どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

お土産のミャンマービール

2015年11月20日 | 日記
本日は自分の部屋も含めて ほんの数時間程度作業をしただけで終える

先日の春さんとの徘徊の時のこと

徘徊だというのに彼女のザックが荷物でパンパンに膨らんでいる


電車の中で ヤンゴンの建物の写真のポストカードをいただいた

日本にも擬洋風建築というものがあるように ミャンマーにもそれが見られる

ポストカードを入れてきてくれた袋は ミャンマーの手織りの布で出来たものだった



ファブリックとして決して悪いものでは無い

ただし この白い部分は抜いたほうが良かったのにと思った

テキスタイルデザイナーが目をつけたら きっと素敵なシャツやジャケットの生地が出来るだろうにと言ったら 春さんも同意見だった

ただまだまだ情勢が不安定な中で 外国企業が投資をするのは難しいだろうとのことだった

女工哀史のような暮らしをしている人々の暮らしがもっと良くなればいいなと思うけれど 何が幸せなのかはすごく難しい問題

経済だけを追いかけても決して幸せにはなれないことを 私たちはすでに知ってしまっている

けれども 経済が人の幸せの多くの部分を支えていることもまた事実

家の電話も無いような生活から 一足飛びに携帯を持つという急速な変化が起こるのも 今の時代ならではであろう


春さんが電車の中でこれを渡してくれた時 これは第一弾と言い 他にもあることを匂わせていたのだが 私はあえて何?とも訊かず そのまま徘徊は過ぎた

刑務所の矯正展で買い物をした春さんは すでに大きな袋も持っている

お昼を過ぎてから 駅で電車を待っている時のこと

あまりの荷物の多さに ついつい 何をそんなに入れてきたのかと尋ねてしまった

そうしたら なんと ミャンマー土産のビールを入れてきたという

びっくりしてしまった!

徘徊だというのに そんな重いものを・・・

私は すぐに受け取った

もっと早くに言ってくれたら良かったのに 遠慮して言わずにずっと背負っていたのだと思うと 申し訳ないような気持ちになった

他にも レジャーシートだのおやつだのを入れてきて そのくせ 朝が早かったので車内で食べようと用意した朝食は忘れてきてしまって・・・


お土産に頂いたミャンマービールは 世界でも認められ受賞もしているというもの

昨日 飲んでみたが 日本独特のどんな料理にも合うビールとは違って スパイシーな料理にぴったりという感じだった

ありがとう

でも 今度一緒に徘徊する時は もっと少ない荷物でね

あれでは 頑張って歩けないしね~^^
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千葉徘徊の続き

2015年11月19日 | 日記
春さんとの千葉徘徊の続きを書こう

教会から歩いて こんどは「千葉市美術館」へ行く

ここは新しい建築物ではあるのだが 1・2階が「さや堂ホール」と呼ばれ 実は「旧・川崎銀行千葉支店」の建物を保存・修復したものである

新しい建築物が 古い建築物に覆いかぶさって内包している姿は また面白いものでもある

なお 設計は矢部又吉で 横浜の日本興亜馬車道ビルになっているあの外観だけ残したビルも彼の作品

彼の作品として他に 第百銀行横浜支店も 今は高層マンションになってしまったその一階部分の外観にもとの姿を残している 

大阪では 旧川崎貯蓄銀行が素晴らしいカタチで堺筋倶楽部・アンブロシア(レストラン)として今も現存・利用されているし あの明治村にも川崎銀行本店の一部が保存されている


建物全景


大きな柱のむこうに さや堂の柱が見える
  
この建物の中にレストランがあることを教会できいていたので 私たちはここで昼食にする


そのあと千葉駅まで歩き 本日最後の場所になる稲毛まで電車に乗る

天気は 朝とはまるで違い晴天そのもの

まず初めに「千葉市ゆかりの家・いなげ」という名前のついた 愛新覚羅溥傑(ラストエンペラーの弟)が 伯爵令嬢である浩と新婚当時の半年ほどを暮らした家を見る

当時の稲毛は海も近く 保養地や別荘地として多くの文人墨客が訪れる土地であったらしく この家も平屋で小さいものではあったが快適な住まいであっただろうと想像できるものだった

ほとんど政略結婚でありながらも 自分の立場を運命と受け入れ 互いを尊重し 愛を育んだということは 両者とも優れた人格者だったのだろう


次は「千葉市民ギャラリー・いなげ」と呼ばれ 国登録文化財となっている「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」

今となっては有名なところでは 浅草にある「神谷バー」と「電気ブラン」の名前くらいだろうか

本格的フランスワインの醸造法を導入し 日本のワイン王と言われた人の別荘である

そのせいだろう 玄関のシャンデリアに葡萄のモチーフを使ったり 二階の床柱の一部にその木を使ったり 欄間にも絵柄を利用したりと まさに「葡萄の館」であり 素敵な洋館である




一枚板をくりぬいた木瓜窓

いつかは茨城県牛久にある「シャトーカミヤ」(重文)にも行きたいと思う


最後はすぐそばにある「千葉トヨペット本社」(旧日本勧業銀行・国登録文化財)



