今回は先日の鹿児島旅行で訪れた、鹿屋航空基地・資料館の零戦と二式大艇を観察しましょう。先ずは零戦からです。この零戦は52型です。
正面からと左斜め前から、
続いて推力式単排気管。機体色も含め、排気管も正確にレストアされています。
本当は多くの油圧・電気配管が、主脚格納部に配置されていたと思いますが・・・内部も若竹色に塗られていないのが残念です。
ピトー管は明らかに現在のものです。
着艦フックと尾輪は上手くレストアされています。私は多くの零戦の実機を見ましたが、着艦フックが付いているのはこの零戦と、上野の科学博物館の零戦ぐらいです。
主翼の操縦席に乗り込むところの「足踏」のペイントは初めて見ました。「ノルナ」の注意書きは、大和ミュージアムの零戦にもペイントされています。
鹿屋航空基地・資料館の零戦は、タラップを上がれば操縦席を間近に見ることができます。
綿密に再現されていました。
後方キャノピー内に収められた、二つの赤い円形パーツは何でしょうか。
水平尾翼のトリムタブ。本来であれば「サワルナ」のペイントがあったはずです。
主翼機銃後方の「主脚確認棒」(主脚が出ているか否かの確認棒)は、大和ミュージアムの零戦同様に再現されていました。
尾灯と尾輪。尾灯は明らかに新しく作られた雰囲気。尾輪もそうですが、実機もこのようにゴム製のソリッド・タイヤでした。
零戦に搭載された中島製(現、スバル)の栄エンジン。これほどキレイにレストアされた栄エンジンは初めて見ました。
栄エンジンは空冷星形二重14気筒エンジンですが、52型以降は推力式単排気管(2in1のエキゾースト・パイプ)ということで、外観上は9本のエキゾースト・パイプ・・・これは大和ミュージアムの零戦で確認済みですが、よく見ると1気筒で1本のエキゾースト・パイプもありました。「えっ?どうして?」と頭の中が混乱したものです。^^
こんな感じで栄エンジンは別展示ですから、零戦本体にはエンジンはありません。
スピンナには、エンジンの回転方向やスピンナの取外し方向が書かれたペイントがありませんでした。
この零戦ですが、鹿児島湾から引きあがられた二機の零戦の残骸を、三菱重工の協力の下に復元されたものです。
しかしながら、この状態で引き揚げられたことから、実機というよりも再生機です。ですから、どうしても他の現存する零戦とは違う部分が見受けられるのは、仕方ないところでしょう。私的には、大和ミュージアムの零戦が一番実機に近いと思います。
それでも、タラップを上がれば操縦席を身近に見れるのが嬉しいところ。全姿を撮るには展示室が小さいのが難ですが、実際にご覧になれば満足されるでしょう。
続いて、屋外に展示されている二式大艇です。唯一現存する二式大艇ということで、とても貴重な機体です。
先ずは、二方向からの画像です。
屋外展示用に車輪が付けられていますが、二式大艇は飛行艇ということで、水上から離着水。メンテナンス以外に使うことは稀だったでしょう。
敵機に攻撃された時に用いれた銃座です。二式大艇には合計5門の20mm機関砲が搭載されていましたが、発射速度が遅く弾道が曲がる20mm機関砲で、敵機を撃墜するのは大変だったことでしょう。
銃座のアクリル板は、意外と透明度が保たれていました。プラモデルの塗装で苦労する窓枠ですが、実機はこんな感じということで参考になるでしょう。
あちこち補強され展示されていました。もはや75年以上前の機体ですので、自立できないのでしょう。さらに台風などの強風時には、エルロン(補助翼)が勝手に動いたことがあると、自衛官の方が話されていました。
操縦席の窓には、日除けのカーテンが付けられていました。機内の日焼けを防ぐためでしょう。
正面下部の、船でいう船首の部分には長いエラが付いていますが、これは波消し装置(通称:かつおぶし)です。これは1号機のテスト飛行の離水時に、波がプロペラに当たり、プロペラが曲がり離水できなかったことから付けられました。
日本では数少ない、実用となった4発大型機です。ちなみに、同じ4発大型機であるB-17爆撃機を空中戦で撃墜したという逸話もあります。
反面、飛行艇でありながら着水時には浸水し、搭乗員がバケツで汲み出したようです。現在のように優れたシール材やコーキング材が無かった時代ですから、止むを得ないところでしょう。
二式大艇は4基の火星エンジンを搭載。当時の日本での大出力エンジンでした。鳥が巣を作らないように、金網で養生されていました。
二式大艇の説明パネル。前述のように、世界で唯一現存する機体です。戦後、アメリカに運ばれテスト飛行されましたが、その素晴らしい性能に米軍は驚嘆したとか。現在の新明和飛行艇US-2の御先祖さまです。
