原稿締め切り時に提出したものより、
少し変えて質問しています。
日本共産党議員団の大橋 満でございます。
44年間の議員生活最後の一般質問ですが、今後の向日市を市民本位にしていく上でなにが大切かを考え、通告しておりますように、市長選を終えて、今後の職務及び人生を歩まれる上で、改善しようと思っておられることについて、その一点についてお聞きします。
失礼かとは思いましたが、ちょっと人生の先輩として「誰に対しても、より広い心で接する」ことが、多くの人から信頼される市長になられるのではないかと思ってお伺いします。
何かを決めようとするときに「自分と同じようなことを考えている人」の意見は非常にわかりやすく、聞き入れやすいものですが、「自分が考えもしない」ことを言う人や、「自分の考えに批判的なことを言う人」の意見は理解しにくく、聞き入れにくいものです。
しかし、よく考えてみると、後者の意見に耳を傾けてこそ、視野が広くなり、全市民の姿が見えてくるのではないでしょうか。
そこで私は日本共産党と自分のこと、家系のこと、歴代市長との取り組み、向日市の発展につくしてきたこと、そもそも共産党とはどんな党か、などを述べ、市長が広い心で接して頂き日本共産党の人間も他の人と同じように、区別や差別をすることなく、平等に扱われることが、憲法を守ることになるのではないか、市長が余り肩を張らず、仕事が出来るのではないかと考え、以下、お聞きしたいと思うのです。
まず私のことですが
日本の長い歴史の中で 多くの人びとの幸せのために、世の中を良くしようと思って活動された方がたくさんおられました。
私は20歳21歳のころに、歴史が20世紀まで進んできたこの時代に、戦争によるのではなく、平和的に、理性的に、社会科学的に議会制民主主義を貫きながら、世直しをしていく方法はないものだろうか、と考えました。本もたくさん読みました。
しかも、一部の血気盛んな人間が世直しをするのではなく、圧倒的多数の人々が賛成する目的に向かって、圧倒的多数の人々が賛成し、圧倒的多数の人々が参加できる方法で世直しができないものだろうかと考え、自分の人生の進路をさがしはじめていました。
そうしたら、同じようなことを考え、活動している人びとの集団に出会ったのです。その集団の名前が、日本共産党という名前だったのです。 22歳の時にその仲間入りをしました。だから、
私は生まれたときから日本共産党ではありませんでした。
また、日本共産党員だと言ってもいろいろな人がいるものです。
私の家の家系は皆さん方の概念で言えば、保守の中の保守でした。
祖父は、クリスチャンで、まこと幼稚園・向日町基督教会をつくられた人の中心人物の一人でした、昭和8年向日町議会議員に当選しました。学務委員もしていたそうです。
その弟は、学習院大学の教授でした。彼の葬式には天皇陛下から樒に代わる、白い布が送られてきたと、先日なくなった母が言っておりました。
その教授が大正5年9月に書いた「大橋家の家系について」という文書が今も残っています。西暦1300年頃まで遡っていますが、先祖が北畠親房だと書かれています。
北畠親房は『神皇正統記』を書いた南朝の有力な指導者だった人です。長男の北畠顕家は、福島県霊山町ゆかりの人で、小字まで地名も詳しく書かれていましたが、
私は半信半疑で、昨年秋その真相を調べるべく福島県霊山町(合併して伊達市)とその周辺に調査に行ったのですが、書かれていた、古いお寺の名前や地名は全て存在していました。
そこには「北畠」をまつる神社があり、北畠にまつわる歴史研究が多く行われており、町の歴史「町史」を4分冊、全部買ってきました。
町を歩いてまたびっくりで、合併前の町長さんは日本共産党の大橋さんで、右も左も大橋という家ばかりなのです。
もっと時間をかけて再調査にいかなければならないと、元町長に再会の約束をして帰ってきました。大地震でどうなっているのかと心配で先日も電話しましたら、近所の公民館には100人以上の被災者の方が来ておられ、復興支援で忙しいと言うことでした。
それからもう一つ、自分でも保守的な家系だと思っていることですが、私は余り気にしていなかったことですが、伊勢神宮では10月中頃に神嘗祭、11月の終わり頃に新嘗祭というお祭りがあります。