これは妻木頼黄(よりなか)と武田五一との共同設計になってはいるが ほぼひとまわりの年齢差があるために おそらくは役割分担(設計と監督といったような)があったのだろうと思う

妻木の作品として有名な物で今も現存しているものの一つが あの現・横浜県立歴史博物館である

武田は 京都には非常に作品が多く 先日見てきた京都大学人文科学研究所もそうである


この建物は和洋折衷というよりも いささか和に近く 私は建物の意匠よりも 数奇な運命をたどったことの方に興味が湧いた

銀行本店として日比谷公園の向かい 今のみずほ銀行がある場所とほぼ同じところに明治32年に建てられる

その後大正15年 本店改築のために売りに出される

京成が買い取り 「谷津遊園」に移築し 「楽天府」と名づけて娯楽場などとして利用したのだが 昭和15年に千葉市が庁舎として使うために無料でもらいうけることになり 再び移築されて昭和36年まで使用される

そのあと 千葉トヨペット本社として稲毛に移築され 今も社屋として使われている

屋根は建築当時と同じ木造銅葺だが 躯体はもちろん鉄筋コンクリートであり 中に入れば過去を物語るものは一切ない

何度も転々とし 所有者もその利用のされ方も違う人生を過ごしてきた彼?が ここを安住の地として末永く生きていけますように


これにて千葉徘徊は終了

東京から近いのになかなか行けなかった場所の徘徊にお付き合いしてもらい 楽しい一日になった

番外編も書きます^^

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時はきちんと流れていく

2015年11月18日 | 日記
本日は買い出しの日

最後の布団だしが明日なので 粗大ごみ処理券をセブンイレブンで買ったら くじを引いて下さいと言われた

三枚引いて そのうちの二枚が当たりだったが 二つとも飲み物

うち一つはサイダーで 炭酸飲料を飲まない私には持て余す代物

以前は会社に持って行けば だれかしらがもらってくれたのになぁ


朝からスーパーが混んでいると思ったら ポイントが多くなる日だったようだ

それに 幾つかの種類のものが2割引きにもなっている

働いていた時にはあまり気にしなかったが 多分 給料日前の週あたりはこうなるらしい

これからは こういう日もどんどん利用しないと


滅多に行かない銀行にも寄って 年金の入金を記帳してきた

私の場合 企業年金基金からも振り込まれるのだが そちらはまだなので微々たるもの

まあ 65歳になるまでは どちらにしても大した金額ではないのでそのまま通帳に残すことにするので なんだか嬉しくも無いし実感も無い


今日は 筍の煮物 アンチョビ入りの野菜サラダ ほうれん草の胡麻和え ヒラメのお刺身 笹かまぼこを焼いたもので一杯

笹かまぼこはなかなか手つかずのまま冷蔵庫にあったので 斜めに切ったものに軽く片栗粉をなじませて フライパンで焼いてみた

いつも食事は作っているが 買い出しをした日は食卓もにぎやかになる

それから数日は 買ったものの整理というか 食材を無駄にしないようにメニューを考えるのだけれど それも一人だとけっこう大変

それでも 労働者の時よりは幾らかはマシになった


買い出しをした日はあまり家事はせずに 今日は部屋の片付けだけして終える

このところ 天気が数日ごとに変化している

来週からは気温も下がってきそうだし 晩秋から初冬へと移りつつある

今年もあと少しという声も聞こえ始めてきた

時は きちんと流れていく
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本日 叔母訪問

2015年11月17日 | 日記
本日 叔母のところに行ってきた

母の妹で現在81歳である

会うのは母の葬儀以来だから もう10年以上も会っていないことになる

比較的近くにいるのになかなか行けずに 時折手紙の交換があったり 電話で話す程度だった

私を可愛がってくれて 両親のことも愛してくれていて 一番親しい親戚


昨日 葉書を受け取った

喪中葉書ではなかったが そこには 今年の初めに叔母の夫が亡くなったので年始の挨拶はできないことが書いてあった

仕事を辞めた時 叔母にも知らせ 電話でもそのうち遊びに行きますと伝えていたけれど その時もそんな話は出なかった

儀礼的な事を嫌い 本質だけ 本当に心だけのつながりを大事にするという 世間からは変わってみえるかもしれないけれど そういう心の持ち主どおしであればわかること

今朝 叔母に電話をして 訪問しても良いかと伝えた


叔母は まだ自身が10代だった頃に私の両親の馴れ初めを見て以来の付き合いで 父の事を本当ならお義兄さんと呼ぶべきなのだろうが 以来ずっと○○さんと苗字で呼んでいる

父の 誰にも媚びない態度や真面目な仕事ぶり ハンサムでユーモアのあるところや誠実なところ 信念を曲げないところなどが本当に好きだったようだ(悪く言えば 依怙地で頑固 嫌いな人間と付き合うのは不器用)

