どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

ひとの事を言ってる場合じゃない

2015年11月25日 | 日記
自由の身になって3か月が過ぎた

何をするのかとよく訊かれ 退屈するよと言われてきたが そんなことはないと思っていた

確かに家の整理もあり めんどくさい手続きもあり 時々遊ぶ日もあり 旅にも行ったし いつもと同じような家事もありと それなりに時間は過ぎていくが それでも自由時間が爆発的に増えたことは間違いない

今一番感じているのは 運動不足と人との関わり不足

労働者は大変ではあるけれど 少なくとも否応なしにこれは解消できていた

私のように一人暮らしの者は ことさら意識してこの解消に努めなければならないと今は感じている


数年前に奥さんを亡くして独り暮らしになった男性が 自分は被害者だという理由から騒音を流し 嫌がらせをして逮捕されるという事件があった

詳細はわからないがエリートで紳士でもあり 老後の生活に何不自由の無い生活を多くっていた男性が 妻の介護の果てに奥さんを亡くしてからのことだという

寂しさからだとか 介護疲れだとか 何かが壊れたとか 色々な説明を想像することはできるが 一人暮らしというのは 精神的にも肉体的にもけっこう大変なんだということだと思う

私のように最初からそのつもりで人生を送ってきた者でも 独居ゆえのストレスというものもあるわけで ただしそれは何かしらの集団で暮らしてもそれなりのストレスがあるだろうから どちらが良いという問題ではなくどっちもどっちだとは思うのだが 思惑とは違う方向に人生が進んだ時に 自分の精神をどう立て直すかが生き方を問われるところだろうと思う


責任や悲しみや辛いことは半分に 大笑いするような出来事や美味しい食事などの楽しみは二倍になる生活は大事である

一人で暮らす人はだれかとそれを共有するもよし 独りでもそれを楽しめる生き方を見つけるのも良いだろうと思う

これから先 家族を作った人であっても将来的に独居生活になる可能性は増えるだろうから 本人の覚悟も必要だが 生活保護や介護と同じように精神衛生の福祉も大事になってくるかもしれない

もっとも 最後は人それぞれだしなあ

私も ひとのこと言ってる場合じゃあない  
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そろそろ初冬か

2015年11月24日 | 日記
本日 二時間半ほどの整理で終える

今年の秋は 比較的暖かい日が多かったように思う

そのせいか平野部では紅葉が遅れているらしく いろいろな催し物の延長を検討しているとか

私は昨日 今冬初めて暖房を入れた

設定温度20度ですっかり暖かくなり まもなく暖房を切った


暖冬になるらしいとの長期予報が出ているが それも冬が終わってみなければわからない

それでも暖房器具や防寒着・冬用の衣類の売れ行きが良くないそうで そんな話をきいてもやはり暖かい秋だったのだろうから 予報は当たるかもしれない 

けだし暖冬だからといって安心してはいられないらしく それがエルニーニョの影響だとすれば 思いがけない大雪になる可能性も高くなるのだそうだ


天気という自然を相手に文句を言っても始まらないし せいぜい数日間の天気予報を見ながら日々の計画を立てるしかない

冷え込む日 木枯らしの吹く日 大雪にでもなれば寒さよりも通勤の足が心配でもあり 労働者にとっては辛い時期になってきた

天気と相談しながら日々を過ごせる私とは違って 問答無用で仕事に向かわなければならない人たちには心からエールを送りたい

まだ暗い朝の冬らしい空気の匂い 木枯らしや歩道に舞う落ち葉 澄んだ夜空に瞬く星 数々の温もりにほっとする瞬間

冬はだいっっっっ嫌いなのだが 小さな喜びを見つけながらこの3か月を過ごすことにする
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勤労感謝の日 と 新嘗祭

2015年11月23日 | 日記
母の学生時代のアルバムの表紙には その卒業年が 西暦ではなく皇紀で書かれていた(確か 2604年かと)

