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【Googleのロゴ】キュリー夫人生誕144周年

2011-11-07 00:27:53 | Google's logo
毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



キュリー夫人生誕144周年!

マリー・キュリー(マリア・スクウォドフスカ=キュリー)は、
ポーランド人の物理学者。
放射線の研究により、1903年ノーベル物理学賞、
1911年にノーベル化学賞を受賞している。

Wikipedia読んでみたけど、スゴイ情報量だし、難しいし・・・
夫人についての詳細はWikiでどうぞ! マリー・キュリー

それにしても、生誕144周年って・・・ キリが悪いね(笑)

Wszystkiego najlepszego z okazji urodzin!


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【cinema】『ラビット・ホール』(試写会)

2011-11-07 00:19:44 | cinema
'11.10.25 『ラビット・ホール』(試写会)@よみうりホール

予告見て見たいと思っていた作品。幸運に試写会に行けることになり、行ってきたー★

*ネタバレありです!

「息子を事故で亡くしたベッカとハウイー夫婦。必死に前を向こうとするけれど、癒され方も立ち直り方もそれぞれで、気持ちはすれ違ってしまう。そんな時、ベッカはある少年を見かけ・・・」というあらすじは、あんまり上手く書けてないな・・・ これは、じっくりと見応えのあるいい映画だった。

重いテーマなのに見ている側に負担をかけ過ぎない絶妙な演出と演技。ものすごい感動が押しよせるという感じではないけれど、登場人物たちのどうにもならない感情が、押し付けがましくなく、でも丁寧に描かれている。淡々としているようだけれど、そうでもない。うーん、上手く表現できないのが悔しいな(笑) 監督は『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のジョン・キャメロン・ミッチェル。あの映画はよかった。『ショートバス』はちょっと・・・(笑) 今作の抑えた演出は良かった。俳優の演技を引き立たせている。説明過多じゃないのに、その時の状況とか、気持ちとかが伝わってくる。

夫婦は比較的豊かは暮らしぶり。そして、美男美女。彼らに起こったことを知らなければ、人もうらやむカップル。でも、2人の気持ちはすれ違っている。8ヶ月か・・・ 私事だけど、去年父親を亡くした経験からすると、遺族って意外に忙しい。日本とアメリカではいろいろ事情も違うと思うけれど、お葬式を出すだけでも大変。それを悲しみの中でやらないといけない。変な言い方だけど非日常が続くので、意外に実感がわかなかったりする。イヤ、もちろん頭では理解しているし、悲しいのだけど・・・ なので、実はこのくらい時間が経って、少し落ち着いてきた頃が一番辛かったりする。気持ちもそうだし、意外に体調崩してしまったり・・・ まして、2人は幼い一人息子を突然亡くしたわけだし。でも、人生は続くわけだから、息子のいない日常を続けていかなくてはならない。実はこれが一番辛かったりする。スペシャルな事って直ぐに美しい思い出になってくれるけど、日常は普段あまり意識していないけど、ある程度リズムというかルーティンが出来ている。そのルーティン自体は繰り返されるのに、その一部だった存在がいないということを、いちいち実感していくことになる。例えば、朝起きて朝ごはんを作る。でも、もうその人の分はいらないんだと気づく瞬間。そういう日常の中の喪失感は、時とともに慣れてくるものだけど、近ければ近いほど、大切ならば大切なほど、その人のいない生活に慣れてしまうことも辛い。失ったことを思い知るのは辛いけれど、いないことに慣れてしまうのも辛いという、主人公たちの気持ちや、状況がとってもよく分かる。

