'12.05.20 『別離』鑑賞@ル・シネマ
これは見たかった! 母の日ということで、この映画とランチ、そしていくつかの美術展の前売り券のあわせ技でプレゼントに。ということで、行ってきたー♪
*ネタバレありです!
「娘の将来を考えて、海外移住を希望するシミン。夫のナデルはアルツハイマーの父親を置いて行くことは出来ない。シミンは離婚して娘と国を出ると言い、家を出て行く。ナデルは父親の面倒を見てもらうため、ラジエーという女性を雇うが・・・」という話。これは、良かった。正直、重い話で、それぞれの人物の思惑が交錯して、罵り合うシーンが多く、見ていて気持ちのいい作品ではないけれど、そのテンポのよさや、イランという国ならでわの事情が、上手く作用して目が離せない。おもしろかった。
見てみたいと思ったのは、もちろんアカデミー賞外国語映画賞受賞というのが大きい。その他、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞、ベルリン国際映画祭主要3部門独占など、80冠を超える映画賞を受賞。賞に左右されず、あくまで自分の好みの作品を見ようと思っているけど、さすがにこれは見ないとね(笑) そして、製作・脚本も手がけたアスガー・ファルハディ監督の前作『彼女の消えた浜辺』が面白かったからでもある。WOWOWで録画して鑑賞。感想書きたいのだけど書けてない・・・ あの作品も、女性が忽然と姿を消し、残された人々が彼女を探すうち、それぞれの嘘やエゴが暴かれるという作品だった。この作品も展開としては同じ。前作では、彼女が消えてしまった理由が、ハッキリとは分らないまま終わったけれど、この作品でもある結論はハッキリしないまま終わる。キッチリ結論が出ないと嫌なタイプの人は苦手かもしれないけれど、余韻を残した終わりは嫌いじゃない。決して、楽しい余韻ではないのだけど・・・
一言で言ってしまえば、愛する者を守るための小さな嘘が、それぞれを窮地に追い込んで行き、嘘が嘘を呼び引き返せない状態になってしまうということ。そして、最終的に愛する者というのは一体誰なのかということ。その矛盾がラスト・シーンへと繋がっている。この脚本は見事。介護問題はまだしも、情勢不安であるイランの国情、宗教問題を絡めているのが、普段それらになじみのない者としては、新鮮だった。変な言い方だけど・・・
イランについてはそんなに詳しく知っているわけではないけれど、昨今ニュースをにぎわしている問題を考えれば、機会があれば海外移住したいと考える気持ちは分る。ただ、夫の言うようにアルツハイマーの父親を残してはいけないでしょう。冒頭、家庭裁判所でお互い感情的になって、それぞれの言い分をまくし立てるシーンから始まる。ペルシア語はもちろんさっぱり分らないから、必死で字幕を追うけれど、全てが頭に入っているわけでもない。なので、実際妻が義父をどうしようと思っているのかが分らなかった。ただ、一緒に来てくれないのであれば離婚して、娘を連れて行くことに同意して欲しいというのが、妻の真意であるようで・・・ もちろん、夫にしてみれば受け入れられるはずもない。それはそうでしょう。ただ、後に少し気になるシーンがあったので、妻としては義父の面倒を見たくない理由があったのかもしれない。これは単純に自分の憶測で、監督の意図していることではないかもしれないけれど・・・ 2人はお互いの話し合いが足りないということで、審議の余地なしとして帰されてしまう。感情的になってしまった2人に冷静に話し合えるはずもなく、結局妻が家を出ることになる。
