小三問題に揺れる中国の裁判の模様がテレビに放映された。被告人や参考人が検事からの質問に受けて答えるのだが、その言葉のやりとりに少しの知性も感じられず、実にいやな気がした。かつての豊饒な詩の国がどうしてしまったのか、暗澹たる思いである。確かに裁判のやりとりは事実の確認であるので、語彙は少ないかも知れないが、そこには人間の感情とか心のうちが読めるような言葉はなかった。
中唐の張籍に「秋思」という詩があるが、そこには家族を思う心が纏綿と吐露されている。
洛陽城裏 秋風を見る
家書を作らんと欲して 意(こころ)万重
復た恐る 忽忽説いて尽くさざるを
行人発するに臨んで又封を開く
家書とは、旅先へ家で留守をあづかる妻子への手紙である。旅先で郷里に帰る人に会って、手紙をしたためて届けるのを頼むのだが、短い時間で書いたので、言ってやることが抜けていないか心配になり、その手紙の封を切ってまた確かめているのだ。
この詩は詩吟の吟題にもなっていて、好きな詩である。何よりも、家族を思いやる心のありようが美しい。秋風の吹き始める季節には口をついて、この詩が出てくる。