最近はお花の記事より、食べものの記事のほうが多いです。
ブログを見て「食べてるか温泉に行ってるかだね」と思っているあなた、
「そんなことはありません、ちゃーんと仕事もしてます」と言いたいんだけど、
あたらずといえども遠からず、かな(笑)。
庭には、萩や秋の七草などのお花が咲き始めたので、ゆっくり撮りたいんだけど、
しつこいやぶ蚊がブンブン飛んでるし、雨模様だし・・・・、
お花は画像のアップに時間がかかる、という事情もあり・・・。
ということで、今日も食べものと本の話題です。
先日、名古屋で教員をしている子が久しぶりに岐阜に来て、
「自宅に行ったら留守だった」と携帯に電話があり、
前に行った「HIRO HAYASHI」で夕方に待ち合わせ。
おともだちも一緒だったので紹介してもらって、
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この日は提訴の日で、朝から出かけてて、腹ペコだったので、
「シェフのおすすめケーキ」を食べました。
ともちゃんも合流したのですが、歯医者の帰りで飲食はなし。
おいしそうなお土産をいろいろ持ってきてくれたので、
当分、お茶のおともになりそうで、うれしいです。
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パウンドケーキ類が好きなともちゃん(ふたり?)の好物を、
ちゃんとブログでチェックしてくれてたみたいで、
包みの箱のなかは、オッジ(OGGI)「メープルプランタニエ」。
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人気のスライスケーキシリーズだそうで一箱で、
メープルシュガー、ブルーベリー、松の実、マロン、マンダリンオレンジの
5種類の味が楽しめます。
これがとってもおいしくて、つい禁忌のコーヒーを飲んでしまいます。
小さいころからの彼の大好物は、「丸デブ本店のワンタン」。
今でもわざわざ岐阜に食べに来るそうです。
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久しぶりに、わたしたちも、母と病院に行きがてら食べてきました。
母とわたしは、もちろん、ひらひらつるつるのワンタン。
ともちゃんはいつものように「そばの強め(かため)2ハイ」です。
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ワンタンを食べながら、母がしみじみと、
「おばあちゃん(母の母)もお父さん(父のこと)もワンタン好きだったね。
動けなくなってもよくお鍋にいれてもらいに来たね」と話し、
わたしも「ワンタンなら最後まで食べられるもんね」。
「お母さんも動けなくなったらワンタンをお鍋で運んであげるからね」。
西柳ケ瀬にある丸デブは、母の家から歩いて5分くらいなので、
食が細くなった祖母や父のためにワンタンをお鍋に入れてもらっていました。
帰りがけ、大おかみさんが
「おばあちゃんお久しぶり。お元気そうで何より」と声をかけてくださったので、
「春に大手術をして元気になったんですよ」と答えました。
母は、退院後もちゃんと毎日食べたものを書いてカロリー計算をしててて、
インスリノーマのおかげで8キロも太ったのですが、
それももとに戻して、50キロ以下をキープしています。
わたしもこの夏、体重は減り気味ですが、ここ数年では一番調子がよくて、
元気になった母と食べたワンタンは、格別においしかったです。
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話は変わりますが、
毎週土曜日の読売新聞に、「叙情と闘争 辻井喬・堤清二回顧録」
の記事が、毎回全面1ページの大きさで連載されています。
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「叙情と闘争 辻井喬・堤清二回顧録」
33ソビエトの「異邦人」(2008.9.6読売新聞)
この連載記事を読むきっかけは、上野千鶴子さんと辻井喬さんの対談、
『ポスト消費社会のゆくえ』の(文春新書)の本を読んだから。
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『ポスト消費社会のゆくえ』
(文春新書/辻井喬・上野千鶴子著)
本で語っていることに負けず劣らず、彼自身が率直かつ詳細に語っています。
この本で上野さんと対談したことが語り口に影響しているに違いないと思います。
前回の日経BPの「日刊新書レビュー」は、この本の書評でした。
けっこう辛口ですが、おもしろいですよ。
理想主義者のダンナ芸は侮れない~『ポスト消費社会のゆくえ』 辻井喬・上野千鶴子著(評:清野由美) 文春新書、900円(税別) 日経BP 2008年8月21日 『ポスト消費社会のゆくえ』辻井喬・上野千鶴子著、文春新書、900円(税別) 『おひとりさまの老後』が当たった上野千鶴子・東京大学大学院教授はジェンダー論と同時に消費社会論の研究者でもある。詩人、作家の辻井喬は本名、堤清二。元セゾングループの代表だ。 1990年代のはじめにセゾングループが社史「シリーズ・セゾン」(全6巻)を編んだ時、上野氏が編集委員・執筆者として参加したという縁が二人の間にはある。取材・執筆時は、まさにバブル景気のピーク。そして出版後に、そのカーブは急激な下降線を描いた。そんな大波と寄り添ったのが、まさにセゾングループだったわけだ。 取材を通して、セゾングループの高揚と凋落を目の当たりにした社会学者が、グループを率いた元経営者に試みるインタビューは、単なる回顧談義に終わらない。 〈この機会にセゾングループの失敗を検証させていただきたいと思います。(中略)後知恵にすぎませんが、四つのシナリオを用意しました。第一、セゾングループの失敗はその体質にある。第二、グループ内の一部の失敗のダメージがほかに波及した。第三、この失敗は総帥・堤清二の経営責任にある。