シミンは職業を持っていたと思うけれど、彼女が家を出るからには、家事や義父の面倒を見てくれる人が必要ということで、義姉の遠縁にあたるラジエーを雇うことにする。この辺りもバタバタと決められてしまったので、話し合いがきちんと出来ていない。この夫のナデルもカッとなりやすいタイプというか、いつも何かに追われているようで落ち着きがなく、彼がもう少しいろいろ相手の話を聞いたり、相手にきちんと説明してあげていれば、こんな風にこじれることもなかったのではと思ったりもする。ただ、性格なので悪い人なわけではないし、実際アルツハイマーの父親の介護は大変だろうと思う。本人は何にも分っていないだけに、大変・・・ 家電製品もそろっていて、一見裕福そうに見えるナデル家だけど、イランでは中流家庭らしい。ちなみにナデルは銀行員だけど、月給は6万円くらい。ラジエーの給料が2万7千円くらいということなので、なかなか苦しい・・・ そういう経済状態だけでなく、イランでは介護は家族の役割という社会通念があり、老人介護施設が少ないため、簡単に施設に預けるというわけにもいかないらしい。
ラジエーは幼い娘がおり、現在妊娠中。この彼女の妊娠がこの映画の大きな鍵となる。そしてもう一つの鍵は、彼女は敬虔なムスリムであるということ。公式サイトによると、イランでは親族以外の男性の前では髪をスカーフで覆わなくてはならないそうで、シミンも娘のテルメーもスカーフを基本着用している。シミンはカラフルなスカーフも着用する現代的な女性だけど、ラジエーは外出時には黒の布製のチャドルで全身を覆っている。このチャドルも鍵となる。ちなみにチャドルとはペルシア語で大きな布という意味。仕事初日、父親はお粗相してしまう。彼は自分で下着を変えることもできない。いきなり困った事態ではあるけれど、ラジエーの困惑は宗教上の理由も絡んでいて、単純に恥ずかしいというレベルではない。要するに、女性が男性の体に触ってはいけないということらしい。ラジエーは教会(?)に電話を掛けて、指示を仰いでいる。結局、OKが出て父親の世話をするのだけれど、今後もこういうことが続くのであれば自分では無理だと言う。お粗相はともかく、アルツハイマーの老人を介護するのであれば、考慮に入れておくべきなのでは?というツッコミはなしで(笑) ラジエーが世話をする時、父親が彼女をシミンと呼ぶシーンがある。監督の真意は分らないけれど、父親とシミンの間に、彼女が義父の面倒を見れないと思う何かがあったのではないかと思うのは考え過ぎ? 性的なことだけはなく・・・ それともここは、彼女が親不孝であるということを示しているのだけかも。 ※後からよく考えてみると、このシーンの意味は、父親の世話は主にシミンがしていたという描写かも・・・
ラジエーの夫は出所したばかりで無職。この仕事を彼にさせてくれないかと申し出るラジエー。これを受け入れるナデル。ただ、夫は直ぐには来れないという。結局、もう数日ラジエーが来ることになる。そして事件が起きる。妊娠中のラジエーは思うように動くことが出来ず、家事をこなすのも辛そう。幼い娘にゴミ出しをお願いすれば、重いゴミ袋を引きずって階段を汚してしまう。ゴミを整理している間に、父親は家を抜け出してしまう。・・・ここに秘密あり! 帰りのバスで明らかに気分が悪そうなラジエー。見る側はこの映像を見ているので、後の彼女の発言に疑問も・・・
で、翌日。ナデルが帰宅してみると、父親がベッドから落ちて意識を失っていた。彼の腕はベッドに括りつけられていて、ラジエーは不在。どこに行っていたのか明かさないラジエー。何故、ここで明かさなかったのかというのが謎なんだけど、多分敬虔なムスリムである彼女としては、この時点では嘘がつけなかったってこと? 秘密部分を話してしまうと、職を失ってしまうから? ダンナにバレるとまずいから? おそらく、そういうことなのだと思うけれど・・・ 彼女が、ここで正直に話してくれていればと、思ってしまう。まぁ、激怒したナデルが聞く耳持たなかったということもあるのだけど・・・ ここでは、引き出しに入れておいた彼女のお給料分のお金が無くなっていたことも、ナデルの怒りを買う。ナデルは彼女を疑うけれど、彼女は盗っていないと言う。結局、このお金ってどうなったんだっけ? 彼女としては泥棒扱いされたことを詫びて欲しいし、何よりお給料をくれないと困る。ナデルとしては盗まれたお金を上げるから出て行ってくれということで押し問答。結果、彼女を押し出すことになる。その夜、ラジエーが入院したと聞き、病院に駆けつけるシミン&ナデル。2人はラジエーが流産したことを知らされる。
