友人のジャーナリスト、相川さんがダイヤモンドオンラインに
地方自治をテーマにした連載「相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記」
を書いていて、時どき送ってくださいます。
ここ3回は、住民投票をテーマにした、とても興味ぶかく、共感するところの多い記事です。
「住民投票」の抵抗勢力は、間接民主主義(代議制)の選挙によって選ばれた首長や議員たち、というのはどこも同じ構図。
民主主義には、直接民主主義もあり、間接民主主義の欠点を補完するものとして
地方自治法で、市民が直接参加できる制度として「直接請求」が定められています。
自分たちが依って立つはずの、自治法のルールを否定して、
「我らこそは法なり」「政治のことはおれたちに任せておけばよい」という考えの
首長や議員こそ、民主主義や市民自治実現の弊害だろう、とわたしは常々思っています。
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ここ3回は、住民投票をテーマにした、とても興味ぶかく、共感するところの多い記事です。
「住民投票」の抵抗勢力は、間接民主主義(代議制)の選挙によって選ばれた首長や議員たち、というのはどこも同じ構図。
民主主義には、直接民主主義もあり、間接民主主義の欠点を補完するものとして
地方自治法で、市民が直接参加できる制度として「直接請求」が定められています。
自分たちが依って立つはずの、自治法のルールを否定して、
「我らこそは法なり」「政治のことはおれたちに任せておけばよい」という考えの
首長や議員こそ、民主主義や市民自治実現の弊害だろう、とわたしは常々思っています。
「相川俊英の地方自治“腰砕け”通信記」【第30回】 2011年8月11日 相川俊英 住民投票を軽視する選良たちの頑迷固陋 長野市は静岡県の過去から何を学べるか 今から十年も前のことだ。静岡県が進めていたある大型施設の整備事業に住民グループが「ちょっと待った」と声を挙げ、行動に打って出たことがある。住民投票で建設の是非を問うべきだと、条例制定の直接請求の署名運動を展開させたのだ。 俎上にあげられたのは、例の静岡空港の建設についてだった。必要性に疑問を抱いた住民グループは、「県民の意思を直接確認したうえで事業続行か中止かを決めるべきだ」と主張した。思いを共有していた住民が県内各地に存在した。署名集めはりょう原の火のように広がり、約30万人分の署名が集まった。有権者数の1割近くに達し、地方自治法で規定されている必要署名数(有権者の50分の1以上)を大きく上回った。こうして静岡県で住民投票条例制定の直接請求が成立した。 静岡県選挙管理委員会に署名簿の山が運び込まれ、手続きは次なるステップへと進んでいった。法の規定通り、県知事が自らの意見を附して議会に住民投票条例案を提出した。2001年6月のことだ。この時、署名集めに奔走した住民グループは思いがけない展開に心を躍らせた。空港建設を県政の最重要課題に掲げ、いわば政治生命を賭けていた石川嘉延知事(当時)が、まさかの行動に出たからだ。住民投票条例案に「賛成」との意見書をつけて議会に付議したのである。住民投票によって県民の意思を確認したいとの考えを示したのである。 住民グループは「これでまちがいなく住民投票は実施される」と、大喜びした。そして、「わが県の知事さんは民意を大事にするりっぱな人だ」と、胸を張った。条例案は暫く、議会に付議されたままの状態に置かれることになった。それも致し方なかった。県知事選挙が告示され、議会が開店休業状態に入ったからだ。 01年7月に実施された静岡県知事選は激戦となった。3期目を目指す現職と空港建設反対を掲げる有力新人の事実上の一騎打ち。空港建設の是非が最大の争点となると見られていた。ところが、選挙戦突入直前になって状況は一変した。きっかけとなったのは、6月に出された直接請求に対する知事の意見書である。現職候補は選挙公約にも「住民投票推進」を掲げ、空港建設反対の新人候補と一線を画した。空港是非を真正面から論戦することを巧妙に避けたのである。こうして知事選最大の争点が完全にボケてしまい、現職の強みだけが際立つ結果となってしまった。石川氏が3選を果たしたのである。もちろん、空港建設に反対だという県民の中にも、石川氏に1票を投じた人達が少なくなかった。意見書や選挙公約を疑うことなく、信じたからである。 ------------------------------------------------------------------------------------------------------------ では、空港建設の是非を問う住民投票条例案はどうなったか。知事選後、県議会が開会され、条例案の審議となった。結末はあっけなかった。最大会派の自民党議員団などの反対で、あっさりと否決されてしまった。もともと自民党県議団は空港建設推進の中心勢力で、同時に石川知事の支持母体でもある。