みどりの一期一会

当事者の経験と情報を伝えあい、あらたなコミュニケーションツールとしての可能性を模索したい。

表現の不自由展:少女像展示中止 「表現の自由」は守らねば/表現の自由守り民主主義を育め/中止の「その後」に注目/ピオーネ ゴールデンピーチ

2019-08-10 21:00:31 | ほん/新聞/ニュース
先日デラウェアが届いたばかりですが、
また、鳥取の友人から大きな箱に入った冷蔵ブドウが届きました。
箱を受けてみたら、立派な房のピオーネが7つ。

巨峰とマスカットを親に持つピオーネが美味しいのはもちろんですが、
種なしピオーネは、ニューピオーネと言って、ピオーネより大粒。

香りがよくてとっても甘いです。


熟して落下したゴールデンピーチ。
半分いたんでたのですがもったいないので食べたら、
これが濃厚で絶品です。
  
うちで採れたブルーベリーとミニトマト
 
マクワウリも毎日とれるのし、
ブドウも桃もいただきものがあるので、
フルーツが食べきれないほどどっさり。
冷蔵庫は満杯で、うれしい悲鳴です。

主菜は、ローストビーフです。


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後半は、
表現の不自由展」中止の続々報。
全国の地方紙の社説です。

 社説:少女像展示中止「表現の自由」は守らねば
2019年8月10日 西日本新聞

気にくわない行事や言論は、脅迫で封じることができる。そんなゆがんだ考えを社会に広げるわけにはいかない。

 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、元従軍慰安婦を象徴した少女像などを展示した企画「表現の不自由展・その後」が開幕3日で中止に追い込まれた。

 少女像の展示に対し、抗議のメールや電話が実行委員会事務局などに殺到した。「ガソリン携行缶を持っていく」など、京都アニメーション放火殺人事件を連想させる脅迫もあり、実行委は「安全な運営」ができないと判断したという。表現の自由を揺るがす深刻な事態である。


 従軍慰安婦問題は、2015年の日韓合意により政府レベルで決着を見た。しかし、政権交代後の韓国政府は合意内容は不十分との見解に転じ、対立の火種としてくすぶり続ける。そうした中での少女像展示だった。

 展示には賛否両論ある。像や企画への評価とは別に、悪化した日韓関係をさらに冷え込ませると懸念する人もいよう。多様な意見があってよい。だが、テロや殺害をほのめかす脅迫が許されないのは当然だ。威力業務妨害容疑で被害届が出ており、警察は摘発に動いた。

 芸術祭は公共の文化施設を会場に使い、公費を投じて開かれている。だからといって、政治や行政が展示構成や出品作の是非にまで介入すべきではない。

 実行委の会長代行である河村たかし名古屋市長は「(少女像は)日本人の心を踏みにじるものだ」として、展示の中止を求めた。文化庁の補助事業であることを踏まえ、菅義偉官房長官は記者会見で、補助金交付を慎重に判断する考えを示した。

 憲法21条が禁じる検閲につながりかねない、危うい言動と言うほかない。実行委会長を務める大村秀章愛知県知事も、公権力こそ表現の自由を保障すべきだとして介入の動きを「憲法違反の疑いが濃厚」と批判した。

 企画展の狙いは、美術館などで展示不許可となった作品の鑑賞を通じ、表現の自由を巡る議論を促すことだった。反発が予想されたが実行委は「議論を起こすことに意義がある」と開催に踏み切った。趣旨と決断は是とするが脅迫に屈した「悪(あ)しき前例」となった事実は重い。こうした事態を想定した警察との事前打ち合わせや、展示意図を丁寧に伝える姿勢は十分だったか。実行委に検証を求めたい。

 表現の自由について議論を促すための美術展が暴力的な圧力でつぶされ、政治家もそれに関わった。前代未聞の出来事を、表現の自由や公権力との関係について、深く考える契機としなければならない。 


   社説:企画展 抗議で中止 表現の自由守り民主主義を育め 
2019年8月10日(土)(愛媛新聞)

 自分が相いれない表現を、脅しや暴力で封殺しようとする誤った風潮がまかり通ることを深く憂慮する。

 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、開幕3日で中止になった。実行委員会は、元従軍慰安婦を象徴した「平和の少女像」などの展示に対し、電話やメールでの抗議が殺到し、安全な運営が危ぶまれる状況を説明。「ガソリン携行缶を持っておじゃまする」などと、京都アニメーション放火殺人事件を想起させるファクスまであったという。憲法が定める「表現の自由」を侵害する悪質な行為で断じて許されない。

