みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

被爆者の声 なぜ首相には届かない/長崎原爆の日、被爆者が安倍首相に訴える「この問題だけはアメリカに追従しないで」/

2019-08-14 21:49:18 | ほん/新聞/ニュース
台風10号が近づいていて、風が強くなってきたので、
パートナーが西の畑のミニトマトを収穫してきました。

雨が降ってないので傷んでいるのも少なくて、
完熟しているので、甘みか濃厚になっています。

品種ごとに別々のパックに入れて、
常温のまま、少しずつ食べます。

夕ご飯は、久しぶりにウナギのかば焼きです。

お昼は、オーガニックのパスタを、
すいすいパスタにして食べました。

一袋(500g)を水に漬けたので、残りは一食分ずつラップに包んで、

冷凍庫に入れて、冷凍保存します。

食べたいときに、凍ったまま沸騰したお湯に入れて茹でると、
生パスタのような、もちもちのパスタができます。

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ところで、
8月9日の長崎平和祈念式典での「平和への誓い」は胸に迫るものてした。

「私は、この場を借りて、安倍総理にお願いしたい。
被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に核兵器を無くそうと働きかけてください。」と。

それに対しての、安倍首相のあいさつは
広島とほぼ同じ内容の原稿を読み上げるだけの中身のない空疎なもので、
ネットでは、「広島のコピペ」ではないかとまで言われている。
そんな安倍首相に怒りを感じているのは、
わたしだけではないだろう。

  社説:被爆者の声 なぜ首相には届かない  
2019年8月14日 中日新聞

 被爆者とは、核の力を身をもって知る人たちだ。だから「もう二度と被爆者を生まないように」と祈りを込めて、核廃絶を訴えてきた。だがその声が「唯一の戦争被爆国」の宰相には、届かない。 
 九日の長崎平和祈念式典。被爆者代表の平和への誓いは、鮮烈だった。八十五歳の山脇佳朗さんである。
 被爆翌日、焼け跡で見つけた父親の崩れた遺体が怖くなり、置き去りにして逃げ出したという“告白”のあと、山脇さんは来賓である首相に直接呼び掛けた。
 「被爆者が生きているうちに世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に『核兵器を無くそう』と働き掛けてください」と。
 あまりに悲しい記憶に向き合い、満天下にさらすのは、さぞかしつらいことだろう。だが、それも「被爆の実相」だ。山脇さんは病身を押して、しかし毅然(きぜん)と語ってくれた。
 広島と長崎で原爆の犠牲になった何十万もの魂が、背中を押していたのだろうか。
 それに対して安倍晋三首相。「核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく」と、結局は「橋渡し」役にとどまる“決意”は、去年と同じである。
 日本はおととしの夏に採択された核兵器禁止条約に参加していない。米国の核の傘の下にいるからだ。そもそも橋渡し役とは中立の立場でするものだ。一方の岸にしがみついたまま、どうやって橋を架けると言うのだろうか。
 居酒屋談議やゴルフの合間に、トランプ米大統領に「核廃絶」を勧めることがあったとしても、現実を見る限り、逆行が加速しているとしか思えない。
 米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約が失効したばかり。再来年には期限が切れる新戦略兵器削減条約(新START)の前途にも暗雲が垂れ込める。トランプ政権は「使える核兵器」と呼ばれる小型核の開発に力を入れている。
 中国も核戦力を増強中。世界は核軍拡の暗黒時代に逆戻りの様相だ。ヒロシマの、ナガサキの声は届いていないのか。
 それでも、いや、だからこそ、山脇さんの言葉を借りて、私たちも訴える。
 「この問題だけはアメリカに追従することなく核兵器に関する全ての分野で『核兵器廃絶』の毅然とした態度を示してください」と。