ラジエーが流産したのはナデルに突き飛ばされたからであると、ナデルを訴えてくる。お腹の子は既に臨月になっていたので、ナデルが妊娠を知って故意に突き飛ばしたのであれば、殺人罪に問われることになる。果たしてナデルは彼女の妊娠を知っていたのか? ここで鍵になるのが前述のチャドルと、テルメーの家庭教師に来ていた学校の先生。ちょっとややこしいけど、イランでは教師が生徒の家庭教師をするのは、わりと普通のことらしい。この先生とラジエーの会話をナデルが聞いていたのか、いないのか? この辺りの感じが上手い! ナデルとしては故意に流産させたということは絶対ないけど、突き飛ばしたことをハッキリ否定する証拠はない。だから、妊娠を知らなかったことにするしかない。そのことで、娘を傷つけてしまうハメになる。シミンは娘が傷つくのを見ていられないため、実家を抵当に入れて保釈金を払い、さらに先方へ示談を申し入れる。この辺りのやり取りや、展開も上手い!
自分の子を殺したナデルを絶対に刑務所に入れると息巻いていた夫も、示談に応じるべきだと言う親戚の言葉に従い、受け入れることにする。このダンナがまた・・・ とにかくカッとなりやすいタイプ。出所したばかりというからには刑に服していたわけだけど、暴力がらみではなかったと思う。でも、とにかく最初から最後まで怒鳴ってばかりで、話にならない。流産の本当の原因はDVなんじゃ?とナデル達が疑う気持ちも分る。怒り始めると手がつけられない。ラジエーがナデルに突き飛ばされたからだと主張してしまったのは、このダンナが怖くて本当のことが言えなかったからだろうし・・・ このダンナ自分のことを棚にあげて、妻が働くの嫌がったりするし・・・ 普通の人達が、ちょっとした嘘を重ねたため、話がどんどん悪い方へ向かってしまうというのが、この映画の面白いところであって、基本悪人は出てこないのだけど、このダンナに関してはいい人とは言い切れない。
示談という話になると、落ち着きがなくなってしまう人物が・・・ ラジエーにはある秘密がある。それを聞いてしまえば、見ている側は、原因はそれじゃんと思ってしまう。彼女自身も思っていたはず。彼女としては結局どうなることを望んでいたんだろう? ナデルが殺人の罪に問われればいいと思っていたのかな? 自分を泥棒呼ばわりしたから? それとも、彼女自身が言っていたとおり、急にナデルが突き飛ばしたことに確信が持てなくなっただけで、それまでは彼のせいだと信じていたのかな? で、ここでまた彼女が敬虔なムスリムであることが関係してくる。彼女が急に怯え出したのは示談の話が出てから。イスラム教のことはさっぱり分らないのだけど、ダンナに娘に禍が降りかかると言っているので、嘘をついてお金を受け取ってはならないという教えがあるのかな? 彼女としては、シミンに本当のことを話した上で、示談金を払わないで欲しいということだったけど、あのダンナのことを考えればそんなわけにもいかず・・・ で、結局この件はどうなったのかはハッキリ描かれない。おそらく、示談金は支払われなかったのだと思うけれど・・・ 確かにいろいろ苦労はしたし、ナデルの態度は褒められたものではないけれど、「この仕打ちは何?」というのは身勝手なのでは?ラジエー。と、思ったり・・・ まぁ、彼女が一番の被害者でもあるのだけど・・・
