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連載 11  102歳まで生きた母の日記 87歳の頃 (漢字・ひらかな・カタカナも原文どおり)

2015-05-12 | 「私がお話し」します。

絢子さんは、「人間の達人だ」

1996年     正月                      

1・1 月 晴れたりくもったり

 無事新しい年をむかえておぞう煮を祝うことができてありがたい事。学ちゃんは彼女の家に行っている。

テレビをみている。夜、年賀状を書いて出す。

 

1・2 火 晴

 お昼すぎに明神さんへ参る。たくさん参って来られるのでびっくり、トナリへ行くと律ちゃん割合元気にして

いるので安心、四じすぎに帰る。

 

1・3 水 晴後くもり

 今日は割合暖かい、よいお正月びより、お昼にかおりちゃんのご両親がこられてみんなで食事をする

。私はいっしょに食べてあとは自分の部屋でテレビを見ている。

 

1・4 木 晴れたりくもったり

 テレビのリモコンの電池がきれたのでファミリーマートへ買いに行く。何も買うものがないので電池だけ買って帰る。

久しぶりに今年になって始めてコインランドリーに乾わかしに行く。ショップがお休みなのでさすがに人は通って

いない、晩、山本さんの奥さんとみおちゃん来る。今晩から学ちゃんまんしょんでねる。

 

1・5 金 晴れたりくもったり

 お昼前小僧ずしでサバずしを買って 花久でテレビガイドを買ってくる。花久は今日から店をひらいている。

晩はパパとママ岡本さんの所で新年会

 

1・6 土 晴後くもり

ママ神戸へ仕事のため行く、学ちゃんは夕べからマンションでねる。

パパに乗せてもらってお墓へ参る お花はまだきれい 3時半ごろ洗濯物を乾かしに行く、

たくさんあるので二度に分けていく。

 

1・7 日 晴後くもり

お昼前に神崎やヘ誠君のボスを買いに行ったがなかった。お昼はブタマンをチンしてたべる。

誠君肉を焼いて食べるので 私は野菜を切ってキューリの漬物をつくってやる。

今晩もママおそいので私は先に食べる。   *頭を洗う

 

1・8 月 雨

 めずらしく今日は朝から雨、外へ出ない、一日テレビをみている。

 

1・9 火 くもり

 今日は寒い日、朝から神崎やへ行くが 誠君のジュースが売っていないのでほかのものを買って来る。

私はネギトロのおすしを買って来る。3時半すぎに洗濯物を乾かしに行く、風が強くて寒い、

 晩はやきそば、パパが持って来てくれる

 

1・10 水 晴後くもり

 ますます寒くなる。一寸小林さんまで毛染めを買いに行くだけでも寒くてふるう程 お芋を焼いていたので

買ってきてお昼のごはんのかわりに食べる

 

1・11 木 晴後くもり

 今日は外へ出ない、昨日のおイモがあるので お昼それを食べておく、

一日テレビを見ている、夜は山本さん一家が来てる。

 

87歳誕生日  1・12 金 晴れたりくもったり        1996

 今日は花久へTVガイドを買いに行っただけ、お昼は夕べのごはんとおかずが残っているので食べる。

ママが学ちゃん夫婦と買い物に行ったので洗濯をして干しておく、晩は山本さんのお父さんと子ども二人が来て、

学ちゃん夫婦と家と家内中いてにぎやか

 

                      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・欄外・・・・・

この頃の必読分献・TVガイド  週間新潮

 85歳~6歳といえばどのような状況になってもおかしくない年令です。

 私たちが共働きで、しかも妻は遠くへ出張に出かけるのだから、主婦?としてしなければならない仕事が

たくさんありました。おまけに家族それぞれの友人知人が出入りする。下宿やのおばあさんという感じだった

のです。日記を読んでいてもそんな暮らしを楽しんでいたかのような所が随所に見られて、

絢子さんは、「人間の達人だ」と思ったのです。

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