■ 水泳教室の第4回めを終わり、プールから家に戻る途中、定年後タクシーの仕事をやっているOさんに出会い、声をかけられた。
「美浜さん、千葉県立美術館で、山下清展をやってるよ! 昨日Tさんと行ってきたんだよ。200点も展示してあっていいよ! 10日の日曜日で終りなんで…。ひまだろう、平日ならすいているから、行ってみるといいよ」
というお勧めがあって、遅い昼食をとったあと美術館に行く。
山下清は、放浪の旅で見た風景や人々の暮らしを色彩豊かな作品に仕上げていた。
小さい頃から39歳でなくなるまでの、約300点近い、ナマのちぎり絵、ペン画、水彩画などを見てまわる。
年令とともに、すごい絵・作品に変わっていくのがわかる。
間あいだに彼の言葉や生活用品などが添えてあって、人間山下清と芸術家山下清の真実が迫力をもって迫ってきました。
彼の絵や、放浪の足跡をたどっていると、原発事故や放射能のことなど忘れてしまいますね~!
以下は、地方新聞の展示会紹介記事です。
『放浪の天才画家」として知られる山下清(1922~71)の貼り絵や油彩画、水彩画、陶器類などの作品約190点と、遺品を紹介した特別企画展「山下清展」が、県立美術館(千葉市中央区中央港)で開催されている。作品のそばには、本人のコメントなどが添えられており、山下の人柄や素顔もうかがえる内容になっている。
東京で生まれた山下は、3歳のときに重い消化不良にかかり、後遺症で軽い言語障害と知的障害になった。12歳のときに、養護施設「八幡学園」(市川市)に入園し、色紙をちぎって貼り付ける「貼り絵(ちぎり絵)」と出合った。
学園の子供たちによる展覧会が早稲田大学で開かれると、山下の作品は画家の安井曾太郎らから絶賛され、一躍注目を集めるようになった。その後、全国を放浪し、精力的に次々と作品を生み出していった。
同展では「芸術家・山下清」と「人間・山下清」をキーワードに、初期の貼り絵から放浪の旅を経て、ペン画や油彩画、水彩画、遺作となった「東海道五十三次」までの作品を並べている。旅先で描くことはほとんどせず、驚異的な記憶力で脳裏に焼き付いた風物を描いたという作品は、温かみのある豊かな色彩感覚で表現されている。
今回、劣化や褪色が進んだ作品を後世に残そうと取り組んでいる「修復保存プロジェクト」で、当時の色彩を見事に再現した代表作「長岡の花火」なども紹介され、来場者の関心を集めている。
このほか、旅の日記帳や放浪中に使ったリュックサック、学園長にあてた「放浪を辞める誓い」などの資料も並び、芸術家とは違った山下の一面を見ることができる。』
<参考>
・2011.7.7 玄海原発運転再開について(神戸大学地震学者、石橋克彦さん)
・2011.7.4 チェルノブイリ当時のドイツ(ジャーナリスト、山本千賀子さん)
・2011.4.15 福島県飯館村の放射線汚染サーベイ報告(京大原子炉実験所 今中哲二さん)
当月累計 R=22k S=3.3k 年間累計 R=1012k S=60.1km