そもそもの原因は認知症の父親の介護問題なのがやり切れない。認知症の介護をしたことはないので、詳しくは分らないけれど、そもそも介護に関して知識もないラジエーには荷が重過ぎるのでは? 他に仕事も無かったのかもしれないけれど、妊婦の身で家事や介護は辛いでしょう。おそらく、この辺りの問題も描きたいのだろうと思う。前述したように、介護は家族でという風潮があるそうだけれど、日本同様核家族化や、共働き家庭が増えれば介護問題は当然出てくるし・・・ イランでは1998年に女子の大学就学率が男子を上回ったそうで、晩婚化も進んでいるそうだし、今後は介護は家族でとは言っていられないんじゃないかということかと。日本も人事ではないけれど・・・ 晩婚化に一役買っている身としては肩身が狭いですが(笑)
結局、タイトルどおり別離が訪れる。英語タイトルは『Nader and Simin , A Separation』だし、原題も『Jodaeiye Nader az Simin』 ペルシア語は分らないけど、多分英語と同じ意味でしょうってことで、これはナデルとシミンの別離の話。何故、彼らが別れることになったのかについては、もちろん見ていたとおりだけど、よく考えると彼らの関係は、冒頭から壊れていた。この事件が起きて、お互い支え合わなければならない時も、意地を張り合ってしまう。こうなってしまったらもうダメでしょう・・・ もう一組のホジャッドとラジエー夫妻のことは全く描かれていないけれど、いずれにしてもかわいそうなのは娘たち。ナデルとシミンはお互い、テルメーのためにと言ってたけど、テルメーが本当に望んでいたのは、元のように仲良く3人で暮らすこと。でも、すれ違ってしまった夫婦は修復できない・・・ それは仕方のないこと。イランでも離婚率は上がっているそう。離婚の条件を細部まで決めて、契約書として残すそうで、タイトル・バックに映っていたのは、この離婚契約書なのだそう。結局、2人は離婚。テルメーはどちらと暮らすか決めることになる。「どちらを選ぶか決まっている」と言うけれど、結局どちらを選んだのかは描かれずに終わる。この余韻のある終わりはよかった。どちらを選ばれても見ている側もスッキリしない。元夫婦が廊下の両側に別れて、娘が出てくるのを待つこのラストは良かった。
キャストは良かった。シミンは一昔前では身勝手な嫁ってことになると思うけれど、現代の感覚だと分らないでもないなと・・・ 現代のイラン女性という感じ。レイラ・ハタミは、その辺りを上手く演じていたと思う。そして美女。イランの人って色黒くないんだね・・・ ラジエーは古いタイプの女性。テキパキと判断を下すシミンと比べると、全ての判断が遅い。手際も悪い。ただ、彼女が上手く立ち回れなかったこと、敬虔なムスリムであったこと、そして古いタイプの女性であったことが、この映画の鍵なので、サレー・バヤトはその辺り上手く演じていたと思う。キレやすいラジエーの夫ホジャットのシャハブ・ホセイニは『彼女の消えた浜辺』でアーマドを演じていたそう。全然、分らなかった(笑) 唯一悪役とも言える役を好演していたと思う。ナデルのベイマン・モアディが『彼女の消えた浜辺』にも出ていたのは分った! 登場人物達の中では一番中東系の容姿かも。自分の名誉を守ろうとするあまり、娘を傷つけてしまう父親役を好演していた。テルメー役のサリナ・ファルハディは監督の娘さんだそう。将来美人になる・・・かな?
中流家庭であるらしいナデルの家は、中東っぽさはほとんどない。日本のマンションとはちょっと違うけど、これがアメリカといわれても違和感ないかも。ガラス張りの玄関とかはない気がするけど・・・(笑) テヘランの街並みとか見れて興味深い。刑事裁判所とか家庭裁判所のシーンがかなり出てくるけど、いつもザワザワと混んでる感じ。そんなに、訴訟が多いのか? 孫でもおじいちゃんの足を見てはいけないとか、面倒だなと思う反面、慎ましやかで品がある気もした。事件の原因やその後の顛末、そして結末にも宗教が大きく関わっていて、その辺りがきちんと理解できないと、真の意味で理解できないのかもしれないけれど、その部分が一番興味深くおもしろかった。
既にほぼ、上映終わってしまっているけどオススメ!イラン映画に興味のある方是非!
