジョルラスの親友というわけでもないと思うけれど、25周年コンサートで実生活で親友同士のラミン・カリムルーとハドリー・フレイザーが、アンジョルラスとグランテールを演じたことで、ブロマンス的な要素が加わっていて話題になった(笑) バリケードでどの辺りだったかな? 死を覚悟して向かう前だったかな? アンジョルラスがグランテールの耳の後ろ辺りに、そっと手を伸ばすシーンがあって、25周年のハドリーグランテールが、ラミンジョの髪を触ったのを思い出してドキドキしたということが言いたかったわけです(笑)
と、つらつら書いてきましたが、やっぱりこの作品は素晴らしい! 愛すること、愛されること。赦すこと許されること。生きるということ、その意味。すべてを美く力強い旋律でつづる。いわゆるハッピーエンドとは違う、究極のハッピーエンド。
何度でも何度でも見たくなる。次回は複数回見に行けるように頑張る!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます