常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

善女のパン

2015年12月24日 | 日記


先日、年を干支で表している話を書いたが、年だけではなく日も干支で表していた。諺に「はなしは庚申の晩」というのがある。一年に庚申の日は6回あるが(今年は12月10日で終わった)、この晩には、寝ている間に体のなかにいる三尸虫という虫が天国に上って、その人の悪事を天帝に告げるという。そこで、その日の晩は虫が出ないように寝ずに夜を過ごす風習があった。庚申待ちと言われている。どうやってそんな夜を過ごすか、それには噺が一番だというのである。

ブログを書いたり読んだりするのは、案外こん風習から、面白い話はないかという気がなせる業かもしれない。イギリスの小説家オー・ヘンリーに『善女のパン』という短編がある。ミス・マーシャがこの小説の主人公だ。マーシャが40歳を過ぎてしゃれたパン屋を営んでミスと呼ばれるは、婚期を逃してしまったからである。彼女は、店に通ってくる中年の男性に興味を感じた。それというのも、彼が買うのは自慢の焼きたてのパンではなく、古くなって堅い、そして安いパンしか買わないからだった。

不思議に思ってある日、その客の指を見ると、赤と茶のシミついていた。客とは時おり挨拶ていどの話をするが、身の上のことなど失礼になるのではと気を使って聞かなかった。マーシャの想像が膨らんでいく。きっと、彼は貧しい画家に違いない。絵が売れるまで、古くなったパンで我慢しながら、絵筆を握っているのだと。マーシャは、自分が焼いたパンとスープで、彼と食事をしていることを何度も空想した。気の弱いマーシャはそのことを話せずにいた。

ある日、チャンスが訪れた。いつものパンを包もうとしたとき、通りを消防車がサイレンを鳴らして走り去った。客はそれを見に通りへ出た。そのすきに、パンを二つに切ってバターをたっぷりと塗り、またパンを元通りの姿に戻して紙に包んだ。客は雑談をしてパンを持ち帰った。彼女をひとり想像をふくらまして、彼がパンを食べる時の驚きと、自分の好意をどんな風に感じるかと心を躍らせていた。それから数十分後、店へ怒鳴り込んだきた客の言葉で、事態がマーシャの想像とは全く異なっていたことが明らかになった。「おまえはおれを駄目にしてしまったんだぞ。」「バカモノ」「マヌケ」

客と一緒にきた男が説明した。「彼はね、この3ヶ月というもの、市役所の新しい設計に取り組んでいたんですよ。懸賞に応募するためにね。きのうやっと線にインクを入れるところまできたんです。鉛筆で書いた線を消すには古いパン屑が一番だったんですよ。ところが、あのバターですよ。おかげで下図はめちゃくちゃ、使い物にならなくなったんです。」そしてマーサがとった行動は、彼のために着た少しおしゃれな服を脱ぎ、化粧品を捨て去ったことだった。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狐疑逡巡

2015年12月24日 | 日記


キツネという動物は疑い深い動物らしい。北方の川は氷が厚く張って、車馬も渡れるようになるが、キツネが渡る姿をみるようになると安心して人が渡った。狐疑と言われるほど疑い深く、慎重なキツネは、すぐれた聴覚を持ち、氷の下の水温が聞こえなくなってはじめて渡ると言い伝えられている。狐疑逡巡とは、生来疑い深いキツネが決断を逡巡していることから、人がなかなか決心できない状況を表す言葉だ。

キツネの尾には霊力を宿している。なかでも九尾のキツネは最大の霊力を持つ伝説のキツネだ。このキツネが化身して絶世の美女玉藻前となって鳥羽上皇寵愛を受けるようになった。ところが上皇が病気になって床につくようになって、安倍晴明が本性を見抜いて難を逃れたという話も伝えられている。占い卦に「未済」というのがあるが、これは「子狐、ほとんど済る。その尾を濡らす。利するところなし。」であるとし、この卦が出るとうまくいきそうな計画でも、失敗するから止めた方がよい、とする。

キツネはその尾に霊力を宿す。その尾を水に濡らすとその霊力は落ちてたちまち沈んでしまう、と言い伝えられている。キツネを肉として利用することは余りないが、毛皮は昔から珍重われてきた。脇にある白い毛は狐白と呼ばれるが、裘にすると高価で得難い高級品である。狐疑と言われるほどキツネを疑い深くしたのは、狐白を求めて狩をした人間のなせるところかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする