前回の富丘八幡神社から、20分ぐらいで到着したのはオリーブ園です。道の駅を兼ねた施設ですが、一般的な道の駅の雰囲気はありません。^^

高級ぽいレストランがあり、小豆島でのオリーブ栽培の歴史を紹介するパネルが展示されています。

一面にワサワサと生えたオリーブの木の実を撮り、

ここに来た目的は、こいつです。小豆島は映画「魔女の宅急便」(実写版)の舞台となったところですが、皆さん、ギリシャから寄贈された風車(ギリシャ風車)のところで、ほうきにまたがりジャンプして、主人公のキキのように空を飛んでいるように撮影するのが人気です。そんなところ、ほうきが置いてあるのですが、全て出払っていました。^^

とりあえずギリシャ風車に向かいますが、撮影を終えた方に無理を言って「返しておきますので」でほうきを借りました(^^)。で、これがギリシャ風車です。

で、早速、家内はジャンプ!どうでしょうか。飛んでいるように見えるでしょうか。

撮影の後、「始まりの本」の前で記念撮影。ここでも家内はジャンプです。^^


オリーブ園の後、次に目指すは岬の分教場ですが、その前に昼食を・・・しかし小豆島の中でも賑やかな南側ですが、それでも飲食店は少ないです。何とか見つけた「グリル山」というお店に入店。ギターなどが展示されており、この方は有名な方なんでしょうか。

私はチキン南蛮定食。家内はエビフライ定食で、何とか昼食難民から逃れました。(^^)


昼食の後、やたら醤油会社が多く、醤油の匂いを感じながら岬方面にBW'S125を走らせます。そして30分ぐらいで、岬の分教場に到着です。


岬の分教場については特に説明は不要かと思いますが、壺井栄さん著作「二十四の瞳」と舞台となった小学校です。「二十四の瞳」そのものはフィクションですが、壺井栄さんが小豆島出身であること。壺井栄さんが小豆島時代のことを思って「二十四の瞳」を書かれたことから、この「苗羽小学校田浦分校」が岬の分教場とされたそうです。
私は映画やTVドラマで「二十四の瞳」を観たことがありますが、正にイメージどおりの分教場だと思います。
これが岬の分教場の校舎です。


入った瞬間、真壁造で漆喰の壁という素晴らしい雰囲気に感嘆しました。100年ぐらい前にタイムスリップした感じです。

この説明パネルによると、この校舎は明治35年(1902年)に建築されたようです。

この雰囲気が素晴らし過ぎます。(感涙)

教室内には、映画「二十四の瞳」(1954年上映。木下惠介さん監督。高峰秀子さん主演)の写真が数多く展示されていました。


「二十四の瞳」といえば、ずばりこの写真でしょう。

昭和46年(1971年)廃校まで使われていた、小学一年生と二年生に学ぶ漢字一覧。もちろん皆さん、全て書けますよね。PCばかり頼っていると、漢字を忘れます。(爆)

これも廃校時まで使われていた机と椅子。私的には、小学3年生までこんな木造の机と椅子だった記憶があります。

この「そろばん」の教材は、どんな風に使って子供達に教えるのでしょうか。

天井には何か白い丸いものが、

東西南北を示していました。

小学生時代を思い出し、「はい!」と手を上げる私。もう遠い昔のこととなりました。(涙)

次に向かうは「二十四の瞳映画村」ですが、今回も画像が多くなったので次回に紹介しましょう。

高級ぽいレストランがあり、小豆島でのオリーブ栽培の歴史を紹介するパネルが展示されています。

一面にワサワサと生えたオリーブの木の実を撮り、

ここに来た目的は、こいつです。小豆島は映画「魔女の宅急便」(実写版)の舞台となったところですが、皆さん、ギリシャから寄贈された風車(ギリシャ風車)のところで、ほうきにまたがりジャンプして、主人公のキキのように空を飛んでいるように撮影するのが人気です。そんなところ、ほうきが置いてあるのですが、全て出払っていました。^^

とりあえずギリシャ風車に向かいますが、撮影を終えた方に無理を言って「返しておきますので」でほうきを借りました(^^)。で、これがギリシャ風車です。

で、早速、家内はジャンプ!どうでしょうか。飛んでいるように見えるでしょうか。

撮影の後、「始まりの本」の前で記念撮影。ここでも家内はジャンプです。^^


オリーブ園の後、次に目指すは岬の分教場ですが、その前に昼食を・・・しかし小豆島の中でも賑やかな南側ですが、それでも飲食店は少ないです。何とか見つけた「グリル山」というお店に入店。ギターなどが展示されており、この方は有名な方なんでしょうか。

私はチキン南蛮定食。家内はエビフライ定食で、何とか昼食難民から逃れました。(^^)


昼食の後、やたら醤油会社が多く、醤油の匂いを感じながら岬方面にBW'S125を走らせます。そして30分ぐらいで、岬の分教場に到着です。


岬の分教場については特に説明は不要かと思いますが、壺井栄さん著作「二十四の瞳」と舞台となった小学校です。「二十四の瞳」そのものはフィクションですが、壺井栄さんが小豆島出身であること。壺井栄さんが小豆島時代のことを思って「二十四の瞳」を書かれたことから、この「苗羽小学校田浦分校」が岬の分教場とされたそうです。
私は映画やTVドラマで「二十四の瞳」を観たことがありますが、正にイメージどおりの分教場だと思います。
これが岬の分教場の校舎です。


入った瞬間、真壁造で漆喰の壁という素晴らしい雰囲気に感嘆しました。100年ぐらい前にタイムスリップした感じです。

この説明パネルによると、この校舎は明治35年(1902年)に建築されたようです。

この雰囲気が素晴らし過ぎます。(感涙)

教室内には、映画「二十四の瞳」(1954年上映。木下惠介さん監督。高峰秀子さん主演)の写真が数多く展示されていました。


「二十四の瞳」といえば、ずばりこの写真でしょう。

昭和46年(1971年)廃校まで使われていた、小学一年生と二年生に学ぶ漢字一覧。もちろん皆さん、全て書けますよね。PCばかり頼っていると、漢字を忘れます。(爆)

これも廃校時まで使われていた机と椅子。私的には、小学3年生までこんな木造の机と椅子だった記憶があります。

この「そろばん」の教材は、どんな風に使って子供達に教えるのでしょうか。

天井には何か白い丸いものが、

東西南北を示していました。

小学生時代を思い出し、「はい!」と手を上げる私。もう遠い昔のこととなりました。(涙)

次に向かうは「二十四の瞳映画村」ですが、今回も画像が多くなったので次回に紹介しましょう。