 社説:被爆地の訴え 首相には聞こえぬのか
2019年8月10日 朝日新聞

 安倍首相には、核廃絶を求める被爆地からの切実な声が聞こえないのだろうか。そう受けとられても仕方のないやりとりが、今年の夏もまた、広島・長崎の被爆者や自治体トップと首相との間で繰り返された。
 「被爆者が生きているうちに核兵器廃絶の毅然(きぜん)とした態度を示してください」
 長崎市の式典で、被爆者代表として平和への誓いを述べた山脇佳朗さん(85)はそう訴えた。独学で英語を学び、海外でも被爆体験を語ってきた。
 首相はあいさつで、「核兵器のない世界」の実現に向けた努力を続けることがわが国の使命だと、改めて強調した。
 しかし、被爆地では首相へのいらだちと怒りが強まるばかりだ。「毅然とした態度」の象徴として、核兵器の開発と保有、使用などを幅広く禁止する核兵器禁止条約への署名・批准を求めているのに、首相が否定的な考えを示し続けているからだ。
 冷戦終結の呼び水にもなった米ロの中距離核戦力(INF)全廃条約は、トランプ米政権の離脱で失効。米ロ間で核弾頭などの数を制限する新戦略兵器削減条約(新START)の存続も危うい状況で、核不拡散条約(NPT)準備委員会では核軍縮の進め方をめぐり核保有国と非保有国の対立が露呈した。
 「世界から核兵器をなくそうと積み重ねてきた人類の努力の成果が次々と壊されている」(田上富久・長崎市長)と危機感を強める被爆地の希望が、被爆者の訴えを原動力として誕生した核禁条約である。
 だが首相は広島、長崎両市のあいさつで今年も条約に触れず、記者会見では条約を「現実の安全保障の観点を踏まえていない」と評した。日本が米国の「核の傘」に守られているのは確かだが、条約に背を向け続けるだけでよいのか。
 広島県の湯崎英彦知事は、核保有国が力を持つ現状について「『現実』という言葉の持つ賢そうな響きに隠れ、『現実逃避』しているだけではないか」と指摘した。一方、核廃絶を目指す核禁条約は、2年前に国連で122カ国が賛成して採択された後、批准国も少しずつ増えており、条約発効に必要な50カ国の半数になった。
 政府は核保有国と非保有国の橋渡しをするとして、内外の有識者を集めた「賢人会議」を主催してきた。しかしどう役割を果たすのか、見えないままだ。
 首相と面会した長崎の被爆者団体代表は「橋渡しを言うなら核保有国と交渉すべきだ。言葉だけで何もしていない」と批判した。米国に追従するばかりでは、唯一の戦争被爆国としての信頼すら失いかねない。 


  長崎原爆の日、被爆者が安倍首相に訴える「この問題だけはアメリカに追従しないで」 
2019年08月09日 ハフィントンポスト日本版
爆死した父の遺体を探し、兄弟と一緒に自分たちで火葬した体験を語った。
濵田理央(Rio Hamada)

長崎への原爆投下から74年が経った8月9日、長崎市で平和祈念式典が開かれ、被爆者による平和への誓いが述べられた。
平和の誓いを読み上げたのは山脇佳朗さん。
11歳の時、被爆地から2.2キロの自宅で被爆した際の体験を紹介した。山脇さんは生き延びたが、被爆地から500メートルの工場で勤務していた父が爆死。父の遺体を探し、兄弟と一緒に自分たちで火葬した体験を語った。
「焼けていく父の遺体を、見るに耐えられらず、燃え上がる炎を見ながら、その場を離れました。
翌日、遺骨を拾いに行きました。でも遺体は半焼けで、完全に焼けていたのは手足の一部だけでした。せめて頭の骨だけでも拾って帰ろうと兄がいい、火箸で触れたら、頭蓋骨は石膏細工を崩すように割れ、白濁した半焼けの脳が流れ出したのです。
兄は悲鳴をあげて、火箸を捨てて逃げ出しました。私も、その後を追って逃げ出したのです。私たちは、こんな状態で父の遺体を見捨ててしまいました」
こうした悲劇を二度と繰り返さないために、式典に出席した安倍晋三首相に向けて、次のように問いかけた。
「被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に核兵器を無くそうと働きかけてください。この問題だけはアメリカに追従することなく、核兵器に関する全ての分野で、核兵器廃絶の毅然とした態度を示してください」