『別離』Official site
これは見たかった! 母の日ということで、この映画とランチ、そしていくつかの美術展の前売り券のあわせ技でプレゼントに。ということで、行ってきたー♪
*ネタバレありです!
「娘の将来を考えて、海外移住を希望するシミン。夫のナデルはアルツハイマーの父親を置いて行くことは出来ない。シミンは離婚して娘と国を出ると言い、家を出て行く。ナデルは父親の面倒を見てもらうため、ラジエーという女性を雇うが・・・」という話。これは、良かった。正直、重い話で、それぞれの人物の思惑が交錯して、罵り合うシーンが多く、見ていて気持ちのいい作品ではないけれど、そのテンポのよさや、イランという国ならでわの事情が、上手く作用して目が離せない。おもしろかった。
見てみたいと思ったのは、もちろんアカデミー賞外国語映画賞受賞というのが大きい。その他、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞、ベルリン国際映画祭主要3部門独占など、80冠を超える映画賞を受賞。賞に左右されず、あくまで自分の好みの作品を見ようと思っているけど、さすがにこれは見ないとね(笑) そして、製作・脚本も手がけたアスガー・ファルハディ監督の前作『彼女の消えた浜辺』が面白かったからでもある。WOWOWで録画して鑑賞。感想書きたいのだけど書けてない・・・ あの作品も、女性が忽然と姿を消し、残された人々が彼女を探すうち、それぞれの嘘やエゴが暴かれるという作品だった。この作品も展開としては同じ。前作では、彼女が消えてしまった理由が、ハッキリとは分らないまま終わったけれど、この作品でもある結論はハッキリしないまま終わる。キッチリ結論が出ないと嫌なタイプの人は苦手かもしれないけれど、余韻を残した終わりは嫌いじゃない。決して、楽しい余韻ではないのだけど・・・
一言で言ってしまえば、愛する者を守るための小さな嘘が、それぞれを窮地に追い込んで行き、嘘が嘘を呼び引き返せない状態になってしまうということ。そして、最終的に愛する者というのは一体誰なのかということ。その矛盾がラスト・シーンへと繋がっている。この脚本は見事。介護問題はまだしも、情勢不安であるイランの国情、宗教問題を絡めているのが、普段それらになじみのない者としては、新鮮だった。変な言い方だけど・・・
イランについてはそんなに詳しく知っているわけではないけれど、昨今ニュースをにぎわしている問題を考えれば、機会があれば海外移住したいと考える気持ちは分る。ただ、夫の言うようにアルツハイマーの父親を残してはいけないでしょう。冒頭、家庭裁判所でお互い感情的になって、それぞれの言い分をまくし立てるシーンから始まる。ペルシア語はもちろんさっぱり分らないから、必死で字幕を追うけれど、全てが頭に入っているわけでもない。なので、実際妻が義父をどうしようと思っているのかが分らなかった。ただ、一緒に来てくれないのであれば離婚して、娘を連れて行くことに同意して欲しいというのが、妻の真意であるようで・・・ もちろん、夫にしてみれば受け入れられるはずもない。それはそうでしょう。ただ、後に少し気になるシーンがあったので、妻としては義父の面倒を見たくない理由があったのかもしれない。これは単純に自分の憶測で、監督の意図していることではないかもしれないけれど・・・ 2人はお互いの話し合いが足りないということで、審議の余地なしとして帰されてしまう。感情的になってしまった2人に冷静に話し合えるはずもなく、結局妻が家を出ることになる。
