シャガの葉にしがみつくように、蝉の抜け殻が残っていた。地中で7年も生活して、殻を脱いで蝉になるが、その生命は鳴きながらほぼ1週間で終わってしまう。そんな生命の哀れさをいつしか空蝉と書くようになった。もともとは現人と書いてうつせみと読んだ。この世に現在する人間の仮の姿をうつせみという。死して後は、目には見えない神となるという信仰が、古来日本にはあった。人間の命のはななさ、その存在のむなしさがこの言葉の中に秘められている。
空蝉のごとく服脱ぐ背を明けて 加藤三七子
『源氏物語』には「空蝉」の巻がある。光源氏の手に小袿を残して身を隠したそれは、空蝉の抜け殻であることを物語っている。光源氏はその小袿を肌身離さずに手元にして、隠れた空蝉へなお思いを寄せる。
空蝉の身を更へてける木のもとに
なほ人柄のなつかしきかな 光源氏
小袿は恋の小物として、空蝉と光源氏の間に介在するのであった。人柄と抜け殻が掛詞になっていることにも注目した。後日、再び空蝉のもとを訪れる源氏だが、そこに待っていたの豊満な肉体の軒端荻であった。