いろんな映画の感想で何度も書いてきたけれど、例え理不尽に傷つけられたのだとしても、自分が負ってしまった傷は、自分で癒していくしかない。傷の深さや大きさによって、完全に消えるか、痕が残るか違ってくるのは、体に負った傷口と同じ。体に負った傷口ならば、薬を塗ったりして癒すけれど、心の傷ならどうするか・・・。それは、もう本当にその人それぞれ。その辺りの作業の一部を描いたのが『ツリー・オブ・ライフ』だと個人的には思っている。余談ですが・・・(笑) その人のペースで、その人のやり方で癒していくしかない。そのタイミングや方法が夫婦2人で合えばいいのだけれど・・・。この映画が描いているのはまさにそういう部分。2人がお互いを思って我慢したり、自分の考えを押し付けてしまったり、その辺りが微妙にズレてすれ違う。2人は同じように子供を亡くした親たちが集まるグループ・セラピーに出席している。アメリカ映画でよく見かける円形に座って、それぞれの体験や思いを順番に話すあれ。順番の夫婦は熱心なキリスト教徒のようで、自分たちの子供は天使になったのだと語る。ベッカはそれを受け流すことができずにイラ立ち、ではなぜ神様は助けてくれなったのかと吐き捨てて出て行ってしまう。彼らの順番なのだから、意見が合わなくても尊重しなくてはならないと言われても、この会に出ること自体に苦痛を感じているベッカにとっては受け入れられない。この態度は確かにほめられたものではないけど、自分にとって癒しにならないセラピーに出るのは意味がないのは確か。でも、ハウイーも息子の死の悲しみを負っているわけだから、彼としてはセラピーに活路を見出そうと努力しているわけで、それをああいう形で否定されるのは辛い。お互いをわがままとは思わないけれど、このすれ違いは辛い。だけど、2人の気持ちはよく分かる。

ベッカはいつもきちんとした服装で、家事も完璧にこなす。もともとの性格もきちんとしている人なんだと思うけれど、何となくいつも完璧でいなくてはならないと思っている気がする。彼女とは正反対の奔放で、少しだらしのない妹。お互いを思っているのに、ほんのちょっとした言葉尻にあるトゲを拾ってしまう。それは多分、お互いの相手に対しての反発と劣等感。個人的には姉も妹もいないので、姉妹感のこの感じについては、こういうこともあるんだろうなと想像するだけしかできないけれど・・・。妹からしてみれば美人で何でもきちんとこなす姉は憧れでありつつ、劣等感を抱かせる存在だろうし、逆にこうでなければならないという、完璧主義の姉に息苦しさを感じているのだと思うし、ベッカとしては妹の奔放さを心配しつつ、苦々しく思いながらも、本能のままに肩肘を張らずに生きている姿を、うらやましく思う部分もあるのかもしれない。本人たちがどこまで意識しているかは別として・・・。

ベッカには兄がいたけれど、ドラッグにはまり自殺。彼女はその兄を恥じている。長女だからという責任感もあるのかも・・・。母親に対しても上手く甘えることができない。確かにこの母親はあまり感情表現が上手いタイプではないのだけど、ベッカはいちいちつっかかってしまう。もうこの辺りがなぁ・・・(涙) すごく良く分かる。現在、ベッカは息子の死という悲しみを抱えているから、余計に敏感になってしまうのだと思うけれど、おそらく彼女と母親、彼女と妹の関係は、以前からこういう部分はあったんだと思う。誰もベッカに完璧でいろとは言っていないし、完璧にできないからといって責めてもいない。だけど、自分は頑張っているのに認めてくれないと思ってしまう。ほめて欲しいと思うのは実は甘えているのであって、それを素直に出せればお互いに楽になれるのに・・・。その感じがもどかしいけれど、なんだかとってもよく分かってしまう。ボーリング場でのエピソードが良い。妹の婚約祝いに家族や友人と行ったボーリング場。プレゼントを渡す出席者。ベッカはバス・グッズを贈る。無難なプレゼント。もちろん妹はよろこんでくれたけれど、母がプレゼントした生まれてくる孫のための服に大よろこびする妹。自分のプレゼントの無難さを”失敗”だと思い込み、買いなおしてくると言い張るベッカ。そんな必要はないし、とってもうれしいと言う妹と、取り合いになり包装が破れてしまう。うーん。ここまで表に出してしまうのはどうかと思うけれど、ベッカの気持ちも分からなくもない。被害妄想だと言われればそうだけど、きっと妹には無難だなと、ちょっとガッカリした部分はあったんだと思う。それを拾えてしまうのが逆に辛いところではある。だからといって、あんな態度を取ってしまうのはどうかと思うけれど・・・。どうして、こんなことになってしまうのかと見ている側もやるせなくなる。見せ方がすごく上手い。

