みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

日本の次期首相候補ら、原発問題を敬遠/民主代表選、5氏が届け出、29日投開票

2011-08-27 21:07:26 | ほん/新聞/ニュース
菅直人首相が退陣して、今日27日から29日の投票日に向けて、
民主党の代表選挙が始まった。
今朝の中日新聞社会面には、市民運動をしている立場での、
連れ合いのコメントも載っていた。

・・・岐阜県の「くらし・しぜん・いのち岐阜県民ネットワーク」の寺町知正代表(57)は、
「就任早々消費税10%言い、参院選に負けたのが最も良くなかった。
ただ、他の政治家ではここまで脱原発に踏み込むのは難しい。
素直に評価したい」と話した。・・・・・


原発については、今回の代表選に立候補している5人は玉虫色、
だれがなっても、脱原発は菅さんより後退するだろう、というのが大方の見方。

ウォール・ストリート・ジャーナル日本版でも、
原発問題に対して、政策を明らかにしない候補者の問題を指摘している。

   日本の次期首相候補ら、原発問題を敬遠―民主党代表選29日投開票
2011/8/27 15:21 ウォール・ストリート・ジャーナル日本版

きょうのWSJ日本版より
By Yuzo Saeki【東京】この25年間で世界最悪の原発事故が発生してから6カ月経ち、菅直人首相は辞任を表明、次期首相の選挙戦が始まった。だが、福島原発事故の広範な影響について語る候補者はほとんどない。
原発方針についてほのめかしたという程度であれば、3人の有力候補(現閣僚2人と前外相1人)は長期的には原発依存の縮小を目指すが、少なくとも 2030年までは既存の体制を維持することに賛成すると述べている。これは、脱原発路線を表明した菅首相よりも原発支持に近い。菅首相は以前は率先して原 発を推進してきたが、その後方針を180度変え、検査などで停止状態となっている原子炉の運転再開を遅らせてきた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
菅首相は3月に福島第一発電所のメルトダウン(炉心溶融)事故が発生して以来、原子力発電に対して懐疑的な見方を強め、7月には完全な「脱原発」を表明した。それは、原子力反対の意見が広まっている世論の方向と合致するものだった。
だが、国民の関心の高まりとは裏腹に、次期首相候補らは原発問題に対する方針を明確にしていない。この国民と政治家とのギャップは、長く日本の政治を観察してきた政治評論家にとっては意外ではない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(以下略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


民主代表選、5氏が届け出 短期決戦がスタート 
2011年8月27日 11時36分 中日新聞

 菅直人首相の後継を選ぶ民主党代表選は27日午前告示され、29日の投開票に向けた選挙戦がスタートした。前原誠司前外相(49)、馬淵澄夫前国土交通相(51)、海江田万里経済産業相(62)、野田佳彦財務相(54)、鹿野道彦農相(69)の5人が届け出た。
 立候補受け付けは党本部で午前9時に始まり、同10時半に締め切られた。過去最多となる5人の争いが確定した。
 代表選では、菅政権の主流派だった前原、野田両氏と、党内最大勢力の小沢一郎元代表グループから支援を受ける海江田氏の3人を軸にした戦いが展開される。
 前原、野田両氏の支持基盤が重なるのに対し、海江田氏も小沢元代表のグループをすべてまとめられず、鹿野、馬淵両氏らに票が流れる可能性がある。このため、1回目の投票ではどの候補も過半数を獲得できず、上位2人による決選投票になる可能性もある。
 代表選では、子ども手当など2009年衆院選マニフェスト見直しの是非が主な争点になる。東日本大震災の復興財源を賄うための臨時増税や原発・エネルギー政策、小沢元代表の党員資格停止処分見直しなどへの賛否も問われる。
 各候補は27日午後、日本記者クラブ主催の共同記者会見に臨み、政権構想を明らかにする。28日午後は党主催の候補者討論会に臨む。
 投開票は29日午前の両院議員総会で行われる。党員・サポーターは参加せず、党所属国会議員だけの投票で選出される。
 民主党所属国会議員は衆院301人、参院106人の計407人だが、小沢元代表ら党員資格停止中の議員9人は投票資格がないため、有権者は398人となる。過半数は200票。
(中日新聞) 


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話は変わりますが、
母の葬儀を終えて一段落、ゆっくり話すこともできなかった姉たちと
今後の相談をかねて、雄総のマーゴチオペペというお店で、
いっしょにお昼ご飯を食べました。

   

    

   

   

東京の兄は、母の位牌もお骨も持ち帰らず、寺に預けて帰ってしまったとか。
葬式の時だけ「○○家の長男」としてふるまい、あとは野となれ山となれ・・・、
せめて35日まで母を東京に連れてってあげて、という願いも無視されたと嘆く姉たち。

母の話は尽きなくて、雄総から長良に場所を変えて、
ケーキセットを食べながら、話は続きます。
  

けっきょく兄はわたしとは、母の死から葬儀まで一言も口をききませんでした。
とはいえ、母が亡くなって、やっと縁を切ることができると、ほっとした気分です。

母のものは、大事にしていた思い出のアルバムもすべて処分するというので、
わたしがホームにとりに行って、引き取ってきました。

アルバムといっしょに、何冊かのノートがありました。
入院した時やホームで、折に触れて書いていた母の日記が切ないです。

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