日本海さかな市場でお土産を買いました。
市場のなかは干物やカニの店が多いのですが、
中ほどに大きな鮮魚店があります。
前もこのお店で魚を買ったような覚えがあります。
食べ歩きのお刺身を買ったので、
みなみマグロの切り出しとサーモン、ネギトロを
セットで安くしてもらいました。
さかな市場の向かいの福井県民生協で見つけたとちお油揚げ。
激安品を二つ買って、昆布だしで炊きました。
新鮮な魚のあらも580円で買ってきたので、
白身は白焼きにして、あとはあら炊きにしました。
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市場のなかは干物やカニの店が多いのですが、
中ほどに大きな鮮魚店があります。
前もこのお店で魚を買ったような覚えがあります。
食べ歩きのお刺身を買ったので、
みなみマグロの切り出しとサーモン、ネギトロを
セットで安くしてもらいました。
さかな市場の向かいの福井県民生協で見つけたとちお油揚げ。
激安品を二つ買って、昆布だしで炊きました。
新鮮な魚のあらも580円で買ってきたので、
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社説:多死社会がやってきた 週のはじめに考える 2018年6月17日 中日新聞 「超高齢社会」の次に迎えるのは「多死社会」だと言われるようになりました。いや、わたしたちは既に多死社会を迎えたというべきかもしれません。 多死社会という言葉を近年、人口学の研究者らが使うようになりました。 高齢者の増加により国内の死亡数が増え続け、人口が減っていく社会形態をいい、高齢化率、つまり六十五歳以上の人口の割合が総人口の21%を上回る超高齢社会の次に訪れる段階と位置付けられているそうです。 すでに超高齢社会 日本は、二〇一〇年国勢調査の段階で高齢化率が21%を超え、既に超高齢社会となっています。わたしたちは多死社会をいかに迎えつつあるのでしょう。 厚生労働省が今月一日、昨年の人口動態統計(概数)を公表しました。予想されていたことではありますが、生まれてくる赤ちゃんの数は減り続けています。 二〇一七年の出生数は、前年よりさらに三万人も減って九十四万六千人余。二年連続で百万人を割り込みました。合計特殊出生率、つまり女性一人が生涯に産む子どもの推定人数は、前年比〇・〇一ポイント減の一・四三となりました。 ここに至る経緯を振り返ってみます。 日本の出生数は、際立って多かった第一次ベビーブーム、つまり「団塊の世代」が生まれた一九四七~四九年には年に二百六十万人台を数えていました。 その団塊の世代が出産適齢期を迎えた七一~七四年も第二次ベビーブームとなり、年間出生数は再び二百万人を超えました。 以後、出生数は右肩下がりで減り始めますが、「団塊ジュニア」とも呼ばれる第二次ベビーブーム世代が出産適齢期を迎えれば第三次ブームが来るはずでした。 来なかった第三の波 ところが、その時期が長期不況の就職氷河期と重なり、先の見通せぬ雇用状況の中で家庭を持てぬ若者が増え、結局、日本の人口ピラミッドに第三の波が現れることはなく、少子化が加速してしまったのです。 逆に、死亡数は近年、急速に増えてきました。二〇〇三年に百万人を超え、昨年は百三十四万人余で戦後最多を更新しています。 当面、死亡数の増加が続くことは間違いなく、そのピークは団塊の世代が九十歳以上となる三九年ごろ、百六十七万人前後となる見通しです。 わたしたちの社会は、このまま先細りとなるのでしょうか。 子どもを産み、育てやすい社会を目指す動きが近年、着実に進み始めました。それに連動し、減り続けてきた出生率が多少、持ち直してもいます。 しかし、底を打った出生率が上向いても、出産適齢期を迎える女性が減り続ける以上、当面、人口減に歯止めはかからないのが冷厳な現実です。 政府は「骨太の方針」に、外国人の長期就労に門戸を開く新たな在留資格創設を盛り込みました。 人口減に伴う労働力不足を解消するため、高度な専門知識を持つ人材に限ってきた受け入れ方針を事実上、転換するものです。 働きながら学ぶ、という建前の外国人技能実習制度などで場当たり的に対応するのは限界だ、ということのようです。 在留資格の見直しは、日本社会に新たな多様性の風を吹き込む可能性も秘めていますが、不足する労働力の数合わせに終始するなら、将来に大きな禍根を残すことになるかもしれません。 例えば、旧西ドイツが高度成長期、単純労働の担い手としてトルコなどから大量に受け入れたガストアルバイター(客人労働者)は、ドイツの言葉や文化を習得できぬまま地域で孤立し、やがて社会の分断を招く一因にもなったと指摘されています。 あるいは、一時しのぎの労働力として遇するだけなら外国人には来てもらえぬようになるかもしれません。合計特殊出生率は、例えば韓国が一・一七、シンガポールが一・二〇(ともに一六年)。つまり日本よりも低いのです。多くの国で人口減少が進み、いわば、労働力の奪い合いとなる可能性も現実味を帯びてきているのです。 議論すべき時は来た 多死社会の到来で今後、人口減が急速に進みます。 これまでのような経済規模を維持するなら、労働力は足りなくなる。では本格的に外国人を受け入れるのか。受け入れるなら、日本社会に溶け込んでもらうため、受け入れる側の発想の転換や努力が求められるはずです。 それより、身の丈に合わせて戦略的な縮小を考えた方が豊かな社会になるのかも。 何を目指すのか。現実を直視して議論すべき時が来ています。 |