一昨年のことでした「真夜中の祭りで大変だが、この祭りを見に行きたいか」と聞かれて、何にでも興味を持っている私は、行きましょうと二つ返事で、二回も伊勢に行ったのです。
池田厚子さん、天皇の姉ですね、小さいおばあさんです。
この方が祭主・伊勢神宮の神官の長です。上は白装束に赤い袴、赤い木靴を履いて、足下を杉の木を束ねてつくった松明で照らされながら、先頭を歩き、後ろに30人ほどの神主と何種類かの祭具を担いだ神官がゆっくり歩いて、何カ所かの場所に止まって決められた儀式をして、お参りされるのです。
私たちが入れない場所もあり、出てこられるまで待っていなければなりませんでしたが、真夜中の1時間半~2時間くらいの儀式でした。
向日神社の宮司さんに伊勢神宮の新嘗祭などに参加されるのですかと話したら、私は行ったことがないと言われました。「昔は直接見たら目がつぶれる」と言われたものだと書いた文書を読んだことがありますが、私の目は大丈夫でした。
私の身内にはそういうところに行けるルートもあるのです。
何故こんなことを言ったのかと言いますと、日本共産党の人間も他の人と同じように、区別や差別をすることなく、平等に扱わなければならないと言うことがいいたかったのです。
以前の市長はどうだったのか思い出してみますと
「共産党」だというだけで、余り毛嫌いされませんでした。
私は、今日まで、向日市を築いてこられた多くの政治家、市役所幹部のみなさん方とご一緒にこの街を全国に誇れる街にするために、活動してきました。
日本共産党の関係者の中では、知る人ぞ知る市になりましたが、一般的にはまだ、日向市と間違われるほどですからもっと努力が必要です。
共産党議員団も努力しますので、市長もぜひご協力をお願いしたいと思うのです。
私がご一緒した市長は、中山仙三さん、民秋徳夫さん、岡崎誠之さん、そうして久嶋さんですが、久嶋さんが歴代市長を超えて立派な市長になって頂くために、どうしても直して頂きたいという問題について、別の角度からお聞きしたいと思うのです。
それは、日本共産党員に対する見方、対応の仕方、さらに日本共産党員でなくても、余り好きでない人との接し方についてです。
中山さんは、大橋君、今日は疲れているのと違うか,とよく言葉をかけて頂きました。私が日本共産党の事務所の仕事をしながら議員活動をしていたのを知っておられたからです。
そうして私が提案したことにも嫌な顔をせず、他の議員が提案されたことと分け隔てなく、良いことは良いとして実行して頂きました。
こんなことがありました。昭和45年この場に庁舎ができ、消防署も滝本金物店の隣から本庁舎の東の端に移されました。それでも当時は立派なものでした。
かって、京都府知事だった蜷川虎三さんは、「消防行政は地方自治の原点」であり、「我が町は自分たちの手で守らなければならない」と協調されていました。
私は、その教えを実行するために、市政以降何年か経ってから当時の消防長に「消火活動で一番大切なことはなんですか」質問しましたら、初動の30秒です。と答えられました。
私は、庁舎から府道に出るまで何分かかるのですか?と聞くと30秒だと言われました。それなら府道際に消防署を建てれば物集女も、上植野の端までも5分以内でいけるようになる、現在の図書館入り口が市有地でしたので、そこに移せばどうかと質問・提案しました。
民秋さんは、私の意見に「なるほど良いことだが、もう少し考えよう」と言われ、何日か経ってから、大橋君京都府に頼んで「たこ公園」の所にするよといわれ、昭和56年8月、現在の消防署への移転が行われました。なるほど、良い場所だ、私はさすが民秋さんだと思いました。
また、こんなことがありました。今回改修されている、向陽小学校の前の北校舎ですが、長い間避難階段がありませんでした。日本共産党議員団で向陽小学校の視察をしました。北校舎の3階の、廊下の端に木の箱がついているので、あれはなんですかと聞きましたら、避難用の道具だといわれるのです。
どのように使うのですかと聞くと、火事などが起ったときに窓からアーム出して、井戸のつるべのようにして子どもを一人ひとり下ろす設備だというのです。
私はびっくりして、消防法はどうなっているのかと聞くと、つるべのようなものでも違法ではないというのです。そうして年に一~二度訓練しているというのです。
私は、次の訓練の日に、市長と教育長がそれで降りてみてください、どうですか? と聞きました。お二人とも返事がありませんでした。
