朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日にして還る
唐の詩人李白は、57歳で玄宗の子永王に招かれて、その幕下に行く。しかし兄の粛王から反乱軍とされ捕らえられ、僻地夜郎への流刑を受ける。船に乗せられ寂しく岷江を上っていった。だが、白帝城まできて恩赦に会い、そこから船を翻して江陵へと向かった。空には、彩雲が棚引いていた。船は矢のようなスピードで、猿の鳴き声を聞きながら、はるか下流の江陵へ、一日のうちに下ってしまう。
彩雲は上りはじめる朝日に彩られて、夕焼けをとは違った色合いで美しい。だが、彩雲が見られる時間は短い。この雲を見て文章を残しているのは、李白にとどまらない。わが国の清少納言には、『枕草子』に美しい朝の記述がある。
「しのびたる所にありては、夏こそをかしけれ。いみじくみじかき夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろずの所あけながらあれば、すずしく見えわたされる。なほいますこしいふべきことのあれば、かたみにいらへなどする程にただゐたる上より、烏のたかく鳴きていくこそ、顕証なる心地してをかしけれ。」
明け方にしのび会う二人の情景である。彩雲で薄暗いと思っているうちに、みるみる周りが見えはじめる。一羽の烏が、二人のしのびあいを言いふらすように鳴いて飛んでいくのを、少納言は面白く感じている。
枕辺や星別れんとする晨 漱石
漱石は妻が病に臥せっている枕辺を去ろうとしている。妻の病は旅先の心細さからくる神経症であった。二人の別れを七夕の二星の別れに例えたところが手柄。妻がこのまま遠くに去ってしまうことへ一抹の不安がよぎっている。この日も、朝の空には彩雲が棚引いていたであろうか。