第四、堤清二のパーソナリティに問題がある〉 と、相手に向かう上野氏は、相変わらずのアグレッシブさ加減だ。 普通の元経営者なら、まず、こんな質問が出たところで気分を害し、対論は成り立たないことだろう。その困難な対論が、ここでは「辻井喬さん」を相手にしたことで実現している。「堤清二さん」と同じ経験を持ちながら、それを別の場所から俯瞰できる人格を媒介に、「セゾンの失敗」を追検証しながら、戦後消費社会の誕生と爛熟をあぶり出す流れには、相当の読み応えがある。 対話は1950年代の西武百貨店前史から始まり、70年代~80年代の黄金期、90年代の失速、解体期まで3章にわたり、時間軸に沿ったセゾングループの歩みをトレースする。 池袋の駅前で「下駄ばき百貨店」と軽く見られていた西武百貨店が、時代の前線に踊り出たのは70年代後半。その中心にあった戦略が、広告によるイメージ展開と、文化事業の二つだった。そこから、団塊から60年代生まれの世代に共通したセゾン体験というものも生まれた。「おいしい生活。」「不思議、大好き。」のコピーが記された西武百貨店のポスターは、今でも私たちの記憶に刻まれているし、マルセル・デュシャンの作品を見に、軽井沢高輪美術館まで喜んで足を運んだこともいい思い出だ。 そこまで自省しなくても… だが西武黄金期の戦略ですら、上野氏にかかると堤清二の誤謬になってしまう。 〈私の限られた観察からみても、西武の比較的とんがった文化事業のビジターと、西武百貨店のカスタマーとは重なりません。百貨店を素通りして、劇場や美術館に行く人たちが大半でした。だから販売促進にはつながらなかったと思います〉(上野氏) どうだろう? 西武の文化事業をきっかけに、西武百貨店で買い物をした人たちは確かに存在したと思うのだが。実際、セゾン美術館を併設した西武百貨店池袋店は、87年に百貨店の全国売上高第1位を達成している。このあたりは経営者として誇ってもいいのではないか。 しかし俯瞰人格の辻井氏は従順だ。 〈そのとおりだと思います。だから変わった文化事業をやる西武百貨店という知名度だけが広がっていった〉(辻井氏) 知名度と同時にグループは、大規模リゾートやマンションの開発、金融事業など拡大路線をひた走った。が、それらはバブル崩壊で未曾有の解体にさらされた。この辺りの失敗は、元経営者にとっては語るにもつらいことだと察する。だがここでも、上野氏による切り込みに対して、辻井氏は終始、時には過剰なまでに内省的である。 「私は経営者としてすでになまっていたんですね」 「経営戦略上の意思決定について、私は民主主義的ではなかった、と言えるかもしれません」 「サホロリゾートの失敗は、経営者に責任がありますね」 「私はいかに説得力の弱い経営者だったかということを痛感しますね」 と、読んでいるこちらが歯がゆいほど。 そこで、あらためて大きな疑問にかられるのである。果たして堤清二は「経営者」だったのか。 実は「まえがき」「あとがき」で、彼の本質はすでに明らかである。 セゾン社史の執筆の際、上野氏は「取材は自由、情報の隠匿はしない、原稿の検閲は一切しない」という条件で引き受けた。その経緯を上野氏はまえがきに記し、それに呼応するかのように、辻井氏はあとがきで依頼の意図を説明している。 〈社史というのは多くの場合、創業者を讃え、現経営者を讃えたもので誰も読まず、ただ重役さんの書棚を飾るものになっている場合が多いようだ。/僕はそうした無駄をするつもりはなく、ただ学問の分析対象として、時代を反映していたはずのセゾン企業を検討してもらうつもりだった。その結果が現経営者にとって厳しいものになっても止むをえない、将来の学問の参考になればいい、という意図であった〉 つまり、堤清二は一企業の利を追求する経営者である前に、理想主義を掲げる思想闘争家なのである。個人の理想主義に帰着する企業経営が、従業員や社会にとって利益のあるものかどうかは、私には分からない。が、堤清二が経験した企業経営の現状、そして、それを通して獲得した内省の言葉こそは、ポスト消費社会を語る際の説得力に通じるはずだ。 消費よりダンナ芸の先にこそ 〈私がいま感じている危機意識の実態は何かと申しますと、世界が産業社会の終末を迎えているということです。/日本市場のスケールの縮小と、経営者の堕落は相当なスピードで進んでいる。ですから日本の市場もどこかに対抗軸を作っておかないと、とめどなく堕落する〉 その対抗軸の可能性として、環境問題の解決や都市構造の脱構築などを挙げ、最後に「いまの若者たちは、そうした疲弊した状況にありますが、社会に出る頃には、新しいポスト産業社会になって、いろんな分野で事態が動き出す時代になっていると思います」と、辻井氏は希望をつなぐ。 抜き書きしてしまえば、その辺の評論家が言っていることと変わりないが、80歳を超えた辻井氏の感慨は重みが違うことだろう。 ではその重みが対話から十全に引き出されたかというと、そこに物足りなさがある。なぜかといえば「消費社会」を論じる二人の属性に、大衆消費者としての側面が薄弱だからである。 辻井氏は経営者である前に、理想主義の思想闘争家であり、さらにその前に、戦後の新興上流インテリ坊ちゃんである。「社会学をやっても社会のことはわかりませんけどね」と笑う上野氏は、まさしく当の社会学者。重みなどを期待すると、読む方が空回りしてしまうのだ。 セゾングループの浮き沈みとは結局、発展途上国の首都・東京の一時期を舞台に、堤清二というインテリ坊ちゃんが描いたダンナ芸の夢だった。だったら、対話にしても論考にしても、そのダンナ芸をこそ、もっと引き出してほしかった。せっかくの論者二人。「ポストダンナ芸のゆくえ」のタイトルで、もう一度仕切り直しはできないものだろうか。 (文/清野由美、企画・編集/須藤輝&連結社) |
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「一期一会」に
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