庭のあちこちにピンクの花が咲きました。
リコリスの仲間ネリネ(ダイヤモンドリリー)です。
彼岸花と同じように葉もないところに花が咲くので、
とつぜん花が咲いたように見えます。
この花たちは、元は一か所に咲いていた球根を
株分けして植えたものです。
植えっぱなしのグラジオラスも咲きました。
ところで、
あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」が、
開催三日目に中止に追い込まれたニュースの続報です。
中止から二日間の社説を調べてみたら、
朝日新聞、毎日新聞、京都新聞、沖縄タイムスと琉球新報と
大きな問題の割には、社説でとり上げている新聞は
まだそんなに多くないようです。
企画展は、展示物はそのままの状態で壁をつくって閉鎖されているだけ。
すでに抗議声明や反対の署名もははじまっていますから、
中止に納得できない市民がの声を大きくして、
閉めた扉を開けることができれば、と思います。
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彼岸花と同じように葉もないところに花が咲くので、
とつぜん花が咲いたように見えます。
この花たちは、元は一か所に咲いていた球根を
株分けして植えたものです。
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ところで、
あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」が、
開催三日目に中止に追い込まれたニュースの続報です。
中止から二日間の社説を調べてみたら、
朝日新聞、毎日新聞、京都新聞、沖縄タイムスと琉球新報と
大きな問題の割には、社説でとり上げている新聞は
まだそんなに多くないようです。
企画展は、展示物はそのままの状態で壁をつくって閉鎖されているだけ。
すでに抗議声明や反対の署名もははじまっていますから、
中止に納得できない市民がの声を大きくして、
閉めた扉を開けることができれば、と思います。
社説:あいち企画展 中止招いた社会の病理 2019年8月6日 朝日新聞 人々が意見をぶつけ合い、社会をより良いものにしていく。その営みを根底で支える「表現の自由」が大きく傷つけられた。深刻な事態である。 国際芸術祭あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕直後に中止に追い込まれた。 過去に公的施設などで展示が許されなかった作品を集め、表現行為について考えを深めようという展示だった。芸術祭として個々の作品への賛意を示すものではなかったが、慰安婦に着想を得た少女像や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像に抗議が殺到した。放火の予告まであったという。もはや犯罪だ。警察は問題の重大さを認識し、捜査を尽くさねばならない。 気に入らない言論や作品に対し、表現者にとどまらず周囲にまで攻撃の矛先を向け、封殺しようとする動きが近年相次ぐ。今回はさらに、政治家による露骨な介入が加わった。 芸術祭実行委の会長代行を務める河村たかし名古屋市長が、「日本国民の心を踏みにじる」などと展示の中止を求め、関係者に謝罪を迫ったのだ。 市長が独自の考えに基づいて作品の是非を判断し、圧力を加える。それは権力の乱用に他ならない。憲法が表現の自由を保障している趣旨を理解しない行いで、到底正当化できない。 菅官房長官や柴山昌彦文部科学相も、芸術祭への助成の見直しを示唆する発言をした。共通するのは「公的施設を使い、公金を受け取るのであれば、行政の意に沿わぬ表現をするべきではない」という発想である。 明らかな間違いだ。税金は今の政治や社会のあり方に疑問を抱いている人も納める。そうした層も含む様々なニーズをくみ取り、社会の土台を整備・運営するために使われるものだ。 まして問題とされたのは、多数決で当否を論じることのできない表現活動である。行政には、選任した芸術監督の裁量に判断を委ね、多様性を保障することに最大限の配慮をすることが求められる。その逆をゆく市長らの言動は、萎縮を招き、社会の活力を失わせるだけだ。 主催者側にも顧みるべき点があるだろう。予想される抗議活動への備えは十分だったか。中止に至るまでの経緯や関係者への説明に不備はなかったか。丁寧に検証して、今後への教訓とすることが欠かせない。 一連の事態は、社会がまさに「不自由」で息苦しい状態になってきていることを、目に見える形で突きつけた。病理に向き合い、表現の自由を抑圧するような動きには異を唱え続ける。そうすることで同様の事態を繰り返させない力としたい。 |
社説: 「表現の不自由展」中止 許されない暴力的脅しだ 毎日新聞2019年8月6日 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕直後に中止に追い込まれる異例の事態となった。 慰安婦を象徴する韓国人作家の「平和の少女像」や、昭和天皇をモチーフにした作品に対し、脅迫めいた内容を含む多数の抗議電話やメールがあった。中止は来場者や関係者の安全を考慮した措置と説明する。 企画展に展示されているのは、全国の美術館などで過去に撤去や公開中止になった16組の作品だ。 芸術監督をつとめるジャーナリストの津田大介さんは、「表現の自由」について自由に議論する場にしたかったと話した。 作品を鑑賞して共感したり、反感を抱いたりするのは当然だ。それこそがこの展示の意図でもあろう。 しかし、2日朝には「ガソリン携行缶を持って行く」といったファクスが届いたという。京都アニメーションの放火殺人事件を思い起こさせるもので悪質だ。 過熱する抗議の電話は、芸術祭の実行委員会だけでなく、愛知県庁や協賛企業にまで広がった。事務局の電話は鳴りやまなかったという。 自分たちと意見を異にする言論や表現を、テロまがいの暴力で排除しようというのは許されない行為だ。こういった風潮が社会にはびこっていることに強い危機感を覚える。 政治家の対応にも問題がある。少女像を視察した河村たかし・名古屋市長は「日本国民の心を踏みにじる行為」などとして、展示の中止を求めた。 また、菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付の是非について検討する考えを示した。 暴力によって中止に追い込もうとした側が、政治家の発言を受けて勢いづいた可能性がある。 作品の経緯からして、反発の声が上がることは十分予測できた。悪化する日韓関係も原因の一つと考えられる。 津田さんは「想定が甘かったという批判は甘んじて受ける」と語る。万が一のリスクを回避しなければならないという考え方は理解できる。 一方で、脅せば気に入らない催しをやめさせることができるという前例になったとすれば、残した禍根は小さくない。 |