この二式大艇は、鹿屋航空基地・資料館の前に、お台場の「船の科学館」で展示されていました。私はお台場でもじっくりと見たことがありますので、今回は2回目のご対面となりました。
自衛官の方にお聞きすると、引退した自衛隊機など他の展示機は特にメンテナンスされないものの、この二式大艇だけは定期的に塗装し、機体内部の痛みも確認するなど大事にされているようです。それでも私的には、長く保存するために屋内保管場所が必要だと思ったものです。
正面からと左斜め前から、
続いて推力式単排気管。機体色も含め、排気管も正確にレストアされています。
本当は多くの油圧・電気配管が、主脚格納部に配置されていたと思いますが・・・内部も若竹色に塗られていないのが残念です。
ピトー管は明らかに現在のものです。
着艦フックと尾輪は上手くレストアされています。私は多くの零戦の実機を見ましたが、着艦フックが付いているのはこの零戦と、上野の科学博物館の零戦ぐらいです。
主翼の操縦席に乗り込むところの「足踏」のペイントは初めて見ました。「ノルナ」の注意書きは、大和ミュージアムの零戦にもペイントされています。
鹿屋航空基地・資料館の零戦は、タラップを上がれば操縦席を間近に見ることができます。
綿密に再現されていました。
後方キャノピー内に収められた、二つの赤い円形パーツは何でしょうか。
水平尾翼のトリムタブ。本来であれば「サワルナ」のペイントがあったはずです。
主翼機銃後方の「主脚確認棒」(主脚が出ているか否かの確認棒)は、大和ミュージアムの零戦同様に再現されていました。
尾灯と尾輪。尾灯は明らかに新しく作られた雰囲気。尾輪もそうですが、実機もこのようにゴム製のソリッド・タイヤでした。
零戦に搭載された中島製(現、スバル)の栄エンジン。これほどキレイにレストアされた栄エンジンは初めて見ました。
栄エンジンは空冷星形二重14気筒エンジンですが、52型以降は推力式単排気管(2in1のエキゾースト・パイプ)ということで、外観上は9本のエキゾースト・パイプ・・・これは大和ミュージアムの零戦で確認済みですが、よく見ると1気筒で1本のエキゾースト・パイプもありました。「えっ?どうして?」と頭の中が混乱したものです。^^
こんな感じで栄エンジンは別展示ですから、零戦本体にはエンジンはありません。
スピンナには、エンジンの回転方向やスピンナの取外し方向が書かれたペイントがありませんでした。
この零戦ですが、鹿児島湾から引きあがられた二機の零戦の残骸を、三菱重工の協力の下に復元されたものです。
しかしながら、この状態で引き揚げられたことから、実機というよりも再生機です。ですから、どうしても他の現存する零戦とは違う部分が見受けられるのは、仕方ないところでしょう。私的には、大和ミュージアムの零戦が一番実機に近いと思います。
それでも、タラップを上がれば操縦席を身近に見れるのが嬉しいところ。全姿を撮るには展示室が小さいのが難ですが、実際にご覧になれば満足されるでしょう。
続いて、屋外に展示されている二式大艇です。唯一現存する二式大艇ということで、とても貴重な機体です。
先ずは、二方向からの画像です。
屋外展示用に車輪が付けられていますが、二式大艇は飛行艇ということで、水上から離着水。メンテナンス以外に使うことは稀だったでしょう。
敵機に攻撃された時に用いれた銃座です。二式大艇には合計5門の20mm機関砲が搭載されていましたが、発射速度が遅く弾道が曲がる20mm機関砲で、敵機を撃墜するのは大変だったことでしょう。
銃座のアクリル板は、意外と透明度が保たれていました。プラモデルの塗装で苦労する窓枠ですが、実機はこんな感じということで参考になるでしょう。
あちこち補強され展示されていました。もはや75年以上前の機体ですので、自立できないのでしょう。さらに台風などの強風時には、エルロン(補助翼)が勝手に動いたことがあると、自衛官の方が話されていました。
操縦席の窓には、日除けのカーテンが付けられていました。機内の日焼けを防ぐためでしょう。
正面下部の、船でいう船首の部分には長いエラが付いていますが、これは波消し装置(通称:かつおぶし)です。これは1号機のテスト飛行の離水時に、波がプロペラに当たり、プロペラが曲がり離水できなかったことから付けられました。
日本では数少ない、実用となった4発大型機です。ちなみに、同じ4発大型機であるB-17爆撃機を空中戦で撃墜したという逸話もあります。