さらに私は、最後の一人はどうして降ろすのですかと聞きました。教育長は答弁出来ず、市長と相談すると答えられ、次の予算に「非常階段建設費」が組まれました。
さらに、いま、向日神社の崖地工事が3年がかりで行われていますが、この工事のきっかけは昭和51年3月開設の向陽小学校のプール建設前に、崖の上にある南山64番地の民家が危険ではないかと質問し、地滑りする前に擁壁工事をして頂きたいと要求したことが始まりなのです。
工事計画は中山さんから民秋さんへ申し送られ、この崖地工事には多額の費用がいることから、必要性はよく理解出来るが予算がない、どうするか、目途がつくまで待ってくれと言われました。しばらくして、工事をすると言われました。
その方法は、向日市内唯一の「土砂災害警戒箇所」の指定を行い、九割国庫負担で行うという内容でした。それ以来、運動場の西側から始まり、さらに延長して向日神社の裏山に進みました、長い時間と多くの関係者の努力があり、京都府が用地買収までして、公費で改修出来るようになったのです。
もし「神社の裏山が宗教施設の境内」と言うとらえ方だったら工事は出来なかったのです。歴史的な向日神社の景観も、関係する氏子のみなさんのたゆまぬ努力と、日本共産党議員団の努力と、中山さんから民秋さんへのバトンタッチと「大岡裁き」とも言うべき判断があったのだと言うことを、ぜひご理解頂きたいと思うのです。
他にもいろいろなことがありましたが、時間の都合で詳しく述べられませんが、日本共産党と市民の共同で、向日市政そのものを、新しい考えで、憲法が生かされるような町として発展させるために、果してきた役割は、歴史の事実として多くの分野で残されています。
いくつか思いつくままに申し上げますと、地方自治体が陥りやすい過ちは、
Ⅰ、一部の人の利権に利用されないようにすることです。暴力や圧力に屈しないことです。
中でも「水道公認業者規程」を作る過程では、私に「殺したる」と言う脅迫電話を受けました。犯人確認のため向日町警察署にも行きました。この事件は、片方で、水道事業者の一部の人が管工事組合を作り宅造工事の水道外部連絡工事を一手に握り、利権を得ようとしたもので、市政が歪められそうになる事件でした。そうさせずに、多くの工務店の方に感謝されました。
また、特養ホーム向陽苑の用地買収をめぐる事件は、農協をも巻き込んだ事件で、当初の予定地が、日本で初めて倒産した兵庫銀行とそのリース会社、担保物件を市に売りつけようとした宅造業者、そこに巻き込まれた地元の有志、そうして現在の場所へと変更されるという複雑な事件でした。日本共産党が、税金のムダ使いが起こらないように、法律を遵守して、解決に導いたのでした。
その結果を市が正しく総括し、二度とこのようなことを起こさない決意をしておられれば、今回の北野貯留槽漏れ事件を起こしていなかったかもしれない歴史に残る事件でした。
Ⅱ、市民の命と暮らしを守る問題では、先ほど述べた向日神社・
消防署の他に防災問題では「京都市と水道を三箇所でつないでいる援水協定」「消防署、市役所、浄水場の自家発電装置、」「何よりも安全安価な水道水の確保」
さらに、公共施設の利用は無料で、せめてごみ収集は無料で、子ども、お年寄り、ハンデイをもっている弱者の立場に立って頑張りました。
自治体として根本的な問題では、向日市が他の町と合併しないように頑張りました。
その他にも、昭和59/長岡京遷都1200年に行われた「平和都市宣言」、同じ長岡京遷都1200年記念行事で京都府との関係での図書館・資料館用地の無償貸与条例違反問題、共産党議員団が提出した「都市計画税引き下げ条例」がきっかけで、値下げが行われました。地下水を守れの運動で「地下水採取の適正化に関する条例」が可決されました。
また、倒産した三基建設をめぐる事件、市幹部のゴルフ接待と危機管理問題等で、共産党の独自調査に基づく公正な行政を求める等、多くの提案を行い、市政が正しく進むように頑張ってきました。
Ⅲ、また議会制民主主義を徹底するために、①、飲み食い政治をやめよ ②、議会だよりの発行を実現し、③、発言時間の制限をやめさせ、④、適切な視察、⑤、公正な役員選挙の実現、⑥、議会傍聴と市民の発言、⑦、公聴会の実現や⑧、各種審議会への申しいれ、など多くの改善をしてまいりました。農業委員会の推薦問題はまだ解決していません。
