常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

薮入り

2014年07月16日 | 日記


お盆である。こちらでは、月遅れでお盆になるが、この日は地獄の鬼が亡者を煮る仕事を休むため、釜の蓋が開いたままになる。「地獄の釜の蓋が開く」というのが、ここからきている。この日は娑婆でも「薮入り」という休日になり、奉公にでた子女たちが、奉公先から暇をもらって実家に帰り、親と水入らずの楽しい時間を過ごした。

やぶ入や浪花を出て長柄川 

春風や堤長うして家遠し

一軒の茶見世の柳老にけり 蕪村

与謝蕪村は「春風場提曲」のなかで、淀川の堤防のうえの風景を詠んでいる。ここで、奉公に出て、子どもから少女へと成長をとげつつある薮入りの女子の姿が、懐かしい点景である。少女の足には、堤の道は長く、家は遠い。だがあまりの懐かしさに、堤を下りて川面へ向かい、草花を摘む。そこには、つめ草の花も咲いていたであろう。

「余幼童の時、春日清和の日ニハ、必ず友どちと此の堤上にのぼりて遊び候。水ニハ上下ノ舩アリ、堤には往来の客アリ。実ハ愚老懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情ニて候。」と蕪村は、「春風馬堤曲」のなかで吐露している。堤を往来する薮入りで里帰りする子女の姿を懐かしむ心中があますところなく語られる。


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コメント
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