子供の頃 ゴム跳びをする時に「紀元二千六百年」を歌った記憶がある

勿論その替え歌であるが それをいつ だれが作って どのような歴史をたどって20年以上も子供たちに唄い続けられてきたのだろうか

「きーんしかがやくニッポンのー アメリカ アジアに ヨーロッパ・・・」と歌った気がする

今は ゴム跳びをする子供なんて見たことも無いから この歌を知っている人もかなり減ったことだろうと思う

輪ゴムをたくさんつなげたものを使っていたが おもに女の子の遊びで 私はあまり好きではなかった気がする

男の子と木登りをしたり 探検と称して公園で遊んだり 忍者遊びだったり 馬跳びの方が好きだったのだ

私の小学生の頃は昭和の香りもふんだんに残ってはいたけれど それでも戦争の記憶も次第に薄れ 高度経済成長期を迎え 東京タワー カラーテレビ 東京オリンピック 新幹線開業という時代でもあり すでに子供の遊びも大きく変わり始めていたのだ


そんなことを思い出したのは 今日の勤労感謝の日 昔は「新嘗祭」と言ったのだという話を 小学校の高学年になった時に担任の先生が話してくださったことが何故か今も忘れられないからだ

黒板に「新嘗祭」と書いて「にいなめさい」と読むのだと言い その説明もしてくださった

現在 その女性教師は75歳前後かと思う

その時はただ先生としてしか見ていなかったが 終戦の記憶などあったのだろうか

完全に戦後の教育を受けたのだろうとは思うが その時 先生は何を思ってその話をしたのだろうか と今頃になってふと考えたりする


戦後 国家神道と結びつくような祝日はGHQによって変えさせられた

日本古来の意味としては 感謝祭とも少し違い(神嘗祭がそれに近いか) 五穀の収穫を祝う日であり 一年の仕事の労をねぎらい 一年分の蓄えに対して神に感謝する日でもあった

極めて自然と密接につながった祭りであり 日本の精神文化のひとつを担うものであったかもしれないが お米の消費量も減り 食生活も生産方法も保存方法もすっかり変化し 世界単位で農作物が移動する時代で しかも ハロウィーンの祭りの方が年々栄えるばかりという現代 もう この祝日を前にして黒板に「新嘗祭」の文字を書いて説明する先生も少ないだろうと思う


勤労から離れてそろそろ3か月 感謝もされない人間になってしまったけれど 贅沢でなくとも美味しくて安全な食生活が 生産者にとっても消費者にとっても 人類の歴史が続く限りだれにでも保障された世界であって欲しいと 小食なくせに食いしん坊な私はそう願いつつ 少し感謝
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今日は許せ!

2015年11月22日 | 日記
せっかくの連休だというのに ぱっとしない天気

家事をする気にもならず 古着回収もサボった

姉に手紙を書き 確定拠出年金の手続きの書類を出して 今日の仕事はお仕舞

ラジオを聞いたり ネットで落語を聞いたりしながら バカのように寝た

こういう日は楽ではあるけれど 決して楽しかった~とは言えない

もう少し真面目にやらんと・・・まぁ 世の中連休だし今日は許せよ! 
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年末に向けてのお墓掃除

2015年11月21日 | 日記
この連休は次第に天気が下り阪に向かうという

そしてそのあとは いよいよ晩秋 初冬らしく気温が下がってきそうな気配

もう11月も終わりになるのだしなあ

そう昨夜思って 今日はまだ暖かそうなので そうだ お墓の掃除に行こうと決めた


前回は珍しく秋の彼岸前に 退職の報告も兼ねて出かけたのだが 生憎と曇り空で雨も降りそうな天気になってしまい 剪定もそこそこに引き上げてしまった

今年中にもう一度行かなければと思っていたのだ

さすがに2か月前にやっただけのことはあって 割と綺麗だった

効果のほどはわからないが あの百日紅にには黒いビニール袋をしっかりとかけてきた


いつも掃除の後に写真を撮っているのだが 先日それを見ていたら 私がいつの間にか柘植の木の剪定を遠慮がちにしていたせいか ここ数年でけっこう大きくしてしまったことに気が付いた

そこで 今日はけっこう伐ってやることにした

この時期ということで 新しい花が供えられているお墓はさすがに少なかったが それでも連休のせいか 時々墓参の方々と出会った


8時前に家を出て 1時過ぎに帰宅

今日しようと思っていた洗濯をすぐにやってしまってから やっと 遅い昼食を兼ねて一杯

そのまま3時間ほど寝る

今年やるべきことを できるだけ残さずにやっておこう

そろそろ そんな事を考える時期になってきたみたい

   
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