みどりの一期一会

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【追悼】色川大吉さん/歴史家・社会運動家の色川大吉さん死去 民衆史の研究をリード/「ある昭和史」で「自分史」提唱、民衆史研究の先駆者/「近代化を問う」水俣病研究の集大成出版

2021-09-08 22:23:14 | ほん/新聞/ニュース
敬愛する色川大吉さんが亡くなった。

またお会いしたい思っていたけれどかなわなかった。

色川さんの本にであったのは高校生のころ。
それから、たくさんの本を読んだ。
色川さんのことばと思想が好きだった。

不思議なご縁で色川さんにお会いして、
おりおりにご著書が届くようになった。
胸をときめかせてすみずみまで読んだ。

さよならはいわない。

色川大吉さんは、わたしのこころのなかにいる。


 色川大吉さんの最新刊『戦後七〇年史 1945‐2015』(講談社)/伏見甘長とジャコの炒め煮(2015.8.15みどりの一期一会)

特定秘密保護法に言いたい:超党派のチェック機関を~色川大吉さん/『めぐりあったひとびと』(2013.12.28みどりの一期一会)

【書評・本の紹介】色川大吉歴史論集 近代の光と闇/東北の再発見 民衆史から読み直す(色川大吉) (2013.3.23みどりの一期一会)

色川大吉さんの「自由民権」変革の志 復興の情熱に(朝日新聞)/早春に咲く椿(2012.3.2みどりの一期一会)

経験と歴史 つなぐ道探る 昭和の<自分史>を完結 色川大吉さん(歴史学者)(2011.2.6みどりの一期一会)

心にひびく、色川大吉さんの最新刊『昭和へのレクイエム 自分史最終編』/「自分史」で昭和見直す(2010.11.2みどりの一期一会)

気軽に借り合う「猫の手」~色川大吉さん(歴史家) /朝日「アスパラクラブ」(2008.7.29みどりの一期一会)

追憶の風景 粕尾(栃木県鹿沼市)/歴史家 色川大吉「村暮らし 民衆史の起点」(朝日新聞)(2008.7.16みどりの一期一会)

『八ヶ岳南麓 猫の手くらぶ物語』/色川大吉さんの最新刊(山梨日日新聞)(2008.6.13みどりの一期一会)

いらだちの「思想(ナショナリズム)」時代/色川大吉さん(毎日新聞・特集ワイド)(2008.5.24みどりの一期一会)

NPOが『公』の担い手になるには?~市民社会で脱・下請け/「若者が主役だったころ」(色川大吉著)(2008.5.21みどりの一期一会)

小田実さん、さようなら。「平和に向かって歩いていきたい」/ほんものの行動的国際知識人(色川大吉)(2007.8.4みどりの一期一会)

自由を維持するために 不断の政権監視を/色川大吉(中日新聞)(2007.7.29みどりの一期一会)
 
 

 BS11 アーサー・ビナード 日本人探訪 ♯10 山梨県 色川大吉 

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  歴史家・社会運動家の色川大吉さん死去 民衆史の研究をリード 
2021年9月7日 朝日新聞 

 自由民権運動などの民衆史の研究をリードした歴史家・社会運動家で東京経済大名誉教授の色川大吉(いろかわ・だいきち)さんが7日、老衰で死去した。96歳だった。故人の遺志で葬儀は行わない。

 東京帝国大の学生時代に学徒出陣し、海軍航空隊へ。戦後、その経験から国家の枠に収まらない民衆の歴史の構築をめざして研究を進めた。東京・多摩地区の旧家を訪ねて古文書を読み解き、多摩史研究会を結成して市民自らの手による地方史研究を進めた。

 1964年刊行の「明治精神史」は民衆史研究の先駆けとなり、68年に旧家の土蔵から発見した「五日市憲法草案」は、大日本帝国憲法(明治憲法)制定以前に民間で作られた「草の根の憲法案」として大きな反響を呼んだ。名もない民衆の視点で描く人間臭い歴史は「色川史学」と呼ばれて多くの読者に支持され、鹿野政直・早稲田大名誉教授や安丸良夫・一橋大名誉教授(故人)とともに民衆史研究の先頭に立った。

 75年刊の「ある昭和史 自分史の試み」で「自分史」を提唱して毎日出版文化賞を受けるなど、多数の著作を残した。水俣病の実態を解明しようと不知火海総合学術調査団を組織して団長をつとめ、作家の故・小田実さんらと「日本はこれでいいのか市民連合」を立ち上げて代表世話人をつとめるなど幅広い社会活動も繰り広げた。


 色川大吉さん死去 民衆史、「五日市憲法草案」発見(2021年9月8日 東京新聞

「ある昭和史」で「自分史」提唱、民衆史研究の先駆者・歴史家の色川大吉さん死去(2021/09/07 読売新聞) 

 色川大吉さん「近代化を問う」 水俣病研究の集大成出版
喜園尚史
2020年11月13日 朝日新聞

色川大吉さん
 歴史家で東京経済大学名誉教授の色川大吉さん(95)が、水俣病研究の集大成として「不知火(しらぬい)海(かい)民衆史」(揺籃(ようらん)社)を自費出版した。10年に及んだ水俣通い。そのきっかけは、作家の故・石牟礼道子さんの涙だった。

 色川さんは、東京経済大教授だった1976年に、学術調査団の団長として現地調査を始めた。85年までの間、社会学や哲学、歴史学など各分野から水俣病問題を考察し、「水俣の啓示 不知火海総合調査報告」にまとめた。

 水俣通いを始めた当時、水俣病の認定患者らは、一部の市民から嫉妬のまなざしを向けられていた。政府が68年に、チッソの排水が原因の公害病と認め、認定患者には補償金が支払われていたからだ。「補償金目当てのニセ患者がいる」との流言も飛び交った。

 病苦と差別に苦しめられてきた患者に、今度は補償金を理由に市民との間で亀裂が生まれていた。この状況を打開するために学術調査団として水俣に来てほしい――。地元出身で、患者の支援活動に加わっていた石牟礼さんから、そう頼まれたという。

 当時のことを聞くと、色川さんの口調が激しくなった。「石牟礼さんは涙顔。その顔を見て、こっちも泣けてきた。(社会学者の故・鶴見)和子さんからも『ここで動かないなんて、義理にも人情にも欠ける』と言われた」。鶴見さんらと急きょ調査団を結成したが、学術調査といっても「そもそもの動機はエモーショナルなものだった」。患者に会って、その思いは深まった。「患者さん一人一人のくやしさが響いてきた。何十年でも息のある限り取り組もうと思った」と振り返る。

 患者たちへの思いから出発した調査の意義とは何だったのか。「各分野から集まった研究者に共通していたのは、日本の近代化の負の象徴である水俣病を通して、近代化の意味を問い直したいという思いだった」

 公害病の原点といわれる水俣病。95歳になった今、色川さんはこう話す。「公害が古くさいテーマだなんてことはない。地球温暖化も核のゴミもプラスチックの海洋投棄も、すべて公害。人類がもたらした罪の解決に向けて、一人一人が自分の問題として向き合うべきだ」

 今回の著書は、上巻に色川さんが個人で発表した論考、下巻には患者らの聞き書きのほか、自身が受けたインタビューが収録されている。上下巻で計5500円(税込み)。問い合わせは、揺籃社(042・620・2615)。(喜園尚史) 


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