前尾衆議院議長が亡くなる直前に著者である平野参議院議員に話したある「告白」、それは昭和天皇からの「極秘命令」を語るものだった。
平野参議院議員の書かれた、「昭和天皇の極秘命令」の一文です。
「昭和天皇の極秘命令」、それは、「核拡散防止条約の調印」を急ぐことでした。
「核拡散防止条約」は、1968年7月1日、米ソを含む62ヵ国の調印によって発足しました。
しかし、この条約が国会で承認されるのは、調印から6年後の1976年でした。
世界で唯一の被爆国である日本が、なぜ国会の承認まで6年を要したのか、そして急転直下、国会で承認されたのはなぜか、長い間の疑問でした。
その疑問に一つの回答を示したのが、この本です。
すなわち、前尾衆議院議長が昭和天皇の御言葉から察した「核拡散防止条約の国会承認を急ぐように」という「昭和天皇の極秘命令」を実現するために努力し、実現させたのです。
この本は、2004年に刊行されました。
その序文に、著者は、「2003年11月9日に行われた総選挙の二日後、毎日新聞は、選挙中に行った、全候補者を対象とするアンケート結果を報道した。新議員480人のうち、日本の核武装構想について、検討すべきという意見を持つ議員が全体の17%を占めたことに危機感を感じ、この本を書いた」と述べています。
著者は、「核武装を検討することは、その先に必ず核拡散防止条約からの脱退による核武装がある。それは、世界で唯一の被爆国である日本が追い求めてきた平和を放棄することにほかならない。彼らはこのことをきちんと認識しているのだろうか」、「近年、日本の核武装に関して不気味な動きを感じ、今、この本を執筆することが必要である」と述べています。
この本が刊行されたから3年経過していますが、日本の核武装に関する不気味な動きがさらに大きくなってきたように思われます。
この本に書かれた「昭和天皇の極秘命令」の真否については分かりませんが、核武装への動きには反対です。
この本のあとがきに、「私どもは、この半世紀を回顧し、その歴史的事実について、常に厳しい反省を重ねると同時に将来を展望し、わが国の進路に誤りなきを期さなければなりません。」と書かれています。
7月29日の参議院議員選挙で、「国の進路に誤りなきを期す」ことを心に銘じて、正しい判断の出来る政治家に一票を投じたいものです。
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「昭和天皇の極秘命令」、それは、「核拡散防止条約の調印」を急ぐことでした。
「核拡散防止条約」は、1968年7月1日、米ソを含む62ヵ国の調印によって発足しました。
しかし、この条約が国会で承認されるのは、調印から6年後の1976年でした。
世界で唯一の被爆国である日本が、なぜ国会の承認まで6年を要したのか、そして急転直下、国会で承認されたのはなぜか、長い間の疑問でした。
その疑問に一つの回答を示したのが、この本です。
すなわち、前尾衆議院議長が昭和天皇の御言葉から察した「核拡散防止条約の国会承認を急ぐように」という「昭和天皇の極秘命令」を実現するために努力し、実現させたのです。
この本は、2004年に刊行されました。
その序文に、著者は、「2003年11月9日に行われた総選挙の二日後、毎日新聞は、選挙中に行った、全候補者を対象とするアンケート結果を報道した。新議員480人のうち、日本の核武装構想について、検討すべきという意見を持つ議員が全体の17%を占めたことに危機感を感じ、この本を書いた」と述べています。
著者は、「核武装を検討することは、その先に必ず核拡散防止条約からの脱退による核武装がある。それは、世界で唯一の被爆国である日本が追い求めてきた平和を放棄することにほかならない。彼らはこのことをきちんと認識しているのだろうか」、「近年、日本の核武装に関して不気味な動きを感じ、今、この本を執筆することが必要である」と述べています。
この本が刊行されたから3年経過していますが、日本の核武装に関する不気味な動きがさらに大きくなってきたように思われます。
この本に書かれた「昭和天皇の極秘命令」の真否については分かりませんが、核武装への動きには反対です。
この本のあとがきに、「私どもは、この半世紀を回顧し、その歴史的事実について、常に厳しい反省を重ねると同時に将来を展望し、わが国の進路に誤りなきを期さなければなりません。」と書かれています。
7月29日の参議院議員選挙で、「国の進路に誤りなきを期す」ことを心に銘じて、正しい判断の出来る政治家に一票を投じたいものです。
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