シミンは職業を持っていたと思うけれど、彼女が家を出るからには、家事や義父の面倒を見てくれる人が必要ということで、義姉の遠縁にあたるラジエーを雇うことにする。この辺りもバタバタと決められてしまったので、話し合いがきちんと出来ていない。この夫のナデルもカッとなりやすいタイプというか、いつも何かに追われているようで落ち着きがなく、彼がもう少しいろいろ相手の話を聞いたり、相手にきちんと説明してあげていれば、こんな風にこじれることもなかったのではと思ったりもする。ただ、性格なので悪い人なわけではないし、実際アルツハイマーの父親の介護は大変だろうと思う。本人は何にも分っていないだけに、大変・・・ 家電製品もそろっていて、一見裕福そうに見えるナデル家だけど、イランでは中流家庭らしい。ちなみにナデルは銀行員だけど、月給は6万円くらい。ラジエーの給料が2万7千円くらいということなので、なかなか苦しい・・・ そういう経済状態だけでなく、イランでは介護は家族の役割という社会通念があり、老人介護施設が少ないため、簡単に施設に預けるというわけにもいかないらしい。
ラジエーは幼い娘がおり、現在妊娠中。この彼女の妊娠がこの映画の大きな鍵となる。そしてもう一つの鍵は、彼女は敬虔なムスリムであるということ。公式サイトによると、イランでは親族以外の男性の前では髪をスカーフで覆わなくてはならないそうで、シミンも娘のテルメーもスカーフを基本着用している。シミンはカラフルなスカーフも着用する現代的な女性だけど、ラジエーは外出時には黒の布製のチャドルで全身を覆っている。このチャドルも鍵となる。ちなみにチャドルとはペルシア語で大きな布という意味。仕事初日、父親はお粗相してしまう。彼は自分で下着を変えることもできない。いきなり困った事態ではあるけれど、ラジエーの困惑は宗教上の理由も絡んでいて、単純に恥ずかしいというレベルではない。要するに、女性が男性の体に触ってはいけないということらしい。ラジエーは教会(?)に電話を掛けて、指示を仰いでいる。結局、OKが出て父親の世話をするのだけれど、今後もこういうことが続くのであれば自分では無理だと言う。お粗相はともかく、アルツハイマーの老人を介護するのであれば、考慮に入れておくべきなのでは?というツッコミはなしで(笑) ラジエーが世話をする時、父親が彼女をシミンと呼ぶシーンがある。監督の真意は分らないけれど、父親とシミンの間に、彼女が義父の面倒を見れないと思う何かがあったのではないかと思うのは考え過ぎ? 性的なことだけはなく・・・ それともここは、彼女が親不孝であるということを示しているのだけかも。 ※後からよく考えてみると、このシーンの意味は、父親の世話は主にシミンがしていたという描写かも・・・
ラジエーの夫は出所したばかりで無職。この仕事を彼にさせてくれないかと申し出るラジエー。これを受け入れるナデル。ただ、夫は直ぐには来れないという。結局、もう数日ラジエーが来ることになる。そして事件が起きる。妊娠中のラジエーは思うように動くことが出来ず、家事をこなすのも辛そう。幼い娘にゴミ出しをお願いすれば、重いゴミ袋を引きずって階段を汚してしまう。ゴミを整理している間に、父親は家を抜け出してしまう。・・・ここに秘密あり! 帰りのバスで明らかに気分が悪そうなラジエー。見る側はこの映像を見ているので、後の彼女の発言に疑問も・・・
で、翌日。ナデルが帰宅してみると、父親がベッドから落ちて意識を失っていた。彼の腕はベッドに括りつけられていて、ラジエーは不在。どこに行っていたのか明かさないラジエー。何故、ここで明かさなかったのかというのが謎なんだけど、多分敬虔なムスリムである彼女としては、この時点では嘘がつけなかったってこと? 秘密部分を話してしまうと、職を失ってしまうから? ダンナにバレるとまずいから? おそらく、そういうことなのだと思うけれど・・・ 彼女が、ここで正直に話してくれていればと、思ってしまう。まぁ、激怒したナデルが聞く耳持たなかったということもあるのだけど・・・ ここでは、引き出しに入れておいた彼女のお給料分のお金が無くなっていたことも、ナデルの怒りを買う。ナデルは彼女を疑うけれど、彼女は盗っていないと言う。結局、このお金ってどうなったんだっけ? 彼女としては泥棒扱いされたことを詫びて欲しいし、何よりお給料をくれないと困る。ナデルとしては盗まれたお金を上げるから出て行ってくれということで押し問答。結果、彼女を押し出すことになる。その夜、ラジエーが入院したと聞き、病院に駆けつけるシミン&ナデル。2人はラジエーが流産したことを知らされる。