知事選で石川氏を推薦し、集票の一翼を担っていた。彼らは自分達が担いだ候補の選挙公約など、一切、斟酌しなかった。住民投票する必要なしと、条例案を一蹴した。 一方、「住民投票に賛成」といっていたはずの知事も態度を豹変させた。議会の動きにだんまりを決め込み、否決されるがままにした。そして、破顔一笑。また空港建設に邁進するようになった。結局、静岡県民は空港建設の是非についての意思を表示する場を与えらずに、県営空港をもつことになった。何のことにない。住民投票を求める活動がまんまと選挙に利用されてしまったのである。一杯、喰わされた格好だ。あまりにも人が良すぎたといえるのではないか。 税金の使い道や使い方、さらにはその集め方を決めるのが、政治。そして、その政治にみんなが対等な立場で参画する(できる)のが、民主主義だ。ただ、政治への参画の仕方には2種類ある。全員が直接決定の場に関わる直接民主主義と、代表を選んで決定の場に送り込む間接民主主義(代議制)である。物事を民意に基づいて決定するという本質に違いはなく、直接か間接かは二者択一のものではない。どちらの手法を活用するかは便宜上の問題で、両者は対立するものではなく、むしろ、補完関係にある。 しかし、実態は異なる。両者を相容れないものと捉える人がいて、両者の併用に難色を示す。選挙で選ばれた首長や議員たちである。彼らの多くは「我こそが民意を代表している」と、直接民主主義の手法を不要視する。なかには忌み嫌う人までいる。それは住民投票への態度に如実に現われる。事業実施の是非について、直接、住民の意思を問うべしとの住民の声に対し、首長や議員の多くは否定的な反応を示す。彼らが推進してきた事業の見直しを求めるものがほとんどなので、当然ともいえる。彼らは「事業は住民の理解を得ている」「民意を代表する我々が議論を尽くして決定したので、再度、民意を問う必要はない」などと主張し、住民投票を拒むのが通例だ。 --------------------------------------------------------------------------------------------------------- 余りにも頑ななその姿勢に疑いの念を抱く住民も少なくない。民意を問うことへの自信のなさや民意を問えない事情があるのではないかという疑念である。 民意を直接、問うことで物事の白黒をはっきりさせた方が、むしろ、よいのではないか。住民投票条例制定の直接請求に必要な法定署名数を大幅に増やし(例えば、有権者数の3分の1以上)、要件をクリアした場合は議会の議決なしで、住民投票が実施できるように変えたらどうか。住民が意思表示できる場を増やすべきではないか。 ところで、長野市で現在、住民投票の実施をめぐって激しい論戦が繰り広げられている。舞台となっているのは、長野市議会だ。 長野市役所と市民会館の建て替え計画をめぐり、住民グループがその是非を住民投票で問うべきだと署名集めを繰り広げた。今年の5月から6月にかけてのことだ。法定数を超える署名(2万2843人分 7.3%)が集まり、住民投票条例案が市議会に直接請求される運びとなった。 開会日の8月3日。長野市の鷲沢正一市長が「制定の必要なし」との意見書を添付し、論戦のゴングが鳴った。鷲沢市長は議案説明でも「(建て替えについは)市民の代表である議会と十分に議論を尽くして決定したもので、(住民投票を実施するための)条例制定は必要ない」と、反対の意向を鮮明にした。 市役所と市民会館の建て替えは、長野市が老朽化と耐震性の必要性から推進してきた計画である。合計で100億円を超す大型事業で、議会側は既に関連予算案を可決している。事業着手の手続きは完了済みとなっているが、住民の意思を直接確認すべきだとの声があがり、住民投票条例の直接請求となった。 長野市議会の議員定数は40人で、最大会派(20人)が住民グループの条例案に反対の姿勢を示しているため、否決される公算が大きい。一方で、二つの会派が住民投票実施の条例案を議員提案する動きを見せている。市庁舎と市民会館の建て替えについて、一括して問う住民グループ案とは異なり、別々に市民の意見を問う案となっている。市庁舎の建て替えには賛成だが、市民会館については異論ありとのようだ。いずれにせよ「住民の意思を問うべきだ」との考えである。どういう結末となるのか、最終日17日まで予測はつかない。だが、ひとつだけ予想できることがある。9月議会の閉会直後の9月18日に長野市議選が実施される。住民投票に関する議員の姿勢や行動が市議選に何らかの影響をもたらすのではないだろうか。 |
