朝畑にいくと、顔よりも大きな里イモの葉には、たっぷりと朝露を含んでいた。七夕祭りにこの葉から露をとって硯の水として墨を磨り、短冊に歌を書きつけた風習があった。そのために、里芋はツユトリグサとも呼ばれていた。筆を使う習慣が廃れてしまった現代では、こんな言葉も死語である。
里イモは東南アジアなど熱帯モンスーンの植物であるが、わが国には驚くほど早い時期に渡来していた。とにかく高温で、湿気を好む植物である。
蓮葉は かくこそあるもの 意吉麻呂が 家にあるものは 芋の葉にあらし 巻16・3826
万葉集に見える里イモを詠んだ歌である。この8世紀ころに編まれた歌集で、すでにこのころどこの家にも栽培されていたことを物語っている。芋はウモと呼ばれた。
この歌は、宴会の席で蓮を題材にして一首詠めとしいられて詠んだものだ。宴会が開かれた家で、見事な蓮を愛でる歌会が催された。あるいは、料理を盛った器は蓮の葉であったかも知れない。蓮が同じ韻の恋を連想するし、高貴な料理を褒めるのは、この家の夫人を暗にほめそやすことで、宴会を盛り上げようする意図がある。
それにひきかえ内の愚妻なぞは、芋の葉といったところでしょう。芋娘などという卑下したいいまわしが、宴席の笑いをとったことであろう。そんな比喩に使われるほど皆が好んだ食べものであっただろうことが想像できる。山形で行われている芋煮会などは、ごくごく近年のことである。