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社説:少女像展示中止 悪い前例にならないか 京都新聞 2019年08月05日 日本社会の表現の自由度を示しているかのようだ。 愛知県で開催中の国際芸術祭で、従軍慰安婦を象徴する「平和の少女像」などを展示する企画展が、開幕から3日で打ち切られた。 会場の愛知県立美術館などに暴力やテロを思わせる抗議が相次ぎ、安全に配慮する必要に迫られた。 実行委会長の大村秀章愛知県知事は記者会見で「『撤去しなければガソリン携行缶を持ってお邪魔する』というファクスもあった」と話した。 実際に会場に足を運んでみると、入場制限が行われるほど観客が訪れていた。少女像には賛否両論あるが、展示が多くの人の関心を集めたのは事実だ。 それだけに、暴力を示唆する抗議で中止に追い込まれたのは極めて残念だ。悪い前例になりかねない。強く懸念する。 中止になった「表現の不自由展・その後」は、国内の美術館やイベントで撤去や展示不許可になった作品を展示することで、「表現の自由」について深く議論してもらう狙いがあった。 芸術祭の芸術監督でジャーナリストの津田大介氏は「作品への賛否を示すものではない」として、展示には過去の経緯や作者の意図などの説明を付していた。 ところが、撤去を要求する電話やメールが8月1日からの2日間だけで1400件以上あった。職員に執ように絡み名前を聞き出すといった電話もあり、継続は困難と判断したという。 観客やスタッフを危険にさらさない、という判断は理解できる。しかし電話をした人の中に、会場で展示を見た人がどれほどいたのだろうか。ネットを通じて不正確で断片的な情報が広がったのが、実際ではないか。 展示を見ていない人の声で、これから見学しようという人たちの知る権利や学ぶ権利が奪われた、ともいえる。 河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官の対応にも疑問が残る。 河村氏は「行政の立場を超えた展示」として中止を大村知事に求めた。菅氏は補助金交付を慎重にする考えを示した。 両氏に従えば、憲法が禁じる検閲になりかねない。そもそも、政府や行政のトップは憲法を守る立場から脅迫的な抗議に苦言を呈すべきではなかったか。 京都アニメーション放火殺人事件を示唆するファクスなどは、極めて不謹慎な脅迫だ。警察は厳しく取り締まってほしい。 [京都新聞 2019年08月05日掲載] |
社説:[愛知芸術祭 企画展中止]脅迫こそ批判すべきだ 2019年08月05日 沖縄タイムス 憲法が保障する表現の自由に不寛容な現在の日本の空気を映し出すことになった。 愛知県で1日から始まった国内最大規模の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の実行委員会は、企画展「表現の不自由展・その後」を中止すると発表した。 企画展では元「従軍慰安婦」を象徴した「平和の少女像」や昭和天皇とみられる人物、憲法9条をテーマにした俳句など国内の美術館などで撤去されたりした作品群を展示。表現の自由を巡る現状を考え、議論のきっかけにしようというのが趣旨だ。 2017年にうるま市で開かれたイベントで、米軍機墜落事故をモチーフにし、一時非公開になった「落米のおそれあり」も含まれていた。 開幕から2日間で抗議の電話やメールは計約1400件に上ったという。主催する実行委会長の大村秀章愛知県知事は「テロや脅迫ともとれる抗議があり、安全な運営が危ぶまれる状況だ」と説明。「ガソリン携行缶を持って(会場の)美術館に行く」と、京都アニメーション放火殺人事件を連想させる内容のファクスも届いたという。 抗議の半数が平和の少女像に関するもので、泥沼化に陥っている日韓関係が影響しているとみられる。 表現の自由は民主主義を支える基盤だ。意見の違いを尊重し合うのが民主主義社会のあるべき姿である。 暴力的な言葉を投げつけ、企画展を中止に追い込むのは卑劣極まりない。とうてい許されるものではない。 ■ ■ 自由な表現活動を抗議や脅迫から守るのが本来の行政や政治家の責務である。 逆に会長代行の河村たかし名古屋市長は企画展の視察後、大村知事に抗議文を出し、少女像などの展示中止を求めた。政治的圧力である。 芸術祭は文化庁の補助事業で、菅義偉官房長官は慎重に判断する考えを示した。憲法の「検閲は、これをしてはならない」に反しかねない。菅氏はテロ予告や抗議に対してこそ強く批判すべきである。 芸術祭の芸術監督でジャーナリストの津田大介さんが話すように、行政は「表現の現在を問う」という趣旨を認めたものだ。内容に介入するのは好ましくないとの大村知事の立場は当然である。 津田さんは「物議をあえて醸す」と言っており、抗議は予想できたはずだ。警察に依頼するなど万全な対策をした上で、大村知事も毅然(きぜん)と対応すべきだったのではないか。 ■ ■ 「表現の不自由展・その後」は15年に東京で開かれた小規模な展覧会「表現の不自由展」が原形である。日本の「言論と表現の自由」が脅かされているのではないか、との危機感から始まった。 今回の企画展は、その続編の位置付けだ。中止になったことで不自由展がまた一つ重ねられ、日本における表現の自由の後退が国際社会に示されたと言わざるを得ない。 主義主張は違っても、作品によって喚起される問題を自由闊達(かったつ)に議論すること。これこそが健全で民主的な社会だ。表現の自由を萎縮(いしゅく)させ、奪う社会は極めて危険だ。 |
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