平和への誓い全文は、以下の通り。
―――-
平和への誓い
1945年8月、アメリカが広島・長崎に原爆を投下し、20数万人の命が奪われました。
私は当時11歳、爆心地から約2キロの自宅で被爆しました。
母と4人の妹・弟は佐賀へ疎開していて、難を免れましたが、父は爆心地から500メートルの工場で爆死していました。
私たちは、兄弟3人で焼け残りの木片を集めて、焼け落ちた工場のそばで、父の遺体を荼毘に付しました。しかし、焼けていく父の遺体を見るに耐えられらず、燃え上がる炎を見ながら、その場を離れました。
翌日、遺骨を拾いに行きました。でも遺体は半焼けで、完全に焼けていたのは手足の一部だけでした。せめて頭の骨だけでも拾って帰ろうと兄がいい、火箸で触れたら、頭蓋骨は、石膏細工を崩すように割れ、白濁した半焼けの脳が流れ出したのです。
兄は悲鳴をあげて、火箸を捨てて逃げ出しました。私も、その後を追って逃げ出したのです。
私たちは、こんな状態で父の遺体を見捨ててしまいました。
原爆で、火葬場を破壊されたため、家族や身内を亡くした人々は、私たちと同じようい、無残な体験をしなければならなかったのです。
それだけではありません。かろうじて生き残った人々は、熱線による傷や、放射能による後遺症に悩まされながら、生きていかなければなりませんでした。
私たちは、原爆の被害を受けて20数年後、急性肝炎、腎炎を発症し、今も治療を続けています。さらに60数年後には、胃がんに犯され、2008年10年にガン抽出する手術を受けました。あの時私と一緒に行動した。兄と弟もがんに犯され、治療を続けています。
あれから74年、被爆者の私たちは、多くの方々と核兵器廃絶を訴え続けました。
また、60歳をすぎて、英語を独学で学び、2015年11月、長崎で開催された核防止会議では、世界の科学者に核兵器廃絶に力を貸してくださいと訴えました。
しかし、ロシア、アメリカの国々に、今もなお、1万3880発もの核兵器が保有されていると言われています。
さらにアメリカが、ロシアとの間に中距離核戦力に締結している、中距離核戦力全廃条約からの離脱を宣言し、執行しました。
2月には、トランプ政権になってから2回目の臨界内核実験がおこなったと報じられています。これは核兵器の廃絶を願う人々の期待を裏切る行為です。被爆者が日を追うごとに亡くなっています。
私は、この場を借りて、安倍総理にお願いしたい。被爆者が生きている間に、世界で唯一の被爆国として、あらゆる核保有国に核兵器を無くそうと働きかけてください。
この問題だけはアメリカに追従することなく、核兵器に関する全ての分野で、核兵器廃絶の毅然とした態度を示してください。もちろん、私も死ぬまで、核兵器廃絶を訴え続けます。
それが、74年前、広島長崎の原爆で失われた20数万の人の命。後遺症に苦しみながら生き残っている被爆者に報いる道だと思います。
私は、第二次世界大戦によって、310万人もの命を犠牲にした日本が、戦後に確立した平和憲法を守り続け、戦争や核兵器のない国を目指す主導的な役割を担ってほしいと念願し、平和の誓いとします。

please rend us your strength to eliminate nuclear weapon from the face of the earth, and make sure that Nagasaki is the last place on the earth to suffer an atomic bombing thank you.
(編集部訳:地球上から核兵器を廃絶し、長崎を最後の被爆地とするために皆さんの力を貸してください。ありがとうございました)

2019年令和元年 8月9日 被爆者代表 山脇佳朗 


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