そんなベッカを支えようとするけれど、自身も傷を負っているため、なかなか上手く出来ないハウイー。この作品の主人公はやっぱりベッカであって、彼女の比重が大きいので、ハウイーを彼女を守り支えてくれる存在として見てしまうけれど、よく考えれば彼も当事者なのであって、癒しが必要だし、支えも必要なんだよね。彼はそれを家以外に見出していく。専業主婦であるベッカは息子の思い出が残る"家"にいる辛さを感じながらも、"外"には居場所はない。でも、"外"で仕事をしているハウイーにとって、"家"は息子とのつながりであって、その外側に逃げ場を作り、なおかつ"家"を守りたい気持ちは理解できる。家をめぐるくだりや、セラピーで出会った女性とのエピソードは、説明過多ではないけれど、きちんと伝わってくる。彼の痛みや辛さ、そして弱さが理解できたからこそ、ラストが生きてくる。

ベッカが見つけた癒しは、ちょっと普通では考えにくいかもしれない。でも、もしかしたら、この関係は理解し合えれば、お互いに上手く作用するのかもしれない。まぁ、現実問題として避けた方がいいとは思うけれど・・・。ベッカはある日、並走するスクール・バスの車窓にある少年を見つける。彼の後をつけたり、彼の借りた本を読んだりするベッカ。ある日、彼に声をかけられて、公園のベンチで話す2人。彼こそがベッカの息子の命を奪ってしまった少年。飼っていた犬を追って、家から飛び出したベッカの息子を、ひき殺してしまった少年。あどけなさの残るこの少年がまた、逃げたりせずにベッカにきちんと向き合う姿が素晴しい。きちんと目を見てごめんなさいと謝る。言葉にしてしまえば味気ないけれど、言い訳をするわけでもなく、過剰に謝罪するわけでもない彼の姿には。自分のしてしまったことに対する責任が感じられる。あなたのことは恨んでいないと語るベッカの言葉にも嘘はないと思う。彼女が苦しんでいるのは、あの日事故を防げなかったこと。犬をつないでおけば、ドアの鍵を閉めておけば、もう少し早く気づいていれば・・・。ベッカと少年は頻繁に公演で会うことになる。同じベンチに座り、少年が描いているという「ラビット・ホール」というSFマンガの話など、事故とは直接関係のない話をする。ラビット・ホールというのは「不思議の国のアリス」に出てくるウサギ穴。ここを通れば、ここではない別の世界、パラレル・ユニバースに行ける話しなのだと語る少年。別の世界には幸福で笑っているあなたもいるのだと・・・。そう話す少年の苦しみが伝わって切ない。でも、彼がベッカと会うのは罪悪感からだけではない。彼もこの時間によって癒されているのだと思う。赦し、赦される関係・・・。

マンガが完成したら読みたいというベッカのため、本を届けに来てしまう少年。偶然居合わせたハウイーは激怒してしまう。その気持ちも分かる。彼はセラピーで出会った女性に慰めを求める。夫に出て行かれてしまった彼女も、自分の傷を癒すためそれに応えようとするけれど、ハウイーは彼女の家に入る直前に思いとどまる。良かった! 安易にそうなってしまえば、お互い不幸だと思う。

ベッカが母親に問いかけた悲しみは消えるのかという質問。息子を失った母でもあるベッカの母親は、その悲しみをポケットの中の小石に例える。初めは大きな石だけど、そのうちポケットに入る大きさになる。ポケットに入れてしまい、時には忘れてしまう時もあるけど、ポケットに手を入れるとやっぱりある。でも、ポケットの中に小石を入れて生きていくのは、決して辛いことではないというような主旨のことを話す。ここは泣けた。息子を亡くすというような、大きな悲しみではなかったとしても、人間生きていれば悲しいことや辛いことは誰にでもある。ポケットの中の小石は人それぞれ、何個も抱えることになるかもしれない。それでも、その小石も想い出であり、自分の人生なんだよね・・・。ここの母親役のダイアン・ウィーストの抑えた演技が素晴しい。

