常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋思

2013年08月25日 | 漢詩


小三問題に揺れる中国の裁判の模様がテレビに放映された。被告人や参考人が検事からの質問に受けて答えるのだが、その言葉のやりとりに少しの知性も感じられず、実にいやな気がした。かつての豊饒な詩の国がどうしてしまったのか、暗澹たる思いである。確かに裁判のやりとりは事実の確認であるので、語彙は少ないかも知れないが、そこには人間の感情とか心のうちが読めるような言葉はなかった。

中唐の張籍に「秋思」という詩があるが、そこには家族を思う心が纏綿と吐露されている。

洛陽城裏 秋風を見る

家書を作らんと欲して 意(こころ)万重

復た恐る 忽忽説いて尽くさざるを

行人発するに臨んで又封を開く

家書とは、旅先へ家で留守をあづかる妻子への手紙である。旅先で郷里に帰る人に会って、手紙をしたためて届けるのを頼むのだが、短い時間で書いたので、言ってやることが抜けていないか心配になり、その手紙の封を切ってまた確かめているのだ。

この詩は詩吟の吟題にもなっていて、好きな詩である。何よりも、家族を思いやる心のありようが美しい。秋風の吹き始める季節には口をついて、この詩が出てくる。

コメント
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