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斎藤美奈子さんのコラム・その21

2018-05-31 05:31:00 | ノンジャンル
 恒例となった、水曜日の東京新聞に掲載されている、斎藤美奈子さんの「本音のコラム」の第21弾。 
 まず、5月16日に掲載された「日本やばい」と題されたコラム。
「『ニューズウィーク日本版』5月15日号の特集「『日本がすごい』に異議あり!」がおもしろかった。自慢ばかりで形骸化した日本文化、国技や神事や品格にこだわる相撲ナショナリズム、どこに感銘すべきかわからぬ村上春樹、社会風刺ネタがないお笑い…。知日派の外国人らが発する率直な疑問はどれも的を射ていて、笑ってしまう。
 戦後の日本人は日本に対するこの種の悪口ネタが元来は好きだった。ルース・ベネディクト『菊と刀』(邦訳1948年)が売れたのがひとつの証拠。エズラ・ヴォーゲル『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年)も半信半疑で読んだのだ。それがなにゆえ『日本すごい』だらけになったのか。
 分岐点は2010年前後だろう。経済の停滞に加え、人口減少、相対的貧困率の上昇、非正規雇用者の増加など『日本やばい』な状況が顕在化した頃だ。10年には経済産業省にクール・ジャパン室が開設し、『日本すごい』は国策化した。
 だけど、この国策がまたあやしいんだ。『クールジャパン戦略』と題されたHP(内閣府・知的財産戦略推進事務局)のトップには桜と富士山と五重塔の写真が載っているが、これは法隆寺みたいな日本古来の塔とは別物。いわばフェイクの塔である。何がすごいのかわからず、誤解をばらまくクールジャパン。やばくない?」。

 また、5月23日に掲載された「反則の構造」と題されたコラム。
「① 監督が全体的な方針や方向性を示し、②コーチが『相手のクオーターバックを1プレー目でつぶせ』などの具体的な指示を出し、③他の選択肢がないところまで追い詰められた選手が、悩みながらも『つぶしにいくから(試合に)使ってください』と申し出る。
 悪質なタックルに及んだ日大フットボール選手の会見は、旧日本軍の上官と兵士の関係を連想させるものだった。いや、日本の組織にはいまもこのような命令系統、役割分担で動いているところが多々あるのではないか。
 財務省での決裁文書の改ざんも、防衛省での日報の隠蔽(いんぺい)も、森友問題や加計問題にも同様の三段構えの構造を感じる。森友学園への国有地売却問題で、文書の改ざんに関与した近畿財務局の職員は、自殺に追い込まれた。彼の立場は③の選手と重なる。しかし、虚偽公文書作成の疑いで刑事告発された、②のコーチに当たる佐川前国税庁長官は不起訴になり、さらに①の監督に相当する財務大臣や総理大臣は権力の座に座り続ける。
 不祥事が発覚したと見るや、責任を現場に押しつけ、自分は命令していないと主張する最高責任者。上を慮(おもんばか)って下を守ろうとしない中間管理職。省庁も大学も同じなのだろうか。日大選手の会見は、追い詰められた兵士の立場と心情を図らずもあぶり出した。真実を語った彼の勇気を見習いたい。」。

 また、5月30日に掲載された「国会の液状化」と題するコラム。
「サスペンスドラマなんかだと、どんなに巧妙に逃げ続けても、動かぬ証拠を突きつけられた容疑者は『私がやりました』と認め、事実関係を語りだす。追う側と追われる側に論理的整合性が共有されているからだ。
 世間が気を揉んだ日大アメフット部の問題も、当事者の会見や関係者の声明なので、事態は収束に向かいつつある。
 しかるに、わが国会では『よし詰んだ』『もう逃げられまい』と思ってもまるで先に進まない。
 加計問題に際し『私や妻、事務所がかかわっていれば、首相も国会議員も辞める』と述べた首相は『お金のやりとりがあって、頼まれて行政に働き掛けた、という意味でのかかわりはない』。
 ひえ~、いつそんな解釈になったんだ。あなたのおかげで文書の改ざんや虚偽の証言をした者たちはどうなるの。
 しかし、ひえ~は止まらない。加計孝太郎理事長と首相の面会について『実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったように思う』(加計学園)。森友文書について『改ざんといった悪質なものではないのでないか』(麻生財務相)。
 最低限の了解事項や整合性を放棄したら、ドラマにも事件にも解決はない。液状化した国会。この状態で働き方改革を採決する? 国ごと底なし沼に沈んでいくような気分。」。

 どの文章も、まったく同感でした。