ベッカは再び少年の元へ行き、卒業パーティーへ向かう彼を乗せた車とすれ違う。そして、号泣してしまう。詳しい説明はないけれど、彼女の中には様々な想いが巡ったんだろうと思う。息子からは奪われてしまった輝かしい将来を思う部分もあるだろうし、少年自身の将来を思う部分もあるのだろうし・・・。でも、一番は彼女と同じ世界を共有していると思っていたけれど、彼には別の世界パラレル・ユニバースがあるのだと気づいたということなのかなと、個人的には思った。上手く言えないけど・・・。そして、自分にも新しい世界、ポケットに小石を抱えていても生きていける世界、パラレル・ユニバースがあるはずだと思えたのかも。まぁ、号泣していた時は、単純にショックを受けてこみ上げたんだと思うけれど・・・。そういう時はある。彼女に気づいて戻ってきた少年が、あの時、もしかしたらいつもより速度が出ていたかもしれない。あの時、少しだけ注意が足りなかったかもしれないと語る。彼の苦しみを受け取ったベッカの表情がいい。そういうことではないのだという・・・。上手く表現できないのが悔しいな(笑)

家に戻ってきた2人。お互いを思う気持ちが伝わってくる。2人穏やかな表情。事故以来、全く連絡をくれない親友に腹を立て、親友なのだから向こうから連絡してくるべきだと言い張っていたベッカが、相手の気持ちを思いやり、彼女をバーベキューに誘いましょうと話す。そしてハウイーがこれからの2人を語る。それはとっても普通のこと。その力が入り過ぎていない感じがすごく良かった。辛くなったり、悲しくなることはこれからもあると思うけれど、とりあえず一つの段階はクリアできた。希望の持てるラスト。このラストはいい。

キャストはみんな良かった。母親役のダイアン・ウィースト良かった! 母親はあまり感情を言葉に表すのが上手い人ではないので、頭の回転が早いベッカと上手くかみ合わない。そのすれ違い感を何とかしたいと思いつつ、上手くできない感じがしっかり伝わってくる。そしてやっぱり小石のセリフ。決して感情過多ではなく、むしろ淡々とした語り口で語られるセリフの温かさ。絶妙。どんなにすれ違っていたとしても、ベッカはこの母親の愛情を求めているわけだからね。セラピー仲間の女性役で「ER」(ほとんど見てない)のサンドラ・オーが。彼女も良かった。不幸な感じが似合う。ほめてます! アーロン・エッカートが良かった! アーロン・エッカートは好き。この役良かった。何とかしたいと思っているけど、自分も傷ついているから上手くできない感じとか・・・。いつも穏やかなのに、時々子供みたいに怒っちゃうとことか(笑) 誤解を恐れずに書いてしまうと、妻を救えると思うのは、夫の勘違いなんだよね実は。もう何度も書いているけど、苦しんでいる人の周りにいる人は、手助けはできても本当に立ち直るのは本人にしかできない。だから、お互い自分たちに出来ることをしていくことにしたんだと思う。そういう部分も含めてすごく良かった。ニコール・キッドマンはこの演技でアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞にダブル・ノミネートされたらしいけど、素晴しい演技。ベッカはいつもイライラしているけど、それには理由がある。それはもちろん表面的に見えている部分だけじゃなくて、事故のことで自分を責めている気持ちや、さんざん書いてきた劣等感や自信のなさゆえの完璧主義から来ているわけで、そういうセリフはないのに見ている側に伝わってくる。スゴイ。まぁ、ビシッときめて結婚前に勤めていた職場(サザビーズ!)に颯爽と行ってみたところ、自分の居場所は全然なくてガッカリ・シーンを分かりやすく入れる演出のアシストもあったりするのだけど・・・。このキリキリしちゃう感じが、ニコールの陶器のお人形のような美貌に合っている。この演技は良かった。

画がキレイ! ニコールの上品な服装もいいし、夫婦の家のスタイリッシュで品のいい感じも好き。公園の美しさもいい。現実的な部分、例えば妹といる時や、母親といる時は少し暗い。でも、少年と会うときはいつもいい天気。ベッカの気持ちがクリアになっているのが伝わってくる。

ハデさはないけど、じっくりと見れる良い作品。今、少し辛い人にオススメ。ニコール & アーロン ファンの方は是非!

『ラビット・ホール』Official site


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