 表現の自由は、単に芸術家や表現者の権利を守るためのものではない。作品を鑑賞した人が思索し、意見を交わし、理解し合う機会を保障する面もある。民主主義は、そうした営為の積み重ねによって強くなり、継承されていくものだ。中止でふたをするのではなく、圧力に屈せず、自由や民主主義を守るためにどうすればよいのか、政治や行政の姿勢、社会の在り方をともに考えていく必要がある。

 問題となった企画展は、国内の公立美術館やイベントで撤去や公開中止となった作品を集めていた。少女像のほかにも、昭和天皇を扱った作品があり、開幕直後から抗議が相次いだ。

 ファクスを送信した50代の男は、威力業務妨害の疑いで逮捕された。実力行為の予告や脅迫に対しては、今後も断固とした対応が不可欠だ。

 中止について、出品者や関係者から「納得していない」といった反発の声も上がっている。だが、スタッフや来場者に危害が加えられる可能性を考慮すれば、実行委の判断もやむを得ないだろう。とはいえ、企画展の趣旨から抗議は予想されたことでもあり、事前の警備や対応の強化も検討すべきだった。

 何より危惧されるのは、今回の中止をきっかけに、トラブルを恐れ創作活動が萎縮したり、施設側が使用や展示を認めない空気が広がることだ。芸術祭の芸術監督を務めたジャーナリスト津田大介さんを招いた神戸市でのシンポジウムが中止になる事態も起きた。安易な先例とすることは誤りだと認識しなければならない。

 名古屋市の河村たかし市長が少女像の公開中止を求めたり、菅義偉官房長官が芸術祭への補助金の交付を慎重に判断する考えを示したり、政治家から展示への圧力と受け取れる動きがあったことも看過できない。表現の自由は、言論や集会、結社の自由を制限し、反体制的な言動を厳しく取り締まった戦前・戦中の反省を踏まえて定められた経緯がある。自身や政府の見解と異なるからといって、検閲まがいの言動をすることは容認できない。政治家が人権や自由を率先して守る姿勢を示さないようでは、この国の民主主義はやせ細っていくばかりだ。


 社説:表現の不自由展 中止の「その後」に注目 
2019年8月10日 岩手日報

 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」が公開3日で中止となった問題が、波紋を広げている。

 元従軍慰安婦を想起させる少女像、天皇と戦争、米軍基地、政権批判など、国内では公開がままならなかった作品群に対し、テロや脅迫まがいの抗議が相次ぎ、大村秀章知事が会長を務める国際芸術祭の実行委員会は「安全な運営が危ぶまれる」と判断した。

 議論に輪を掛けたのが、政治の介入だ。県とともに開催経費を負担する名古屋市の河村たかし市長は、同展視察を経て「日本人の心を踏みにじるもの」などとして中止を要請。菅義偉官房長官は、文化庁の補助金交付を慎重に判断すると発言した。

 河村市長は従軍慰安婦問題が「事実でなかった可能性がある」として、知事に少女像撤去などを求める抗議文を提出。大村知事は「公権力を行使する人が内容にいい悪いを言うことは、憲法が禁じる検閲と取られても仕方ない」と市長の姿勢を批判した。「その後展」は、思わぬ形で「表現の自由」の現状を社会に問うこととなった。

 一方で「その後展」の実行委は「中止決定に納得していない」として大村知事宛ての公開質問状を提出。同展出品作家を含む芸術祭参加アーティスト約70人も、連名で政治的介入と暴力、脅迫に抗議する声明を発表するなど、なお議論は尾を引きそうだ。

 政治的圧力や暴力的抗議を背景とする公開中止に、作家らの無念や憤りは想像するに余りある。だが実害が強く懸念される状況で、知事の職責に照らせば中止の判断自体は一概に否定されるものではあるまい。問題は実行委内で、展示への批判や反発を想定していた節があることだ。

 芸術祭は、ジャーナリストの津田大介氏が芸術監督を担った。「その後展」は、東京都内の小ギャラリーで15年に開かれた「不自由展」を基に企画。「物議を醸し議論を起こすことに意義がある」と決行されたという。

 目玉展示の一つとされた少女像が、日本と韓国の政治的対立の象徴となっているのは周知の事実。「物議を醸す」のは予想できたとして、立場を超えて「議論」する機会とするための仕掛けは十分だったのか。知事判断に芸術監督も従った中止劇は、その面の未熟さをしのばせる。

 この経緯に、作家らが反発するのは当然だろう。津田氏は「表現の自由を後退させてしまった」と述べたが、反省で終わらせるべき事案ではない。その立場で改めて主催側と協議するなど、表現の自由を萎縮させないための「その後」に注目したい。



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