議会だよりの発行を実現したときのことを少し申し上げますと、当選した当初は議会だよりは発行されていませんでした。共産党議員団はニュースを出していましたが全市民に広がりません。そこで私は壁新聞のようなニュースを作り、市の公示用ではなく一般の掲示板に張り出しました。そうしたら鎌田正太郎議長に呼び出されました。私はなぜ悪いのですか、議会がニュースを出さないから私がお知らせしているだけだといいました。議長は、公の所に貼ってはダメダといいながら、議会としてニュースを出すように考える、といわれ「議会だより」の発行となったのです。
これらの事実は、市民の暮らしを守り、改善していくことには、誰が言っても良いことは良い、特に日本共産党の主張に真理があったと言うことです。人を差別しない、「共産党だと言う理由」で差別しない。このことは、今後の市政の発展に必ず大きな役割を果たすと思うのです。
これからの指導者として、一番大切なことだと思うのです。
だから久嶋市長は、「反共」という見方をしないようにして頂きたいのであります。昨日水道料の値下げは、自分や長岡京市長などの地道な努力によるものだと言われました。しかし現実には、市民も議会もそれぞれの立場で努力し、みんなの力で京都府を動かしたのではないでしょうか。市長がみなさんの努力もありましたが私もこのように頑張りましたと言われれば、三期目の市長は変わったと評価されるのではないでしょうか。昨日までは仕方ありませんので今日からぜひそのように考えてください。
申し上げてきたことを考えて頂き市長のお考えをお聞きします。
日本共産党は、長い世界の歴史の中で、次の時代に役立つものは残し、さらに発展させて、世界平和・人類のさらなる発展のために活動している政党です。
だから、本来的には市長を含めて全市民のみなさんと、議会のみなさんとも協力出来るはずなのです。
また、日本共産党は、日本国民の政党です。
旧ソ連が、解体したとき、世界中で只一つ「双手を挙げて賛成する」と言う声明を発表しました。当時のソ連は、名前は共産党だったけれども理念も行いも「共産党の原則からはずれたもの」だったからです。それまでに何度も「あなた方の方針は間違っている」といろいろな機会に注意していたにもかかわらず、改めなかったからであります。
さらに現在、北朝鮮労働党とは、40年以上にわたって関係が断絶したままですし、北朝鮮という国と日本共産党は公式な関係は全くありません。彼らの考えや行動は「共産党の理念」からはずれているからです。民主主義からはずれているからです。
日本共産党は、だからといって日本国として、国連に加盟している国の中で、北朝鮮とは国交を結ばないというのは、日本国家として、国際問題を正しく解決する上では異常なことだ、国交を回復せよと、小泉元総理が進めた、日朝ピョンヤン宣伝の内容が実現されることを求めています。
かって、中国共産党が、日本共産党に対して、中国共産党の手下になれと、あくどい攻撃をしてきた時期がありました。日本共産党は、中国共産党が、自ら間違いを訂正するまで”33年間も中国共産党との友好関係がなかった時期があります。”中国が次々と新しい指導部に変わっていく中で、日本共産党に対する圧力は間違っていたと公式に謝罪してきたので、繰り返し話し合いをして、以前のような友好関係を回復しました。
日本共産党は、相手がどんな大国でも日本国民の立場に立って、日本国民の幸せを守るために活動している政党なのです。
「常に国民の立場で真理を探求する」政党だから、私は信頼出来るのです。
さて今後の向日市政の発展方向は、市長が何人変わられたとしても、近い将来、必ず市民主人公の方向に市政は進むと考えています。
市民が主人公で平和憲法の理念と内容が生かされる町、そうして原発ゼロの日本に発展すると確信しています。
私は、今後も向日市のみなさんの幸せのために努力したいと思います。さらに向日市の良いところを、全国に広げていくことにも努力しようと考えています。また、何よりも、世界の進んだ文化や科学を多く知り、身につけ、向日市に恩返ししたいと考えています。 以上、質問と致します。
市民のみなさん、議長はじめ議員のみなさん、市の幹部及び職員のみなさん、本当に長い間ありがとうございました。