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第31回 2011年8月18日 相川俊英 ここにもあった!住民投票で白黒つけるべきこと 沼津市を二分する大激論“鉄道高架事業”の是非 「貨物駅の移転先候補9ヵ所を検討したというが、原地区以外の8ヵ所はどこですか」 最初の質問者がいきなり痛いところをズバッと突いた。静岡県沼津市で8月7日に開かれた住民説明会でのことだ。会を主催したのは静岡県で、「沼津駅付近鉄道高架事業に関する有識者会議」がまとめた報告書について住民に説明するものだった。日曜夜6時の開会にもかかわらず、大勢の住民が会場に詰め掛けた。 静岡県の担当者が資料を1時間ほど読み上げた後、質疑応答に移った。その冒頭から鋭い質問が飛び出したのだ。想定外の質問だったのか、担当者は一瞬困った表情を見せた。 そして、どぎまぎしながら説明を始めたが、肝心の地名にはいっさい言及しなかった。誤魔化そうという姿勢が見え見えだった。質問者が強い調子で再度、具体的な地名を問うと、県の担当者は驚きの回答を示した。 「それはプライバシーに関することなので、今、この場でお示ししない方がよいと判断します。どうしても必要ならば、情報開示請求の手続きを取って下さい」 木で鼻を括ったような態度に会場内の雰囲気が一変した。「本当に検討したのか!」といったヤジが飛び交い、騒がしくなった。担当者は渋々、検討したという原地区以外の貨物駅移転先候補地のおおよその地点を地図画面に光をあてて指し示した。しかし、曖昧でよく分らなかった。 人口20万人ほどの沼津市が巨大公共事業の是非をめぐり混迷している。市を二分する対立がいつ果てるともなく続いている。紛争の種は、関連事業を含めると総事業費が2000億円近くにのぼる沼津駅の鉄道高架事業である。約4半世紀前の1985年に計画されたもので、以来、昭和が去って、バブル経済が崩壊し、世紀が変わって10年以上たった今もなお推進反対両派の激しい対立が続いている。なぜ、沼津の地域紛争がかくも長期化しているのか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
【第29回】 2011年7月29日 相川俊英 市民が使えぬ広島市の矛盾した住民投票制度 東京の2020年五輪再挑戦は住民投票で 原発是非を問うイタリアの国民投票にはとても及ばないが、日本でもことの結着を住民投票でつける事例が珍しいものではなくなった。 重要なことは直接、自分たちに決めさせてくれという意識の高まりである。 もっとも、日本では地方自治体レベルでの住民投票に留まっており、国民投票の実施事例(最高裁判事の国民審査を除く)はない。また、地方自治体での住民投票も首長や議員の解職、議会の解散を問うものや市町村合併に関するものがほとんどだ。記憶に新しいのが名古屋市や阿久根市の事例である。いずれも法定数以上の署名を集めれば、自動的に住民投票の扉が開く直接請求事案である。 一方、個別の政策や事業の是非を問う住民投票の実施事例は、皆無に近い。直接請求の成立に必要とされる署名数(有権者の50分の1以上)は少ないものの、それはあくまでも第一ステップにすぎない。法定数をクリアしても、議会に住民投票実施のための条例制定などを求められるだけで、最終決定権は議会にある。議会が議案にノーと言えば、署名集めは水泡に帰すのである。そして、そうした結果に終わるケースがほとんどだ。民意は議会が代表している。住民に直接問うまでもない。議会の議決権を侵すものだ。こうした理屈が並べられ、個別課題の是非を問うための住民投票条例制定の直接請求はあっさり否決されてしまうのが、これまでの通例だ。 しかし、議会や首長が常に民意を把握しているとは言い切れない。そして、住民は投票した議員や首長に全てを委ねた訳でもない。また、選挙後に地域課題として新たに浮上した問題もある。議会と首長の判断が食い違い、にっちもさっちもいかなくなるケースもある。代議制を補完し、住民がとことん納得するためのツールとして、住民投票を活用すべきとの声が広がっている。 民意をより的確に行政運営に反映させることを主眼に、常設型の住民投票条例を制定する地方自治体が生まれている。一定の署名を集めれば、議会の議決なしで住民投票が実施される仕組みである。その先進自治体として識者などから高く評価されたのが、広島市だ。 広島市は2003年に住民投票条例を制定した。経緯はこうだ。「市民の市民による市民のための市政」を掲げた秋葉忠利氏が99年、広島市長に就任した。秋葉氏は「情報公開と全市民参加が市政の基本」と訴え、住民投票制度の導入を選挙公約とした。一期目は制度の調査・研究にとどまり、条例制定にまで至らなかった。秋葉氏は03年の市長選でも住民投票制度の導入を公約に掲げ、再選を果たした。そして、満を持して条例案を議会に提出した。予想通り、議会側は諸手を挙げて賛成とはならなかった。さまざまな異論や疑問がぶつけられ、条例案の審議は難航した。それでも市長選での目玉公約とあって議会側もむげにはできず、修正をいくつも重ねた末に可決成立させた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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