映画好きの父が叔母と見に行った話は(母と喧嘩でもしたのだろうか)母を前にして父からも聞いていたし 叔母もそんなことがあったのよ すぐそこなのにタクシーに乗るからびっくりして なんて 今日も話していた

姉である母の事も尊敬していて 学ぶことも多く 影響も大きかったというし 両親を愛してくれていたことはよくわかる


以前も書いたことだが 叔母の第一子はダウン症である

その時 夫の実家の人間は だれもが無神経だったという

親戚一同が集まる場所では 冷たい視線や言葉があり 理解者は一人もいなく 針のムシロのようだったと最近になってきいた(夫にもその不満は十分に言ったようだが^^)

叔母が二人目の子供を産むときも 母は賛成しなかったのだが それでもその長男を預かり 私は弟のように思って一緒に生活した

その子が高額な私立の学園に通うのにも たまたまそれが我が家の近くということもあって その期間は母がお弁当を作りバスに乗せた

父は 男の子だというので また娘の頃から良く知っている義理の妹の子供でもあり 快く迎えていた

そのことを 叔母は今も感謝してくれている

私は そんな両親を素敵だと今も思う

お見合い結婚でお金には全く不自由の無い生活だったが 姉夫婦の結婚生活の最後までを見届けた叔母としては もしかするとそれはとても羨ましいものでもあったかもしれないと思う 


家の整理をしていた時に これは叔母に見せようと思う昔の写真を持って行った

そのいくつかは そのまま置いてきた

愛情は ひとくちでは語れない

微妙に織りなす複雑なタペストリーである


10年前に会った時と違って それなりに老けた叔母を見るのは少し辛かった

そして 彼女よりも5歳上の母が生きていたらどんなであっただろうかと想像もしてみた

やや腰の曲がった 歩みも遅い老人と手をつないで歩く人を見かけることがある

娘さんなのかな お嫁さんだろうか

コマーシャルによくあるような 黒人の男の子がショーウィンドウの向こうにあるトランペットを眺める図 

あれに近い目をして 私は いつもいつもそういう人を見てしまう

私もそんなふうにして 母と歩いてみたかった


末っ子で 若干甘えん坊でもあった叔母が障害児を持ったことで強くなったと 母は生前 私たち子供には自分の妹を褒めてそう言った

私なんかよりも あの子のほうがずっと強いと

今日 そのことを叔母に伝えたら あの子が生まれた意味もあったということね と言い 姉の言葉を私の口を通してきけたことを喜んでくれた


それにしても 疲れた

そして 何かしら欲求のはけ口なのだろうか まあ 叔母のワンダーランドの物の多いこと

誰に迷惑かけるわけでもないとは思うけれど だから まあいいけれど 

物質的にシンプルな生活を楽しむ事ができる人は 実は相当 精神的にも体力的にも満足している人なのかもしれないなと感じた

私は 70歳までは生きていたいかなと思う

80歳を過ぎて どれだけのものになっているかが勝負だろうなあと思うが とても自信は無い

無いけれど やってみるね できるとこまでは
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日本キリスト教団 千葉教会

2015年11月16日 | 日記
しばらく遊びの日々が続いたので 今日 再び家の整理をする

暖かい天気の良い日で まさに小春日和である


さて 千葉徘徊だが 刑務所の次に向かったのは千葉大学医学部

本館と 今はサークル棟となっている建物を見に行く

両者とも私の好みではなかったが 一つ 新しいけれどちょっと気になる建物を発見



この水平のラインを強調するというデザインは よく見られる手法で決して新しいものでは無いのだが それでもとてもモダンに見える

家に帰ってから調べたところ これは千葉大学で建築の教室を持つ鈴木弘樹氏の作品とわかった


次に ここから歩いてすぐの「日本キリスト教団 千葉教会」へと行く

設計者はドイツ人のリヒャルト・ゼール

日本での作品としては 同志社大学クラーク記念館(重文)がある



裏側から入ってしまった^^

女性が出てきて 案内をしてくれる

建物に関するパンフレットも作られていて どこから写真を撮れば良いかも説明してくださった

こうした見学者が多いのだそうである


パンフレットには この建築の説明が丁寧に書かれており 千葉県指定の有形文化財ではあるが 大事にされているのだとよくわかる

簡単に特徴を書いておくと 「木造ゴシック様式」

天国への憧れを表現するために垂直方向のデザインとなっていることや 縦長の窓に その上部が尖頭アーチになっていること またそこにある円形の意匠もその特徴とされる




「ハンマービーム工法」

内部の写真は 教会の方はどうぞ入って撮ってくださいと言われたのだが 礼拝が始まっていたので遠慮してしまったために無い

これは教会などではよく見られるもので 検索すれば画像が沢山出てくるはずである

あぁ あのことか と思われる人も多いはずだ




信者でも無い人間がただ建物を見るだけのために教会の内部に入ることには 幾らかのうしろめたい気持ちもあるが 仏教のことなど何もわからなくてもお寺を見て回ることもあるのだから まあ良いか

ただし 寺は拝観料を取るところもあるが 教会は少なくともそういったことはない

続きは 明日のこころだ~
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