ラジエーが流産したのはナデルに突き飛ばされたからであると、ナデルを訴えてくる。お腹の子は既に臨月になっていたので、ナデルが妊娠を知って故意に突き飛ばしたのであれば、殺人罪に問われることになる。果たしてナデルは彼女の妊娠を知っていたのか? ここで鍵になるのが前述のチャドルと、テルメーの家庭教師に来ていた学校の先生。ちょっとややこしいけど、イランでは教師が生徒の家庭教師をするのは、わりと普通のことらしい。この先生とラジエーの会話をナデルが聞いていたのか、いないのか? この辺りの感じが上手い! ナデルとしては故意に流産させたということは絶対ないけど、突き飛ばしたことをハッキリ否定する証拠はない。だから、妊娠を知らなかったことにするしかない。そのことで、娘を傷つけてしまうハメになる。シミンは娘が傷つくのを見ていられないため、実家を抵当に入れて保釈金を払い、さらに先方へ示談を申し入れる。この辺りのやり取りや、展開も上手い!
自分の子を殺したナデルを絶対に刑務所に入れると息巻いていた夫も、示談に応じるべきだと言う親戚の言葉に従い、受け入れることにする。このダンナがまた・・・ とにかくカッとなりやすいタイプ。出所したばかりというからには刑に服していたわけだけど、暴力がらみではなかったと思う。でも、とにかく最初から最後まで怒鳴ってばかりで、話にならない。流産の本当の原因はDVなんじゃ?とナデル達が疑う気持ちも分る。怒り始めると手がつけられない。ラジエーがナデルに突き飛ばされたからだと主張してしまったのは、このダンナが怖くて本当のことが言えなかったからだろうし・・・ このダンナ自分のことを棚にあげて、妻が働くの嫌がったりするし・・・ 普通の人達が、ちょっとした嘘を重ねたため、話がどんどん悪い方へ向かってしまうというのが、この映画の面白いところであって、基本悪人は出てこないのだけど、このダンナに関してはいい人とは言い切れない。
示談という話になると、落ち着きがなくなってしまう人物が・・・ ラジエーにはある秘密がある。それを聞いてしまえば、見ている側は、原因はそれじゃんと思ってしまう。彼女自身も思っていたはず。彼女としては結局どうなることを望んでいたんだろう? ナデルが殺人の罪に問われればいいと思っていたのかな? 自分を泥棒呼ばわりしたから? それとも、彼女自身が言っていたとおり、急にナデルが突き飛ばしたことに確信が持てなくなっただけで、それまでは彼のせいだと信じていたのかな? で、ここでまた彼女が敬虔なムスリムであることが関係してくる。彼女が急に怯え出したのは示談の話が出てから。イスラム教のことはさっぱり分らないのだけど、ダンナに娘に禍が降りかかると言っているので、嘘をついてお金を受け取ってはならないという教えがあるのかな? 彼女としては、シミンに本当のことを話した上で、示談金を払わないで欲しいということだったけど、あのダンナのことを考えればそんなわけにもいかず・・・ で、結局この件はどうなったのかはハッキリ描かれない。おそらく、示談金は支払われなかったのだと思うけれど・・・ 確かにいろいろ苦労はしたし、ナデルの態度は褒められたものではないけれど、「この仕打ちは何?」というのは身勝手なのでは?ラジエー。と、思ったり・・・ まぁ、彼女が一番の被害者でもあるのだけど・・・
そもそもの原因は認知症の父親の介護問題なのがやり切れない。認知症の介護をしたことはないので、詳しくは分らないけれど、そもそも介護に関して知識もないラジエーには荷が重過ぎるのでは? 他に仕事も無かったのかもしれないけれど、妊婦の身で家事や介護は辛いでしょう。おそらく、この辺りの問題も描きたいのだろうと思う。前述したように、介護は家族でという風潮があるそうだけれど、日本同様核家族化や、共働き家庭が増えれば介護問題は当然出てくるし・・・ イランでは1998年に女子の大学就学率が男子を上回ったそうで、晩婚化も進んでいるそうだし、今後は介護は家族でとは言っていられないんじゃないかということかと。日本も人事ではないけれど・・・ 晩婚化に一役買っている身としては肩身が狭いですが(笑)
