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連載 NO.34   2、朝鮮王朝儀軌返還運動と日・朝・韓友好運動  南北も共同で

2020-01-06 | 日本と韓国・朝鮮・中国との友好

NO.34

 2、 朝鮮王朝儀軌返還運動と日・朝・韓友好運動  南北も共同で

2011年12月6日、「朝鮮王朝(明星皇后国葬都監)儀軌」が韓国に返還されたというニュースを覚えておられるだろう。しかし、1922年朝鮮総督府によって日本宮内庁に90年間も奪われていたものが返還されたのか、その経緯を知る方は少ない。さらにその変換過程で日朝協会が重要な役割を果たしたことを知っている方はあまりない。

朝鮮王朝儀軌返還運動の中心人物は韓国のお坊さん、慧門氏である。彼は、韓国民間団体による海外文化財返還運動に関する最終報告書として、「儀軌」取り戻した朝鮮の宝物を出版されている。(東国大学校出版部)

慧門氏は、日本語への序文の中で「私は朝鮮王朝儀軌還国を通じて韓日両国と南北関係を改善したいという考えを持っていた。そのために「儀軌、取り戻した朝鮮の宝物」という本を韓日両国において出版し、善意に基づく「日本の自発的決定」だけではなく、南北7千万同胞がこころを合わせ、日本の良心的勢力と連帯してなしえた成果であることを知らせたかった。と述べておられるように、日本の良心的勢力の中に日朝協会が入っている。日朝協会は日本の民間団体としてただ一つ、政府や関係機関に要請書を提出(2007年11月28日・福田首相あて)し、何度も行動をともにした。

朝鮮王朝は、国家の大小の行事を文書または絵で記録して残してきた。明星皇后国葬都監儀軌は、朝鮮王朝最後の明星皇后の葬儀を記録して残したものである。日本は72種の「朝鮮王朝儀軌」を略奪して持ち帰り、宮内庁書陵部(皇室図書館)に置いていた。

明星皇后は、朝鮮王朝最後の王・高宗の妻である。1895年韓国併合、直前日本の侵略者に殺害された。高宗は、1897年10月大韓帝国の成立を宣布した。明星皇后の葬儀手続きも進む。王室最後の葬儀だった。その記録が日本にあったわけである。

返還活動は2004年8月京都での所蔵事実の確認から始まり、2011年12月6日まで、7年4ヶ月にわたるねばり強い努力が重ねられたのである。

日本政府は一貫して「1965年の日韓協定で文化財返還は完全終結している」といい、韓国政府も「請求権が焼喪失している」として消極的な態度であった。

 

この取り組みは①、南北仏教団が参加されたことと、南北国民がそろって力を合わせられる要求だったこと。②、日本の良心的勢力がこぞって参加したこと。③、慧門氏の理論に裏付けられたねばり強い運動があり、マスコミも支持する報道をしたこと。④、政治的には日韓条約の請求権は認めない・決着済みという論拠に風穴があいたこと。など日朝友好運動の新しい分野を切り開くものでした。

                            

 

 


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