常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

早池峰山

2013年08月01日 | 登山


7月は雨で一度も山行が実現しなかった。夏山は今が一番のいい季節だが残念なことだ。今週は予定を一日前倒しして、岩手県花巻の早池峰山に行く。雨が残るのだろうか、行って見なければわからない。3時起床、朝食をとり4時半に仲間の車で岩手・遠野に向かう。途中岩手県に入っても小雨である。時々、雨脚が強くなる。

7時45分に早池峰山の麓、河原坊に着く。奇跡的に早池峰山の頂上が見え、その上に青空が広がっている。気温20℃、風もなく絶好の登山日和である。河原坊から頂上(1913m)へ、そして小田越へ下る8名のメンバーが駐車場で準備運動をして登山を開始する。



沢を左に見ながら、ゴツゴツとした露岩の道を頂上目指した詰めていく。ほとんど巻道はなく、いつも頂上を見ながら、標高差600mの急登である。早池峰山は、深田久弥の『日本百名山』のひとつに選ばれている。深田久弥も我々と同じ河原坊コースをとって頂上に向かった。その中で河原坊の由来が紹介されている。

「昔、快賢という僧が早池峰に詣で、ここに一寺を建てて河原坊と呼んだ。その後洪水で寺は流失して名前だけが跡をとどめている。すぐ横の谷川は昔の登拝者が垢離場として身を清めた所だという。」

この山は山形の月山と同じように、山が宗教者の霊場であった。このゴツゴツとした岩の道を登るのは、苦難を覚悟して山の神に祈るためであった。



岩陰にハクサンフウロが静かに咲いていた。急登に汗をかいた身を癒してくれる。若い父親と小学校4年の少女が連れ立った登ってきた。少女は身軽にぽんぽんと岩を踏んで登っていく。「頑張ったね。」と声をかけると、笑顔を見せて小さく頷く。父親が、「コースを間違ったな。ここから引き返そう。」と言うと、少女は「いやだ、降りるのは頂上まで行ってから。」ときっぱりと答える。
この親子には、頂上で、下山して駐車場でもあった。登る途中では多少の疲れた様子を見せたものの、頂上でも駐車場でも元気いっぱいだった。山登りでは、見知らぬこんな人たちからも元気をもらう。



高度1800mを越えると、頂上まで見渡す限りの岩場だ。すでにお花畑を過ぎ、癒される花たちもなくなった辺りで、デジカメの電池が切れてしまう。東の下の方に目をやると、小田越コースの尾根が見渡せる。急な坂を登ってきたことを改めて確認する。山地が眼前にせまり、その光景に見とれる。すでに足の筋肉は目いっぱいの使い尽くして、余力はもう残っていないあんばいだ。

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雨蛙

2013年08月01日 | 日記


梅雨空が続く。道ばたの木の葉のうえに指先ぐらい雨蛙が何を思うのかじっと止まっている。ものの本では、窓先で鳥のような声で鳴くという。蛙は水のなかで暮しているかと思っていたが、そうではなく土のなかや草むらにいて昆虫を捕食しているらしい。身体は保護色になっていて青葉のなかでは薄緑色だが、枯木のなかでは茶褐色に色を変える。

雨蛙とらへし手さへ青く染む 篠田悌二郎

このところの大雨で名物隅田川の花火が打ち上げ早々に中止になった。一年に一度の風物詩の中止は残念な人も多いだろう。突然の雨で多くの人が花火の会場から出ていくのも大変である。名物のdjポリスがマイクを取って帰り道を誘導した。

「夏の涼みは両国の、出船入船屋形船、上がる流星ほしくだり、玉屋が取り持つ縁かいな」両国の川開きの演歌にも歌われた玉屋は両国橋の上流を持ち場にする花火屋で、下流は鍵屋の持ち場で、花火が上がると「玉屋ァ」「鍵屋ァ」の掛け声が見物客からあがった。

玉屋は自家から出火して天保16年になくなったが、見物客の掛け声は玉屋がなくなったのを惜しんでか、鍵屋のそれよりも多かった。

橋の上玉屋玉屋の人の声なぜか鍵屋と呼ばぬ情なし

こんな狂歌が詠まれるほど、隅田川の花火は、江戸の庶民に愛されてきた。



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