瀧山は毎朝家の裏に見える山である。標高1362m、娘たちが小学校時代に全校登山した山でもある。頂の表情で季節を表し、その日の天気を知らせてくれる。蔵王温泉から見ると、瀧山の裏側が荒々しい岩の切り立った山であることが分る。今年の二月に、冬の瀧山に登ったが、雪庇を踏み抜く事故で途中で断念した。
その雪景色を思い出しながら、山道を歩く。下ではこの夏一番の気温で蒸し暑いが、山中はガスがこもり、風が吹きぬけて涼しい。立秋を過ぎて秋の気配がところどころに顔をだしている。あらためて、山登りの楽しさを身体全体で味わう。山登りの仲間にはいろんな個性があるが、自然の営みに興味をもっていることはメンバーに共通している。
タマゴタケのみごとな赤い傘が秋の到来を語っている。ベニテングタケ科のこのキノコは一見、毒キノコのように思えるが、この赤と黄色のタマゴタケは食用にされる。豆腐汁や鉄板焼きなどが美味とキノコの図鑑に書いてある。こんなめったに得がたい食材を手に入れられるのも楽しい。
頂上付近でアサギマダラがゆっくりと舞うように飛んでいた。木の皮の中にタマゴを産みつけて初夏に孵化すると、深い山のなかで餌を取りながらやがて遠い旅へと飛び立っていく。アサギマダラの生態は実に神秘に満ちている。生命の不思議はこんなところにも何事もないように営まれている。
頂上にひともとのヤマハハコが咲いていた。この花もまた高山でなければ見られぬ花だ。瀧山の頂上を、自分の庭のようにして咲いている姿にはいじらしさを感じる。高い山では季節の移り変わりが早い。5ヶ月前には深い雪に閉ざされていた山に、秋の花が咲き、オオカメノキや木イチゴが赤い実をつけ始めた。
下山したスキー場にはススキの穂が風に揺れていた。その赤味を帯びた色が、秋になって命を育む力を象徴しているようだ。秋が死を象徴する季節だというのは大いなる誤解だ。秋こそ春夏の成長期に貯えた命の力をさらに次の季節に向かってじっと温存する季節なのだ。
なにもかも失せて薄の中の道 中村草田男