反面、飛行艇でありながら着水時には浸水し、搭乗員がバケツで汲み出したようです。現在のように優れたシール材やコーキング材が無かった時代ですから、止むを得ないところでしょう。
二式大艇は4基の火星エンジンを搭載。当時の日本での大出力エンジンでした。鳥が巣を作らないように、金網で養生されていました。
二式大艇の説明パネル。前述のように、世界で唯一現存する機体です。戦後、アメリカに運ばれテスト飛行されましたが、その素晴らしい性能に米軍は驚嘆したとか。現在の新明和飛行艇US-2の御先祖さまです。
この二式大艇は、鹿屋航空基地・資料館の前に、お台場の「船の科学館」で展示されていました。私はお台場でもじっくりと見たことがありますので、今回は2回目のご対面となりました。
自衛官の方にお聞きすると、引退した自衛隊機など他の展示機は特にメンテナンスされないものの、この二式大艇だけは定期的に塗装し、機体内部の痛みも確認するなど大事にされているようです。それでも私的には、長く保存するために屋内保管場所が必要だと思ったものです。
垂直尾翼に描かれた「T」は、宅間航空隊を表します。宅間航空隊は香川県にあった水上機航空隊で、返還された二式大艇も終戦時にこちらに所属していたことから、「T」が描かれたのでしょう。
鹿屋の自衛隊の施設は、今ほど簡単に見学出来なかった記憶があります。今度はぜひ見学に行きたいと思います.ハセガワの新作の二式大艇は、鹿屋の機体を
リスペクトしたデカールが入っています。
新明和PS-1の開発を描いたコミックがあるようですので探して読んでみたいと思います。
今回は家内との旅行でしたので、滞在時間には制約が・・・(^^)。さらに他の見学者の方が写り込まにように撮影するのが大変。貸し切り状態であれば2時間は滞在したと思います。
ブログにはUPしませんでしたが、鹿屋には金星や誉エンジンの残骸が、屋外に無造作に展示されていました。2in1や14気筒エンジであれば7in1は、航空機では普通のエキパイの取り回し。POP吉村さんは、戦時中に軍用機の整備をされていましたので、この経験がヨシムラマフラーに活かされているのでしょう。
US-2はインドに輸出という話がありましたが・・・日本では海上自衛隊の岩国基地に配備されています。
見ていたい気持ちになりますよね!
私は上野と靖国で見学した記憶が・・・
確か靖国神社では金星エンジンの
展示もあった様な・・?
排気管の2in1とシングル直管があるとは初耳です。
US-2 輸出の報道もありましが
未だ実行されていません。
ぜひ実機を拝見してみたいです・・・。
格納庫ですが、鹿屋基地から予算を要求しているようです。されど自衛官の方が「何度要求しても予算が付かないのです」と嘆いていました。(涙)
陸上自衛隊とは違い、旧帝国海軍を色濃く感じる海上自衛隊。伝統を引き継ぐ気持ちは強いようです。
二式大艇の主務設計者は菊原静男さんでしたが、戦後、零戦の主務設計者である堀越二郎さんや、飛燕の土井武夫さんとタッグを組んで、YS-11の開発に携わりました。
これだけ大きな機体を保管するには、巨大な格納庫が・・・結局のところ、費用面だそうです。
二式大艇は、日本というか当時では世界最高の飛行艇でした。B-17との空中戦ですが、おそらく平行に飛びながらお互いに撃ち合ったのでしょう。最初に仕掛けたのは、B-17の方だったそうです。^^
自分は全然わからないのですが貴重な機体ならぜひ屋内展示場でも作ってそこに保管して欲しいですよね〜
川西航空機の二式大艇の開発話は吉村昭さんだったかな???
地元の話だけに興味深く♪
しかし・・・唯一の現存機を野ざらしは・・・汗
詳しくはアリマセンが、兎に角、どのアングルから見ても“カッコイイ”・・・昔から現在に至るまでの戦闘機の中で、“世界一、美しい”っと思っています・・・工業製品ではなく、まるで“芸術品”のような・・・(^o^)
二式大艇:::
これまた詳しくはアリマセンが、4発っていうのが、迫力大!・・・B-17爆撃機を空中戦で撃墜したとはオドロキです・・・(*o*)
この中で注目していただきたいのは、二桁目の数字。これはエンジンの種類を表しますが、僅か3種類しかありません。基本的に1,2は約1,100馬力。4は1,500馬力。対するアメリカ軍戦闘機は、一気に2,000馬力まで進化しました。
そんなところで、零戦の最高速はさほど進化しませんでした。要因はやはり工業力の差ですが・・・敗戦の理由の一つです。
長く造っていれば、当然ながら新型化していきますよね。
戦時中なら、必要に駆られて更に進化がスピードアップしそうですし。
何種類くらいあるのでしょう、、