結局、タイトルどおり別離が訪れる。英語タイトルは『Nader and Simin , A Separation』だし、原題も『Jodaeiye Nader az Simin』 ペルシア語は分らないけど、多分英語と同じ意味でしょうってことで、これはナデルとシミンの別離の話。何故、彼らが別れることになったのかについては、もちろん見ていたとおりだけど、よく考えると彼らの関係は、冒頭から壊れていた。この事件が起きて、お互い支え合わなければならない時も、意地を張り合ってしまう。こうなってしまったらもうダメでしょう・・・ もう一組のホジャッドとラジエー夫妻のことは全く描かれていないけれど、いずれにしてもかわいそうなのは娘たち。ナデルとシミンはお互い、テルメーのためにと言ってたけど、テルメーが本当に望んでいたのは、元のように仲良く3人で暮らすこと。でも、すれ違ってしまった夫婦は修復できない・・・ それは仕方のないこと。イランでも離婚率は上がっているそう。離婚の条件を細部まで決めて、契約書として残すそうで、タイトル・バックに映っていたのは、この離婚契約書なのだそう。結局、2人は離婚。テルメーはどちらと暮らすか決めることになる。「どちらを選ぶか決まっている」と言うけれど、結局どちらを選んだのかは描かれずに終わる。この余韻のある終わりはよかった。どちらを選ばれても見ている側もスッキリしない。元夫婦が廊下の両側に別れて、娘が出てくるのを待つこのラストは良かった。
キャストは良かった。シミンは一昔前では身勝手な嫁ってことになると思うけれど、現代の感覚だと分らないでもないなと・・・ 現代のイラン女性という感じ。レイラ・ハタミは、その辺りを上手く演じていたと思う。そして美女。イランの人って色黒くないんだね・・・ ラジエーは古いタイプの女性。テキパキと判断を下すシミンと比べると、全ての判断が遅い。手際も悪い。ただ、彼女が上手く立ち回れなかったこと、敬虔なムスリムであったこと、そして古いタイプの女性であったことが、この映画の鍵なので、サレー・バヤトはその辺り上手く演じていたと思う。キレやすいラジエーの夫ホジャットのシャハブ・ホセイニは『彼女の消えた浜辺』でアーマドを演じていたそう。全然、分らなかった(笑) 唯一悪役とも言える役を好演していたと思う。ナデルのベイマン・モアディが『彼女の消えた浜辺』にも出ていたのは分った! 登場人物達の中では一番中東系の容姿かも。自分の名誉を守ろうとするあまり、娘を傷つけてしまう父親役を好演していた。テルメー役のサリナ・ファルハディは監督の娘さんだそう。将来美人になる・・・かな?
中流家庭であるらしいナデルの家は、中東っぽさはほとんどない。日本のマンションとはちょっと違うけど、これがアメリカといわれても違和感ないかも。ガラス張りの玄関とかはない気がするけど・・・(笑) テヘランの街並みとか見れて興味深い。刑事裁判所とか家庭裁判所のシーンがかなり出てくるけど、いつもザワザワと混んでる感じ。そんなに、訴訟が多いのか? 孫でもおじいちゃんの足を見てはいけないとか、面倒だなと思う反面、慎ましやかで品がある気もした。事件の原因やその後の顛末、そして結末にも宗教が大きく関わっていて、その辺りがきちんと理解できないと、真の意味で理解できないのかもしれないけれど、その部分が一番興味深くおもしろかった。
既にほぼ、上映終わってしまっているけどオススメ!イラン映画に興味のある方是非!
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