新聞の惜別の欄に日本寮歌振興会前会長神津康雄さんの「お別れの会」の様子が報じられた。2010年まで続いた「日本寮歌祭」で神津さんは旧制山形高校の寮歌「嗚呼乾坤」を熱唱したことが書かれている。この寮歌祭で神津さんが着用した羽織は毎年使うので、袖はボロボロ、色は羊羹色に変色していたと言う。
戦後、学制が変わったが、学生寮は旧制のものがそのまま使われた。木造2階建ての寮は6棟が並んで建てられ、一棟に二つの2人部屋と四つの6人部屋があった。夏は暑く、冬は寒い寮であったが、寝食を共にした寮生には他の学生にはない絆があった。寮歌も旧制の寮歌をそのまま引き継いだ。春の観桜会で馬見ヶ崎川原に繰り出し、酒を酌み歌うのはやはり「嗚呼乾坤(ああけんこん)」であった。
1、嗚呼乾坤の春の色
花永劫に悩ましく
水村雨に煙るとき
健児の胸に涙あり
2、手走り飛べよ我が血潮
夏野の花と散らば散れ
夕の火雲仰ぎつつ
駿馬を立つる馬見ヶ崎
馬見ヶ崎川原へ久しぶりに行って見た。盃山は対岸に小さく佇み、川原には夏草が生い茂っていた。神津さんも寮生同士で肩を組んだであろう風景は、当時とそれほど変わらないのではないか。ただ川は伏流水で常には水がなく、川底の石が露出しているのだが、今日は水が流れていた。先日の雨で水量が多いせいであろうか。