鶏頭
2013年08月15日 | 花
鶏頭の人目をひくショッキングな赤は、淋しい秋草の花のなかでひときわあでやかなである。万葉の時代には韓藍(からあい)と呼ばれ、韓の国から渡来した藍を意味し移し染めに用いられた。くれないが紅花の藍染であるのに対して、韓藍は臙脂(えんじ)がきわだつ。
山部赤人の歌が万葉集巻3・384に収められている。
我がやどに 韓藍蒔き生ほし 枯れぬれど 懲りずてまたも 蒔かむとぞ思ふ
韓藍つまりは鶏頭だが、自分の庭に蒔いたのが枯れてしまった。懲りずにまた蒔こうという意味だが、韓藍を女性に見立てるとがぜん万葉の歌らしくなる。苦労して手に入れた恋人が不縁に終わったので、懲りずにまたいい人を手に入れたいというのだ。
秋さらば 移しもせむと 我が蒔きし 韓藍の花を 誰か摘みけむ 巻7・1362
こちらの歌とあわせて読めば、秋まで育つのを待っている間によその男に摘まれてしまった男の悔しがりようが分る。もっともこちらは、娘を育てていた母の嘆きと解釈するむきもあるようだ。
正岡子規の絶筆となった鶏頭の花の俳句は有名だけれども、子規を継承した斉藤茂吉にも鶏頭を詠んだ歌がある。
鶏頭の古りたる紅の見ゆるまで わが庭のへに月ぞ照りける 曉紅
花を愛する心は、人類の歴史が始まってから、絶えることなく現在にいたるまで連綿と続いている。花はその色や香りに加えて蜜を貯えて、昆虫を呼んだ。花が受粉し、種を残して次代へと生命を継続するためである。